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謝罪の応酬

地獄のお茶会から二週間ほど経ったある日のこと。私は平和を満喫していた。


たくさんの家庭教師に囲まれて勉強をしていれば外に出なくてもいい、外に出なければ危険なものは何もない素晴らしいいつも通りの日々。お茶会の前は勉強漬けの日常が嫌だったけれど、攻略対象者と遭遇したり刺客に追いかけられたりするよりはずっとマシだ。危険な目に遭って初めて私は日常に感謝して過ごしている。


「お嬢様、お勉強お疲れ様でした。お茶とお菓子を用意いたしましたよ」

「わぁい、ちょうど甘いものが欲しかったんです」

「そう言うと思いまして、とびきり甘いものを作っていただいたんです。お茶もお淹れしますね」


いちごのタルトに私好みの上品な甘みのある紅茶がおやつに食べられるのは数少ない貴族に生まれて良かったことの一つだ。料理人は外部から雇っているので私の好物をおやつに出してくれる。メイド長や執事長を筆頭とするお父様に心酔している人たちは私におやつなんて出してくれないのでとてもありがたい。


お勉強の合間のティータイムは私にとって至福の時間だった。

けれども、幸せが壊れるのはいつだって一瞬だ。たとえば今、私がタルトを味わっているとお父様付きの執事が部屋に入ってきたときに扉が開かれた音とか。それだけで私はおやつタイムを奪われることになるのを察した。だってお父様に心酔する使用人は基本私の部屋には入ってこない。お父様が私を呼びつけたとき以外は。


「失礼いたします。旦那様がお呼びです。早急に執務室にいらしてください」

「……分かりました」


素晴らしく簡潔な業務連絡である。分かりやすいがなんだかほんのりと圧を感じる。


「あの、せめてタルトだけでも食べさせて差し上げても……。タルト一切れくらい、すぐに食べ終わります」

「早急に執務室にいらしてください」


モードリンが庇ってくれたが、ぴしゃりと断られてしまった。この執事は機械でできているのであろうか。もしかしたら背中にゼンマイがあるかもしれない。


「大丈夫ですよ。次の先生がいらっしゃるまでには終わると思うので。タルト、残してしまってすみません」

「いいえ、いいえ……! 一応、次の授業の直前までは片付けるのを待っておきますね」

「ありがとう」


モードリンは優しくしてくれるので、いつ結婚して家を出て行ってもおかしくない年齢なのが寂しい。アスティード家にメイドは数多くいるが、モードリンほど私を憐れんで愛情を注ごうとしてくれるメイドは一人しかいないから。


執事は体の小さい歩幅など気にしてくれないので私は小走りになってついていく。

そういえば次は何の要件だろう。断れないようなお茶会はもうないだろうからそこまで身構えなくても良いはずだけど。


そんなふうに思ったこのときの私は考えが足りていなかった。お茶会なんぞよりももっと恐るべき案件で私は呼ばれたのだから。





「失礼します」

「来たねユニベル」


執務室に入ると、珍しくお父様は手を止めてこちらを見た。私と同じ赤い瞳は何を考えているか分からないのに、私のことは全て見透かされているような心地がした。


「私は聞いていないよ」

「……何をでしょうか?」

「いつの間にかアイゼア第二王子殿下とお近付きになっていたとはね」


……あ。そうだ、現実逃避していたけど私は第二王子のアイゼアとエンカウントしていたのだった。黙っていればなんとかなるかなという浅はかな考えから報告しなかったが、うっかりそのまま忘れてしまっていた。


「刺客に追われたことも王子殿下から聞いたよ。なぜ報告しなかった」

「……その、詳しい事情がまったく分からなかったのでどうすることもできず……。しかしお父様には報告すべきでした。自分の浅慮を深く反省します」

「まぁ別にいい。ただユニベル、君も貴族の娘に生まれたからには理解していると思ったのだが。君は第二王子殿下を命の危機から救ったということになっている。王室はそのことを無視はしないはずだ」


いやむしろ私が助けられた方ではないのか。いや、というか完全にやらかした。お父様にはさっさと報告すべきだったのに、お父様とその周りの使用人たちに怯えている間に二週間も経ってしまっていた。


