第三話 謎の部屋(1)
こちらがそう言い終えると、ラティオは困惑した表情でこちらを見つめた。
「一度死んだ……」
ラティオは俺の発した単語を復唱した。普通の人間ならば、世迷言を言うなと笑い飛ばすだろう。だが、何故だか俺はコイツにならまともに伝わる気がして――胸中をそのまま打ち明けた。
「おかしいとは思ってたんですよね。今真冬なのに……さっきまで半裸でしたし、今もその毛布全然使う気無さそうだから」
ラティオはそう言いながら、俺の座っている椅子の背に掛けてある毛布を指さした。先程俺が兵士の一人から受け取ったものだ。『身体が』全く寒さを感じないものだから、使わずに掛けておいたのだ。
「俺の事を気が触れているとは思わないのか?」
「俺は……常に自分で見聞きし、体験したものこそが真実だと思っています。貴方は俺の目の前で確かに絶命しました。証拠になるかは分かりませんが――」
そう言ってラティオは自身の腰に付けているポーチの蓋を片手で開けると、中から何かを取り出して机の中央へ置いた。それは、所々に黒い汚れがこびり付いた、全体が金のような物で出来た百合の紋章のブローチだった。
「これは?」
「蒼衛騎士団隊長の座に就いた者だけが、ノア様から直接与えられるブローチです。純金製で尚且つ入手経路が特殊ですから、所持者は限られています。貴方の亡骸から形見として咄嗟に俺が回収しました。黒い汚れは……貴方の血の跡です」
俺はブローチを手に取り、細部を確認した。表面には細かな美しい模様が彫られている。黒い汚れに爪を立ててガリガリと強くこすると、汚れは剥がれ落ち、ブローチには少々爪痕が付いた。純金で間違いない。ラティオの体験談もまた事実なのだろう。だが、これだけでは俺が絶命した証拠にはならない。
「……残念だが、俺を死んだものと勘違いして回収しただけの可能性も十分に有りうる。証拠にはならないな」
「そう……ですよね……」
ラティオは苦笑しながら肩を落とす。俺は左手を顎に当てて宙を見ながら呟いた。
「本当に臓器が剥き出しになる程の状態になっていたのなら……写真にでも収めていれば確実なんだがな」
ん?とラティオは小首を傾げた。
「『しゃしん』って……何です?」
ラティオに問われ、俺はラティオの顔を見返した。
「えっ、何って……」
言葉を繋げようとしたその瞬間、頭の中が真っ白になる。無意識に口をついて出たその言葉の意味が、自分でも分からない。俺は慌てて脳裏に答えを探し求めた。
「何って……光を使って一瞬の景色や様子をそのまま画像として残す……」
――分からない。自分でも何を言っているのか。『しゃしん』とは何だ?だが、思考の追い付いていない頭とは裏腹に、口からは当然のごとくそれについての説明が勝手に出てくる。
「光で画像を残す……画家が描いた絵ではなく、という事ですよね?聞いた事無いな。エルフの技術ですかね?」
「違う、例えば――そう……ダゲレオタイプ。銀版――正確に言えば銀メッキした銅板だが、これを磨いてヨウ素で感光性を持たせる。それをカメラに入れて光を当てた後、水銀蒸気で現像して、チオ硫酸で定着させる。そうすれば撮影した瞬間の光景がそのまんま銀板に残るんだよ。これを写真と呼ぶんだ」
そこまで一気に捲し立てて、俺はピタリと口を噤んだ。
(……何なんだ、今の知識は? 『だげれおたいぷ』?『かめら』って何だ? 何で俺がそんなものを知っているんだ?)
