【三百七 太上老君、二弟子の不在にようやく気づく】
宝貝作りがひと段落ついた太上老君は作業台から顔を上げ、うんと伸びをした。
パキパキと体のあちこちから苦情の音が上がる。
そんな音を無視して少し無理やりに体をほぐした太上老君は、兜率天が普段より静かなことにようやく気づいた。
「金炉!おらぬのか、銀炉!」
集中して作業していたため、小腹も空いたし喉も渇いた。
童子たちと茶でも飲もうと、太上老君は厨を覗いたが金炉精も銀炉精もいない。
仕方なしに自分で湯を沸かし、茶を淹れる。
「まったく、どこへいったのやら……」
そうぼやき、お茶請けに食事がわりの金丹を齧ると、太上老君は兜率天を後にした。
太上老君のところにも浄玻璃の鏡のような機能を持つ宝貝はあるのだが、管理を弟子たちに任せきりで、どこにしまっているのかかまったく見当もつかない。
仕方なしに二人の弟子を探しに彼が向かったのは、観音菩薩のところだった。
観音菩薩の住まう普陀山は何やら慌ただしく、天女や天将、童子などがバタバタと走り回っている。
「なんだなんだ、騒がしいな……」
普段であればしんとしていて、客人の来訪には誰かしら気づくのに、誰一人太上老君の応対をする者はいない。
恵岸行者でさえ出迎えに出ないことから、緊急事態なのは確かなのだろう。
「また玄奘たちになにかあったかな……」
太上老君は首を傾げながら来なれた観音菩薩の居室へと向かう。
「観音菩薩、すまんが浄玻璃の鏡を貸してくれぬか?」
太上老君は旧知の中でもある観音菩薩の返事を聞く必要はないと扉を勢いよく開いた。
すると突然、太上老君は飛び出してきた観音菩薩に凄まじい力で両肩を掴まれた。
「あなたは!今頃どの面下げてここに……!!」
「った、落ち着け、観音」
観音菩薩の手を外し、襟元を整えながら太上老君は咳払いをした。
普段であれば観音菩薩の暴走止めるはずの恵岸行者まで不在だ。
「何があったのだ。話が見えぬぞ……」
人手の足りていないような、ただならぬ普陀山の様子に、さすがの太上老君も不安になる。
「これを見てください!」
太上老君が尋ねると、観音菩薩は食い気味に浄玻璃の鏡を指さした。
「ほら、ほら」とせかせかと促され、太上老君は浄玻璃の鏡を覗き込んだ。
そこには弟子たちの姿はなく、石の床の上に紫金紅葫蘆がポツンと写っているだけだった。
(はて、誰にわたしたものだったか……)
今までたくさんの宝貝を作ってきた太上老君には、あげたものがそうでないかの記憶も曖昧だ。
作ることには意欲を燃やすが、完成して仕舞えばその興味をとたんに失うからだ。
「わしの宝貝ではないか。これがどうかしたのか?」
「どうかですって?!よくもまあ、いけしゃあしゃあと!あなたの弟子二人が玄奘をそこに閉じ込めてしまったんですよ!」
「は?」
顔を真っ赤にして憤る観音菩薩に、太上老君はきょとんとして首を傾げた。
現状を読めずにいる太上老君に呆れながらも、観音菩薩はため息をつき説明を続けた。
「あの子たちの母親は永らく伏せっているでしょう?彼らは玉果である玄奘を母親に食べさせれば回復すると考えたようです」
「なんと……!」
一息に言って肩で息を吐く観音菩薩を前に、太上老君は頭を抱えた。
想像していた以上のことを、弟子たちはやらかしたようだ。
「どうせあなたのことです。宝貝作りに夢中で、弟子のことなどほったらかしだったのでしょう?」
チクチクと観音菩薩に言われ、太上老君は返す言葉もない。
「すまない、あの二人はわしがなんとかしよう」
「ええ、そうしていただけるととても助かります!なにしろ、私たちは仏敵の討伐やら最近きな臭い動きを始めた牛魔王たちに対応しなくてはなりませんので」
「うむ、わかった、わかった」
鼻息荒く言う観音菩薩にタジタジとなりながら、太上老君は逃げるように雲に飛び乗ると普陀山を後にした。
「まったくあやつら……」
太上老君はため息をつき、弟子たちの元へと急いだのだった。