「そんな……そこまでのことはしていません」

「とりあえず、応接室にアイゼア様がお待ちだ。いきなり尋ねて来られてね、お相手して来なさい」

「えっ」


お待ちしてるんですか。アイゼア第二王子殿下が? しかも貴族の家にアポ無し訪問って、そんなことが許されるのだろうか。いや、許されるんだろうな。だって王族だもの。


それよりもこれは確かにタルト食べてる場合じゃない案件だ。王子様を待たせるなんて不敬がすぎる。これでユニベルの印象が悪くなりでもしたら最悪だ。せっかく大人しく地味に生きていこうと誓ったのに、これでは生き残るための道がグッと狭くなってしまう。


「話は終わりだ。行きなさい」

「は、はい!」


廊下に出て執務室の扉を閉めた瞬間ダッシュで応接室へと向かう。なんとかして宇宙の塵になるのを回避するためにこんなところで攻略対象者の不興を買うわけにはいかないのだ。


「はぁっ……ひぃっ……」


引きこもりのしょぼい体力をここまで呪ったことが今まであっただろうか。護身術や体力作りを授業のメニューに組み込んでもらった方がいいかもしれない。そもそも私の要望を聞いてくれるかは分からないけれども。


応接室の前につき汗を拭う。息を整え、教え込まれた笑顔を貼り付けて扉を開けた。


「お待たせして申し訳ありません、アイゼア第二王子殿下」

「いや、こちらこそいきなりごめんね。手違いで訪問の書状が届いていなかったみたいで」

「いえいえ、そんな……」

「……」

「……」

「……座らないのかな?」

「あっ! いえ、失礼します……」


ああ、どうしよう。不興を買うまいと意気込んだのはいいものの、何も喋れない。喋れることがそもそもない。そうやって私があたふたしていると、アイゼアの方から口を開いてくれた。


「改めて、このあいだはありがとう」

「いいえ……私の方こそ助けていただいて」

「それは違うよ。君が来て刺客の気を逸らしてくれたから僕は今もこうして生きているんだ」


いくらなんでも買い被りすぎだと思う。でもこれ以上否定するのは逆に不敬な気がしたので大人しく受け取っておくことにした。


「それにお礼が遅くなってごめんね。君が貴族令嬢というのは分かっていたんだけど、どこの家の子かは分からなくて」

「いえいえ、私こそご挨拶もせずにすみません」


……どうしよう。何を話せばいいのだろうか。とりあえずよそ行きの笑顔を浮かべようとしたがどうしてもできなかった。マナーの先生にあんなに教え込まれたのに実践はできなさそうだ。先生よ、出来の悪い生徒で申し訳ない。


「でも見つけられてよかった。君にきちんとした謝罪をできないままなのは嫌だったから」

「謝罪だなんてそんな。私はどこも怪我していません。それにお茶会の日に私とアイゼア様が刺客に襲われたことはお父様も知らないようでしたし、わざわざ来ていただくほどのことでは……」

「……アスティード公爵に言っていなかったのか」


あっ。そうだ、さっきも報告を忘れてお父様に怒られたばかりだった。慌てすぎてつい口を滑らせてしまった。


「俺が言うのもなんだけど、従者もつけずに人気のない場所へ行くのは良くないよ。あの日君が一人であの場所に現れたことがずっと不思議だったんだ。護衛の騎士はどうしたのかな」

「騎士……ですか? 私に護衛の騎士はいません。お茶会でも騎士は警備をしていたエルディライト騎士団の者しかおりませんでしたでしょう」

「……いない? ならそのエルディライトの騎士団に護衛を頼めば良かったんじゃないかな」

「え?」


そんなことしていいなんて知らなかった。いや、たとえ良くても騎士を側につけることはあまりしたくないから護衛を頼むなんてことしないだろうけど。

でも刺客がウロウロしているというのならたしかに護衛騎士は必要かもしれない。ユニベルは貧弱なので襲われたらひとたまりもないし、私はまだ死にたくない。


「もしかして知らなかったの?」

「つ、次からそうします」

「なんだか心配になるな。君はあまりにも公爵家の令嬢らしくない」

「……ごめんなさい、本当に知らなかったんです。騎士に護衛を頼んでいいなんて」


責められている気がして、思わず言い訳をしてしまった。狼狽えながら言葉を紡ぐ私が気の毒に思えたのか、アイゼアは雰囲気を和らげて困ったように笑って見せた。私と同い年のはずなのに、まるで私を宥めるような笑みだった。