「はぁ?」
ラティオは目を丸くして眉根をひそめながら一言そう返した。当然の反応だ。俺自身にも分からないのだ、コイツにはもっと理解不能だろう。
「すまん……頭が……今になって混乱してきたようだ。自分でも訳の分からない事を――」
言いながらテーブルの上に置かれていたワインの入った銀のゴブレットに手を伸ばしかけた時だった。
≪≪――む、戻ってきてくれ!≫≫
突然何処からか何者かの声が聞こえた気がして、俺はその手をはたと止めた。
≪≪聞こえないのか!?頼む、戻ってくれ!≫≫
ゴブレットを凝視しながら完全に動きを止めた俺を見て、ラティオが怪訝な面持ちでこちらの顔を覗き込んだ。
「隊長……?大丈夫ですか?」
俺は体勢はそのままに、視線だけをラティオに向けた。
「今、お前何か言ったか?」
「い、いえ?何も言ってませんけど……」
ラティオの返答があった直後、ブツン!――と、唐突に何かが頭の中で引き千切れたような音が響いた。それと同時に視界が暗転して、全ての感覚が遠のいていく。
――どのくらいそうしていたのだろうか。鼻腔をくすぐる薪の焦げる匂いと、微かな爆ぜる音で目が覚めた。
重い瞼を押し開けると、そこは先程までの地下回廊の一室ではなく、見覚えのない――けれど、不思議と身体に馴染む、気品ある石造りの部屋だった。室内に満ちているのは、壁際に佇む大きな暖炉の炎の揺らめきと、木製机の上の燭台の火が落とす橙色の光だけ。薄暗い部屋には、壁一面を埋め尽くす本棚の背表紙や、磨き上げられた丸テーブルが静かに沈んでいる。人の気配は無い。ただ、どこか厳かな静寂だけが部屋を支配していた。
(何だ此処は……)
床に敷かれた赤いメダリオン柄の絨毯にうつ伏せの状態で倒れていた俺は、ゆっくりと上体を起しその場に立ち上がった。
「ラティオ……?居るか?」
声を掛けてみたが、返答は無い。パチパチ……と、暖炉の炎の破裂音だけが静かに音を立てていた。
俺はその場からは一歩も動かず、部屋全体を見渡した。本棚で埋め尽くされてはいるが、かなり広い部屋のようだ。大き目のゴシック様式の窓がいくつも設けられており、どれも色ガラスが嵌め込まれ、奇麗な模様が描かれている。外がどういった状況なのかは不明だが、窓からは謎の青白い光が漏れていた。壁には絵画や剣、盾などがいくつか飾られている。天井はかなり高さがあり、仰ぎ見ると、まるで教会や大聖堂のようなリブヴォールト天井になっている。部屋の奥には階段が配置されており、二階部分にまで本棚が置かれていた。
そして床に視線を下すと、木製机の上やその周辺、壁際の本棚周辺に数えきれない程の書物がどっさりと積み上げられている。
そっと背後を振り向くと、自分の真後ろにはこれまた上品な天蓋ベッドが鎮座していた。よく見るとベッドの上にまで本がいくつも散らばっている。この部屋の持ち主はどうやら余程の読み物好きとみて間違いなさそうだ。
そしてベッドの更に奥に視線をやると、そこには大きな両開きの木製扉が存在していた。
(あそこから出られるか……?)
俺は周囲を改めて見渡し、ゆっくりと木製扉に向けて歩みを進めた。ベッドの裏手も覗き込んではみたが、特に怪しいものは見当たらなかった。
扉の少し手前まで辿り着くと、俺はその場で立ち止まり、扉全体を観察した。開けた瞬間に妙な罠などが作動しないとも限らないからだ。とはいえ、特段気になる点は見当たらない。閂受けが無いという事以外は。
一通り観察し終え、扉に近づくと、片方の扉の取っ手に手をかけた。力を入れずに軽く押したり引いたりしてみたが、開く気配は無い。今度は両方の手で両扉の取っ手を持って前後に揺すってみたが、ビクともしなかった。
(この扉……外から施錠されているようだが、その割に金具の音が一切しないってのが引っ掛かるな。それに……何故この部屋は外から施錠されているんだ?倉庫には見えないし……牢獄……ではないよな?)
後ろを振り返り、再び部屋全体の様子を見た。書物が散乱している事を除けば非常に立派な部屋だと思う。俺が過ごしていたマーテル大聖堂の自室と比べても遥かに――
刹那、脳裏に眩いばかりの光景が広がった。
それは、雪山から切り出されたような、石灰岩で出来た壮麗な大聖堂だった。幾本もの尖塔が天を突き、その頂には空の青をそのまま映したかのような、鮮やかな青い屋根が輝いている。神秘的で、息を呑むほど美しかった。マーテル大聖堂……俺が暮らしていた場所。
(……!!少し…思い出したぞ)
そうだ、この部屋は、自分が過ごしていた大聖堂の自室よりも更に立派だと思う。あの部屋は自分には広過ぎたし、生活するのに必要な道具は全て揃っていた。十分過ぎた、これ以上望むものは無いと満足していた、長年過ごした部屋。なのに――今俺が居るこの部屋は、何故だか更に居心地が良い。そう思えてしまう。単純に広さや家具の美しさに心を奪われたのではない。この部屋全体の醸し出す雰囲気が自身の心を落ち着かせてくれるのだ。
(とても人を監禁する為のような部屋には思えないな……)




