貴族と平民
「おはよう!」
「……おはようございます」
王立図書館、アイルーベルトに連れられてリーシアが向かうと、満面の笑みで待ちきれないとばかりに館内からジュリアスが飛び出してきた。
「ジュリアス様、妹をよろしくお願いします」
アイルーベルトが自然に膝をついてジュリアスを見上げる。
「あぁ。貴族を笠に着て無理を強いることはしないと誓う」
「ありがとうございます」
アイルーベルトが深く頭を下げて立ち上がる。
「では、私は依頼へ向かいます。帰りは、宿まで送ってくださるとか」
「あぁ。それでも、お前の帰りよりは早いと思うが」
「承知しました。お願いします」
リーシアの頭を撫でて去っていったアイルーベルトを見送り、ジュリアスがリーシアの手を取る。
「図書館の奥にお茶ができるスペースがあるんだ。まだ見たことがないだろう?」
「えぇ」
「しばらく、中庭で話すのもいいな。日が暖かい。しゃべり疲れたらお茶をしよう」
「はい」
はしゃぐジュリアスに手を引かれて、共に中庭へ向かう。
「5歳児を金で雇ってしゃべり相手にするなど、誰かに止められませんでしたか?」
「誰にも。言っただろう? 俺はいろいろと放任なのだ。それに、お前から知識を得るわけではない。暇つぶしの話し相手が、この街の外のことを話せるのだ。同じ年の貴族の子供と話すより、有意義だと思っている」
日の熱を貯めて温かい芝生に座り、ジュリアスは空を見上げる。
「魔術師には、この世界はどのように見えるのだ?」
「どのように、とは?」
「魔術を使える人間は珍しい。俺の兄弟は全部で12人いるが、魔力があるのは5人。実践レベルで使えるのは、1番目と5番目の兄だけだ。魔術は存在しても、それを身近にできるのはわずかな人間だけ。そんな魔術師が見る世界は、俺が見るのとは違うんじゃないかと思ってな」
手慰みに芝生をちぎっていたジュリアスがリーシアを見つめる。
「驚きました。私を雇って、まずは冒険の話や、私自身のことを聞かれるかと思っていたので」
「兄にはこんなことは聞けない。魔術師を特別視していると思われたくないからな」
魔術師は人智の及ばない力を使う。だからこそ、その理解の難しさから迫害を受けた歴史もある。結果としてどうなったかといえば、魔術師の人数が減少の一途をたどった。
せっかく、人の限界を超えた力の存在があっても、その使い手がいない。治療魔術は平民には手が出せないし、それ以外の生活に便利な魔術も使えるものは限られる。
貴族として、魔術師との融和を教えられているのだろう。世情に合っている。そうであれば、魔術師が普通の人間と違う世界を見ているのでは、などと、口に出しづらいのもよく分かった。
「……空の色は、何色ですか?」
「青だが……」
馬鹿にしたような質問だが、ジュリアスは大人しくリーシアの問いに答える。
「貴族が見ても、平民が見ても、空は青です。……流れている血は違うのに」
もちろん、貴族と平民は同じ人である。ともすれば、違う血が流れていると言い切ったリーシアの言葉は、貴族を揶揄するようなものにも聞こえる。
「……そうだな。バカなことを聞いた」
「例えば、治せるから、と怪我を恐れなくなった、人の痛みが分からなくなった魔術師を、私は知りません」
魔術を理由に、生き方は変わらない。もし、一般に悪と言われる世界へ、足を踏み外した魔術師がいたとしても、それは魔術師だから人の道を外れたのではない。その人間性が理由である。
中庭を離れて、ジュリアスに連れられるがまま、貴族エリアの奥へ向かう。窓際のテーブルに案内されて座ると、まもなく湯気が立つティーカップが差し出された。
至極自然にジュリアスの手が付けられるものに対して毒見が行われるのを、無感情に見つめる。
「すまない、待たせたか?」
「いえ」
ジュリアスの準備が整ったのを見て、カップを口へ運ぶ。茶葉の香りが鼻に抜けて、生まれてこの方、初めて飲んだ美味しさに自然と感動した。生まれ変わる前、前世では当然だった嗜好品。それでも、前世で飲んでいたレベルのものを口にするには、貴族位がいるらしい。