「ごめんね、責めているわけではないんだ。本当に心配しただけ。気を悪くさせたなら謝るよ」

「い、いえ。私こそすみません。体が弱くて家にいてばかりなので、知らないことが多くて」


言い訳ばかりスラスラと出てくる自分が少し嫌になった。けれど体が弱いのも世間知らずなのも本当なので嘘をついているわけではない。しかしこれも言い訳だろうか。


「……なんだか、俺は君に謝らせてばかりだね」

「それは、お互いに、かと」


じわじわと、氷が溶けるみたいにアイゼアのまとう雰囲気があたたかくなっていく。怯える私の警戒を解こうとしているのか、警戒する価値もない人物だと判断したのかどちらだろう。後者だったらいいなと思う。警戒されることがなければ私も安心できるし、冤罪をかけられたりする可能性もグッと低くなる。

少し遅れてアイゼアの単純な優しさであるという可能性も思いついたが、考えないことにした。良いことばかり考えていると悪いことが起こったときに辛くなってしまうから、無駄な期待はやめておいた方が心を守りやすくなる。優しさから目を逸らす罪悪感を感じながらも、私にはこうすることでしか自分を守る方法が思いつかない。


「そんな、ことないです」


ヒロインのシャーロットが惹かれたアイゼアの優しさを直視するのが怖かった。モードリンやイリゼにたくさん優しさを貰ったが、それでも私はいまだに優しさの受け取り方がよく分からない。


「改めて、俺の事情に君を巻き込んでしまってごめん。……怖かったよね」


アイゼアが気遣うように私を見つめる。そのとき、シャーロットがアイゼアに惹かれた理由を理解できてしまった。ゲームの内容はいまだにぼんやりとしか思い出せないけど、きっと素敵なルートだったんだろうなと思った。


「……アイゼア様こそ、大丈夫ですか。怪我されてましたよね」

「ああ、大丈夫。かすり傷だよ。もう包帯も取れているから気にしないで」


気にしないでと言われても、がっつり血が出ているところを見てしまった身としては難しい。王族なんて滅多に怪我しないはずなのに、やはり内部でのいざこざがあるのだろうか。


「ごめん。そんな顔をさせたかったわけじゃないんだ」

「あ、えっと……」

「でも、俺のことを怖がっているのに心配してくれるんだね」


怖がっていることはバレていた。若干気まずい空気が流れている気がしたが、怖いのは仕方がないではないか。将来私の死因になるかもしれない相手だし、そもそも一国の王子だ。私にも公爵令嬢という身分があるにしても恐怖と緊張で吐きそうになるのも別におかしいことではない。

まだ九歳のはずのアイゼアはものすごく大人びていて仕草ひとつひとつが優雅だった。アイゼアといいアルバートといい、王族というものは本当に私と同じ生き物なのだろうか。やはりおっかない。


「私のせいでもありますから」

「それは違う。君は巻き込まれただけだ」


何を言ってもアイゼアにフォローされるような形になってしまう。自分がコミュ障だということは自覚していたつもりだったが、ここまでとは。最近はイリゼやモードリンみたいに慣れ親しんだ人と会話することが多かったから気付かなかった。


「そうだ、もうひとつ謝らなければならない。君のハンカチを駄目にしてしまった」

「ハンカチ?」


アイゼアは一通の招待状と新品のハンカチを差し出してきた。そういえばアイゼアが腕からだらだらと血を流していたのが気になってつい応急処置に使ってしまったんだった。応急処置といっても止血するために腕に巻きつけただけだけど。


「ハンカチはできるだけ似ているのを探したつもりなんだけど、気に入らなかったら捨ててもらっていいよ。その招待状は今度母上が茶会を主催するからぜひ君もどうかと思って。そこで改めてお礼をさせてほしいな」

「えっ、そんな、お礼はもう充分していただきましたよ」

「ユニベル嬢はどんな菓子が好きかな。教えてくれたらできる限り用意するよ」


どうしよう、王子直々のお誘いなんて断れるわけがない。それに断ったとしてもお父様側の使用人が給仕として部屋の中にいる。その使用人からアイゼアのお誘いのことはお父様に報告されてしまうだろうから誤魔化すこともできない。攻略対象者と関わらないように生きていこうと思った途端これだ。宇宙の塵にまた一歩近付いてしまった。


「……ぜひ……参加させていただきます」


当然私に断る権利などないので、引き攣ってしまった笑顔がアイゼアにバレていませんようにと願うことしかできなかった。


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