第一話 赤目のネピリム(3)
※微量ですが残酷描写アリです。
◆◆◆
大聖堂の正面から外へ出ると、夕刻を迎えた空はすっかり赤く染まっていた。普段なら美しいと思える夕映えが、こんなにも気味が悪いと感じたのは今日が初めてかもしれない。それは、この目の前の凄惨な光景のせいだろう。
酷く破壊された石畳には、聖堂の外壁や尖塔の一部が崩れ落ちていた他、数名の兵士の遺体が赤い海に浸かり転がっていた。いずれも頭部や四肢、胴体が引き千切られたかのように欠損している。その中に、こちらに背を向ける形で一人女性が佇んでいた。背中まであるウェーブがかった栗毛、エミーラだった。
「エミーラ!何があった……!?」
彼女に声を掛けるが返答は無い。一方、市街地の方向からは、建物の倒壊するような音が響き、わずかに火の手が上がる様子が見て取れた。
外の状況を見るや否や、引き連れてきた兵士達もその場で足を止めた。見るも無残な兵達の姿を目撃し、顔を背ける者、中には悲鳴を上げる者もいた。無理もない。この安全なマーテルでは、惨殺死体など滅多に目にする機会は無いのだから。
「エミーラ!!大丈夫か!?」
俺は彼女の元へ歩み寄り、彼女の肩に手をかけると、強引にこちらに向き直らせた。後ろ姿だけでは分からないかったが、正面を向いた彼女の姿は全身が血でまみれていた。が、外傷があるようには見えない。恐らく、返り血だろう。強張った表情でこちらの顔を見つめると、彼女は震えた声で俺の名を呼んだ。
「……グランディス……み、皆が……」
ふらりと体勢を崩し、彼女は力なく地面に座り込んだ。彼女に合わせる形で自身も地面に膝をつく。
「一体何があったんだ?」
「……私、私……何もできなかった……」
普段、男勝りで冷静な彼女が、身を震わせ怯えている。先程の轟音と地震、そしてこの惨状。とてもじゃないが人間の仕業とは考えられなかった。
「おい、何に襲われたんだ?」
「ねぇ、何故私だけ助かったの……!?皆は死んだのに!何故!?」
彼女は酷く動揺し、目に涙を浮かべながらこちらの腕に強くしがみついた。彼女が涙する姿など、今まで一度も見た事が無かった。
「しっかりしろ!お前も隊長だろう!何があったのか教えてくれ」
彼女の肩を強く揺さぶると、彼女はハッと目を覚ましたかのような、少し冷静さを取り戻した表情になった。そして暫く黙った後、赤く染まった空を指さして言った。
「空から……突然降って来たの」
「……何が?」
「とても大きくて醜い、見た事も無いような化け物が。私はここで皆と談笑していて……そうしたら急にそれが空から降ってきて、皆を……」
化け物――。会議でのノアの言葉を思い出す。あまりにもタイミングが良過ぎだ。だが、そんなもの、本当に存在するのか?今一度、冷静になって周囲を見渡した。目の前の光景が全てを物語っている。疑問は色々とあったが、市街地方面の状況が気になる。考えている余裕は無かった。
「俺はこいつらを連れて今から市街地へ向かう。お前の隊の連中は……今日は非番だったな。エミーラ、お前は聖堂に残るんだ。ここの守りを頼む。それからディーゼルとセーブルにも状況を伝えて市街地へ向かわせてくれ」
「化け物の話、信じるの……?」
「こんな状況、人間では作れないからな。……信じたくは無いが」
エミーラに肩を貸し、立ち上がらせると、俺は兵達の元へ戻り市街地へ進むよう指示した。
「待って、行かないで!」
彼女の静止に、俺は大丈夫だ、と頷いて見せた。
「人命救助に行くだけだ。化け物の相手なんか出来るとは思っていないさ」
「あなたはまだ見ていないから分からないのよ!あんなのから人助けなんて無茶よ、危険だわ!」
「そうだな。見てないし、何がどうなってるのか全然分からん。――だが、それだと俺達の存在理由は?マーテルの主と市民を守るのが俺達蒼衛騎士団の役目だろう?」
彼女は目を丸くしてこちらの目を真っすぐに見た。それは、まるで自身の立場を再認識したかのような表情だった。
自らの命を投げ打ってでも主であるノアと市民を守る、それが本来の蒼衛騎士団の役目だ。だがこのマーテルは平和過ぎた。騎士団とは名ばかりで、命がけで職務を全うしようと考えている者など、きっと誰もいない。彼女もまた、平和過ぎる日常に染まりきっていたのだろう。
彼女は俯き、小さく何度も頷いて見せた。
「そうね。そうだった……」