「……気に入ったようだな」
「はい!」
満面の笑みで大きく頷いたリーシアに、少し目を見開いて、ジュリアスも破顔した。
「本の時も思ったが、お前は本当に好きなものがはっきりしているな。普段、無口だから、余計に面白いよ」
ジュリアスが揶揄うように告げるが、それで臍を曲げるほどリーシアの精神は幼くない。なにも気に留めず、ただ、幸せそうにティーカップから口を離さない。
そんなリーシアをジュリアスも満足そうに見つめた。
リーシアがジュリアスの元へ通うようになって1週間。今日も、リーシアは図書館へ来ていた。アイルーベルトがリーシアを図書館へ送ったのは初日だけで、それ以外はアイルーベルトが朝、ギルドへ向かう途中で、彼女を迎えにきたアルマンに託すことになっていた。
「いつもありがとうございます」
図書館で自分を出迎えるジュリアスに目を合わせて、視線を挙げないまま、リーシアがアルマンに告げる。
「いえ。わたくし共こそ、リーシア嬢には感謝しています」
何に対する感謝かは聞かずに、リーシアはすぐそこで自分に向かって手を差し出したジュリアスに応えるのだった。
「リーシア。俺にはお前に対する願いが2つある」
「……なんですか」
「まずは、俺も、お前を兄のように呼びたいのだが」
どこかで、アイルーベルトがリーシアのことを『リーシャ』と呼んでいるのを聞いたのだろう。おそらく、アルマン経由だろうか。
「どうぞ」
別に、限定販売しているわけではない。呼びたければ好きに呼べばいい。リーシアはあっさりと許可を出した。
「もう1つだが」
先の願いと打って変わって、ジュリアスが言い淀んだ。
「……」
リーシアはとくに急かすでもなく無言である。
「お前、俺を呼ばないよな」
「……そうですね」
意図的なのがバレてしまったようだ。リーシアがそれを認めたのもあって、ジュリアスが珍しく不機嫌そうにしている。
「なぜだ?」
「不敬になるので、言いません」
尋ねられて、リーシアは正直に返す。突拍子のない返事だったのか、ジュリアスが僅かに目を丸くした。
「俺も、アルマンも、他のものも、聞かなかった振りをするので、言えばいい」
「……『様』を付けて人を呼びたくないからです」
「それは……俺に限らないということか」
少し面食らったようではあったが、ジュリアスに限定した思いがなかったのに少しばかり安心したようだ。
「そうですね。『様』という敬称が、私には扱いきれません。そういった存在を理解できないから。あまりに立場が違いすぎると、どれだけ頑張って見上げても、遠すぎて見切れてしまうのです」
「そうなのかもしれないな。普通、流浪の冒険者は貴族等と親しくはしないものだ。様や卿を付けて呼びながら、見ているのは血筋や家格だけ。否、それは貴族同士でも余程親しくなければそうかもな」
ジュリアスが小さくため息をつく。
「お前は、俺の血筋を、家柄を見たくない、ということか?」
「見たくない、というと語弊がありますが。それで判断する気はありません」
「そうか」
ジュリアスはわずかに微笑んで、リーシアの頭を撫でる。リーシアの身長が低いのもあって手が届きやすいのか、ジュリアスは事あるごとにリーシアの頭を撫でた。
「ユーリ。親しいものはそう呼ぶ」
「……ユーリさん」
「ははっ」
リーシアの呼び方にジュリアスは声を上げて笑った。ジュリアスは敬称に『さん』を付けられたのは初めてだった。それは、そうだろう。貴族社会では誰彼構わず『様』や他の敬称を付ける。ユーリに『様』を付けなくてよい者など、親や兄らのみだ。『さん』というのは、いかにも平民と見える彼女らしい呼び方で面白かった。
「呼び捨てでもよかったのに」
「さすがに。……年上なので」
前世でも、呼び捨てしたのはごく僅かの懐に入れた者だけだった。敬語も、敬称も、笑顔も、リーシアにとっては防護服である。それを取っ払うのは、真に心の奥底まで侵入を許した人間だけ。それは、今の兄ですらありえない。




