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灰色のメイド

「モードリン、イリゼは」

「大丈夫ですよお嬢様、紅茶を被ったのは服の上からだったので特に火傷などはしていません」

「ねぇ、会いに行っちゃ駄目ですか? お礼を言いたいんです」


モードリンは駄目と言ったが、根気強く何度もお願いしていたら最終的には折れてくれた。


「……今回だけですよ。もし誰かがお嬢様の部屋に尋ねてきたときのために、一応私は部屋で待っていますからね」

「うん、そうしてください」


メイド以外は滅多に部屋に来ないし、お父様も朝早くから仕事に出かけているから大丈夫だと思ったが、モードリンには一応残ってもらおう。万が一誰かが部屋に入ってきたとき、誰もいない部屋を見て屋敷中に捜索令が出されたら面倒だ。


そっと自分の部屋の扉を開けると、いつも通り廊下には誰もいない。放っておかれることのありがたみを今回初めて感じた。


モードリンに教えてもらった、イリゼが着替えていると言う部屋を探す。私は屋敷を部屋と玄関くらいしか行き来しないので、九年ここに住んでおいてこの屋敷のことをあまり知らない。お父様の執務室も私の部屋とは反対方向にあるので、随分久しぶりにこちらの方へ来た。だいたいの場所はモードリンの説明で理解していたので、イリゼを探して扉を開け閉めする。お上品とは言えない行動だが、急いでいるのだから仕方がない。私はイリゼと二人きりで話さなければいけないことがあった。


五つ目の扉を開けると、イリゼはそこにいた。


「イリゼ、ここにいたんですね」

「……あ」


ようやく見つけられたことに嬉しくなって駆け寄ると、イリゼはびくりと体を震わせた。たしかにイリゼはそこにいたが、そこにいる人がイリゼだとは脳が受け付けなかった。

イリゼは上半身の服を脱ぎ、紅茶を被った背中を濡れたタオルで冷やしていた。けど、その体はどうも女性には見えない。細くて華奢ではあるが、丸みのまったくないその体はどう見ても。


「……おとこ?」

「っ!」

「ま、待って!」


窓に手をかけ飛び降りようとしたイリゼの腕を掴む。モードリンが火傷はしていないと言っていたので遠慮なく掴ませてもらった。


「誰にも言わない!」

「……は?」

「誰にも言わない。……あなたが女の子じゃないってことは」


いつも無表情なイリゼの瞳がわずかに見開かれる。ほんのすこしだったが動揺したのが分かった。


「……じゃあ、俺を脅して手駒にでもするつもりですか?」


本性を隠す気がなくなったイリゼの顔をじっと見つめる。そして私は大きく頷いた。


「そうです」

「はっ……?」


あまりにもあっさり私が肯定したのでイリゼは面食らったかのような顔をした。


「私に懐柔されてほしいんです」


まっすぐ見つめて言った。本当は怖かった。イリゼは私と歳が近いけど、振り払われたら力では敵わない。もし暗殺目的で屋敷に潜入していた場合、ここで息の根を止められる可能性だってある。

けど、ここでイリゼを手放すわけにはいかなかった。


なぜなら先ほどお母様の部屋でイリゼに庇われたとき、灰色の髪が視界いっぱいに広がったとき。私はまたゲームでの記憶をすこし思い出したのだ。


イリゼはゲームに登場していた。はっきりとした姿は思い出せないし、立ち位置も分からない。けれど、画面に映る灰色の人物はヒロインにナイフを向けていた。


イリゼは『純白エンゲージ』の悪役、かもしれない。


「懐柔? 何を言い出すかと思えば……」

「あなたがどうしてこの屋敷にいるのかは知らないけど……私にとって悪いことなんでしょう」

「……」


この無言は肯定と捉えていいのだろうか。それとも、ただ単に口を割らないように訓練されているだけか。


「懐柔されてほしいって言いましたけど……。あなたに選択肢はないようなものです」

「どうでしょう。ガキ一人から逃げるくらい簡単にできる」

「暗殺の線は薄いと思っています。あなたがこの屋敷に来て三ヶ月になりますけど、殺すならとっくに殺してますよね」


もしイリゼが悪役キャラじゃなかったとしても私に危害を加える存在を野放しにはしておけない。思い出すまではそばに置いておき、悪役キャラだったら協力者として縛りつけ、ゲームの登場人物でなければ騎士にでも突き出せばいい。