「心配しなくていい、大丈夫だ」
俺は行ってくる、と彼女の肩を軽く叩いた。俺達がその場を去るまで、彼女は心配そうにこちらをずっと見送っていた。その、どこか頼りない彼女の姿が、何故か目に焼き付いて離れなかった。
◆◆◆
市街地の状況は想像を遥かに上回る事態に陥っていた。多くの建物が倒壊しており、そこら中から火災が起きていた。目を疑ったのは、逃げ惑う市民を複数体の異形の化け物が追い回していた事だ。
「まさか一体だけじゃなかったとはな。これは……想像以上に深刻な事態だ」
物陰に身を潜め、暫く街の様子を伺っていたが、確認できるだけでも四、五体ほどの不気味な化け物が蔓延っていた。いずれもエミーラが言ったように巨体で、全高五メートルは優に超えていそうだ。生物の臓器、筋肉や骨と、虫や軟体動物を合体させたような姿……と表現するのが妥当だろうか。ともかく、何とも形容し難い見た目をしていた。
「こんなにたくさんいるなんて聞いてないぞ!」
「何なんだよ、あの気色の悪い化け物共……!」
「隊長、こんなの……どうやって救助に向かうんです!?戦闘は避けられませんよ!」
確かに、あんな巨大な化け物達の目を盗んで救助するのは不可能だ。ならば……
「地下回廊の扉を開けて市民をそちらへ誘導する」
「地下回廊って……あそこはノア様が壁内外を往来する為の神聖な通路ですよ!勝手にそんな事していいんですか!?」
「構わん、緊急事態だ。一旦地下に非難させて、様子を見計らって通路を使い壁外へ逃がす。それとも他にいい案があるのか?」
兵士達の顔を見渡し問いかける。誰も、何も言わなかった。
俺は腰のポーチに手をやり、地下回廊の扉の鍵を取り出した。この鍵はノア本人と、各隊長がそれぞれ一本ずつ所持している。通常であればノアが居る時以外は使用を禁止されている物だ。
「ウルス!どこだ?」
俺は一人の兵の名を呼んだ。はい、ここに!と返事の聞こえた方に向けて鍵を投げる。
「この中で一番脚の速いお前に頼みたい。大聖堂まで戻って扉を開けてきてくれ。開けた後はその場で待機、もしエミーラや他の兵に出会ったら経緯を伝えてくれ」
「了解しました!」
ウルスが鍵を受け取り、その場を去ろうとしたその刹那――奇妙で大きな鳴き声が辺り一面に響いたかと思うと、一体の化け物がこちらに向かって突っ込んできた。あまりに唐突だった為周りに指示を出す事も出来ず、気が付けば皆悲鳴を上げながら散り散りに逃げ出していた。自分も咄嗟に化け物の突進によって崩れた民家の瓦礫の影に身を隠した。
「ゴォオアエエエアオヴェェエエエアアアアア”ア”ア”ア”ア”!!!!!」
(なんて鳴き声だよ……!!耳が……潰れそうだ……!)
化け物に見つからないよう、そっと先程まで自分達が居た場所の様子を伺うと、化け物に押し潰されその場で息絶えているように見える者や、吹き飛ばされ倒れている者を数名確認できた。その中にウルスらしき姿は見当たらなかった。
(夢じゃ……ないよな……?)
ふと、背後から砂利を踏みしめる音がして、俺は咄嗟に剣を抜いて身構えた。
「た、隊長!俺です!」
視線の先に居たのは、ラティオだった。こいつはボイジャーの二番隊の兵士だ。隊は違うが、自分よりも年下でやたらとこちらを慕ってくれている。自身の三番隊の連中の誰よりもラティオと会話する事の方が多いくらい、自分にとっては身近で弟のような存在だった。
「ヤバいですよ、エミーラ隊長の言う通り人命救助なんて無茶です!俺達も地下回廊に行きましょうよ!」
声を押し殺してそう叫ぶラティオに向け、俺はかぶりを振った。
「いや、俺はここに残る。市街地へ皆を誘導したのは……俺だ。市民もそうだが、仲間達の安否も確認しなければ。お前は地下回廊へ行け。仲間をこれ以上失いたくない」
「嫌です!大体、一人で何が出来るって言うんです!?大人数で押しかけてこのザマだ……!まだ何も手出ししてないってのに――」
ラティオの言う事は最もだった。俺は食い下がるラティオに何も言えないまま、少しの間沈黙した。炎に包まれる街を見渡す。自分は、このマーテルが好きだ。教会の仲間も、住民達も、よそ者の自分を快く受け入れてくれた。この土地の人間の為に自分が役立つならば、何でもしたいと思っていた。だが――いざと言う時に結局何も出来ずにいる。自分の無力さにただただ腹が立った。