「逃げるのは悪手ですよ。あなたがじつは男で、しかも襲われたって言いふらします」


スマートな脅し方じゃないのは充分理解している。けど自分で権力を持たない私に人を脅せるネタなんてこれくらいしかないのだ。


「こんなガキ襲うわけない」

「それでも私が襲われたと喚けば、流石に周りもあなたを捕まえなければいけなくなります。貞淑を重んじる貴族の娘に手を出したんですから」


自分が今とんでもないことを言っているという自覚はある。しかし私は公爵令嬢だ。子供の悪戯だと片付けることのできない高貴な身分がある。


「……そんなん貴族が使う手口じゃないでしょ」

「どうも」

「褒めてないし。てか貞淑を重んじるなら、傷物なんて嫁の貰い手が無くなるんじゃないですか?」

「嫁には行きたくないし婿も取りたくないので好都合です」


どちらに転んでも私には何かしらのメリットがある。対するイリゼに得はないが、今はなんとかして私のそばに縛りつけておかなくてはならない。


「私に寝返ったほうが得策だと思います。うちの屋敷にいる限り報復とかそういうのに怯える必要もありませんし」

「はー……」


イリゼは顔を覆ってしまった。観念したのか、それともコイツめんどくせーなとでも思っているのか。


「もういいよ。手駒になってやる。……こっちでメイドとして働く方が待遇良くしてくれるってことですよね?」

「もちろん。お父様に頼んであなたとモードリンを専属メイドにします。専属にもなるとそれなりのお給料が出るはずです」

「ふーん。ま、いっか。しょうがない」


おそらくめんどくさくなったのだろう。あっさりと私に寝返ることを了承した。犯罪組織か何かから潜り込んできたのだろうが、元々いた組織に情などはなかったのかもしれない。他にも思惑があるだけかもしれないけど、それは追々見極めていこう。



「私を紅茶から庇ったってことは、私に傷がつくと困るからですか?」

「そーだけど」

「じゃあ、人身売買あたりですか? 貴族の子供は高く売れますもんね」

「ほんと、最近急によく喋るようになったよね」


ああ、この人怖いかも、と怯みそうになってしまった。睨まれただけで鳥肌が立つし、足は若干震えていた。しかし今は強気な姿勢を貫き通さなければならない。


「人身売買が目的なんですね」


そう言うと面白くないような顔をして、


「めんどくさ」


と言った。本性はこっちなのかもしれないけど、もしもメイドに戻ってくれたらちゃんと無口無表情なイリゼに戻ってほしい。イリゼが顔を歪ませて今みたいに「めんどくさ」なんて言ったらモードリンたちがびっくりしてしまう。


「あんた、あのメイドに感謝した方がいいよ」

「え?」

「あんたや俺の側にぴったりくっついてたから全然隙がなかった」


モードリンのことを言っているのだろうな、と思った。私に好んで付いている物好きなメイドなどモードリンくらいなものだから。


「この屋敷も気持ち悪いくらい警備が厳重だし。子供一人拐かすのに三ヶ月以上かかるなんて聞いたことないよ。衛兵も騎士もやりすぎなくらいに屋敷を守ってる」

「そこは公爵令嬢という身分に感謝、ですかね……」


お父様のいるこのお屋敷は厳重な警備が敷かれている。つまり屋敷に引きこもってばかりの私も騎士たちの恩恵を受けられるのだ。

騎士は正直好きじゃない。うちの屋敷の騎士はお父様に心酔してるからか、王城や他の家にいる騎士よりもなんだかおっかないのだ。仲の悪い王国騎士団には苦言を呈されることもしばしばあるらしい。たしかに正統派騎士の集まりである王国騎士団と殺戮部隊のようなアスティード家の騎士団では方向性が百八十度ちがう。


「騎士はおっかないですけど、一応守ってはくれるので」

「一応、ねぇ」


そう、一応。あの騎士たちの主人はあくまで私の父であるジーヴル・アスティードだ。私ではない。主人であるジーヴルの子供だから一応守ってはくれるけど、お父様が私を殺せと命じれば迷いなくその剣は私の首を刎ねるだろう。実際、ゲームのルートによってはユニベルは騎士に捕らえられてから宇宙に飛ばされる。宇宙の塵になる前に騎士をワンクッション挟むのだ。


本当はユニベルを宇宙へと飛ばす“死刑専用の転送装置”を破壊できれば良いのだが、それはあまり現実的ではない。転送装置自体はこの国に三つあるし、仮に死刑専用のものを破壊できたとしても他の二つで宇宙に飛ばされてしまう。

転送装置を作り出した技術者はかなり昔に亡くなっていて、修理の仕方が分かる人はいないと言われている。いわば転送装置は失われた技術なのだが、私が転送装置を破壊した後に転送装置を修理できる天才技術者がひょっこり現れる可能性だってある。


そもそもユニベルに転送装置を破壊できるだけの力はないので、騎士に捕まることと宇宙の塵になることはほぼイコールでつながっている。

ルートによってはユニベル自身から転送装置に飛び込んで自害していた気がするけど、私に自害する勇気はない。


「詳しい話はまた今度。男だってバレないようにさっさと着替えてください。薬が必要なようであれば私がなんとかして手に入れますから」

「はいはい」


イリゼがめんどくさそうに扉から出ていくのを見送って、少し考える。イリゼがいた人身売買組織はどういったものなのだろう。

イリゼが売り物ではなく実行側にいたことも気になるが、もし本当にイリゼがヒロインの前に立ちはだかる悪役だった場合、イリゼを側に置いておくことは良いことなのだろうか。イリゼが悪役だとしたら、私が彼を制御し切れるとはおもえない。


しかし、さっきお母様に紅茶をかけられそうになったとき、普通の人ならあの状況の私を庇うことは相当難しい。それこそ訓練された騎士並みの瞬発力がないと不可能だろう。イリゼが私を守ってくれれば心強いかもしれない。そう思ってイリゼをなんとか側に置き続けて私を守ってくれる存在を作ろうとしているわけなのだが、それは正解なのだろうか。



分からないけど、イリゼは商品に傷を作らないようにするためとはいえ迷いなく人を庇える人だ。そのことは、少しだけ信用に値すると思った。

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