5歳児への依頼
その日、リーシアは一人で王都内を歩いていた。アイルーベルトは依頼を受けて、都市の外へ出ている。慣れた都市では、何日かかかる長期の依頼も受けるが、それは宿の人間がリーシアに慣れてからだ。
人付き合いが苦手なリーシア1人を置いて、夜を越させるには、宿の人間がそれなりに気を使ってくれなければ心配だった。
もちろん、そんな兄がリーシア1人で宿を出る許可を与えるわけがない。つまるところ、リーシアは勝手に宿を抜け出していた。
1度しか通っていない道を、しかし正確に辿り、図書館へ向かう。
借りていた本を返すと、次に借りる本を探しに、前回は時間の関係で立ち入れなかった貴族エリアへ向かった。
元々、図書館にいる人間は少ない。一般の国民は文字が読めないし、読めても読書に費やす時間など持たない。貴族は自分の屋敷に必要な本が揃っているので、他人と本を共有する感覚など持ってはいないのだ。
貴族エリアに人が多ければ、トラブルを避けるため、リーシアは足を踏み入れなかっただろうが、思った通り、その心配はなく、1人のんびり本棚の森を散策していた。
「……3日ぶりだな。……本当に本が好きなのか」
階段状になった本棚に腰かけたジュリアスから声をかけられ、リーシアは立ったまま頭をさげる。
「出入りの許可は与えたものの、ここに出入りするのは俺くらいだと思っていた」
「……」
「暇はあるのか?」
黙ったままのリーシアに何を思ったのか、ジュリアスが尋ねる。
「この間はアイルーベルトが武器屋に寄ると言って、すぐに去っていっただろう?」
「……今日は」
アイルーベルトがいない。それを知られれば、リーシアが1人でうろついていることがばれるだろう。それを思って口籠ったリーシアの様子に、気付かれてしまったようだった。
「兄はいないのか。……まさか、お前が宿を抜け出すほどお転婆とは思わなかったな。否、それほど本が好きなのか」
座っていた本棚から飛び降りて、曖昧に笑顔を浮かべるリーシアの頭に手を置く。
「わざわざ告げ口したりはしない。思った通り、アイルーベルトは依頼にはお前を連れて行かないんだな。余程暇だろう」
「……」
「俺の話し相手にならないか?」
「……兄相手に依頼を出しているのを知っていますよ」
先日、ジュリアスと分かれた後で、アイルーベルトに狙いを定めて出された依頼のことは、兄自身から話を聞いている。ジュリアスの申し出は、有償ですら断っているのを忘れたのだろうか。
「アイルーベルト相手ではないぞ。15歳未満の冒険者相手だ。……お前も対象だ」
「……」
入館証を交換するときに、リーシアが自分の入館証を持っていたことを知られている。冒険者登録をしているのも分かっているのだろう。
「……こっそり、受託されたことにしておく。あれは常設依頼だ。お前が受けたところで、取り下げないし、受託されたこともバレない」
リーシアを逃がす気はないのだろう。有無を言わせぬジュリアスの言葉に、首を振った。
「話し相手にはなります。ただし、依頼抜きで。……お望みのお話をできるかわからないので」
「お前は無口だからな。俺がしゃべり続けることになりそうだ」
聞かれたことに対して、次から次へとしゃべりたくない。リーシアの心の声が透けたのか、ジュリアスが苦笑して頷いた。
「俺の上には6人の兄がいてな。基本的に、俺には何も期待されていない。1番上の兄のように後継者になれとも。2番目の兄のように文官になれとも。3番目の兄のように騎士になれとも。4番目の兄のように研究者になれとも。5番目の兄のように魔術師になれとも。6番目の兄のように政略で婿に行けとも。どの道を選んでも2番目なのだ。おそらく、すぐ上の兄のように、別の貴族令嬢の婿になって、その爵位を継ぐのだろうな」
「……」
淡々と語るジュリアスの言葉を、リーシアはぼうっと聞いている。本は好きだが、それは暇つぶしとして好きなのであって、暇がつぶれるのであれば、他人のひとり語りを聞くのも同じことだった。
「そんなわけで、護身術以上の剣の腕も求められないし、勉学は家庭教師などつけず、再来年から通う学園で学べば十分だと思われている。魔力はないので魔術は使えない。……今は自由にしているんだ。図書館に入り浸っているのは、貴族が少ないからだな。本棚のおかげで、人の視線も集まり難い。お前のように本が好きなわけではない」
「そうですか」
退屈そうである。全く、貴族に育たなくてよかった。リーシアは自分を捨てた母に感謝していた。
「試しに王都を出てみたが、2週間ほどの旅路にあの馬車と護衛だ。しかも、俺は休憩中、峠の崖から足を踏み外しかけて、代わりのものに怪我をさせた。あの場面、当然のように俺を庇った護衛が切り捨てられそうになって……。分かってはいたが、窮屈なものだ」
護衛対象が怪我をしそうになれば、それを身を挺して庇うのは当然であるし、結果として自らが怪我を負い、あとの旅路の足かせとなるのであれば、切り捨てられるのが当然である。……貴族社会であれば。
ジュリアスは理解しながらも、窮屈さを感じているのだろう。
「リーシアは歳はいくつだ?」
「5歳です」
「……その年で、俺よりもずっと広い世界を生きているのだろうな。……あぁ、もちろん、旅に伴う苦労や危険を度外視しているわけではないぞ」
「分かっていますよ」
自分を捨てた親に感謝しているくらいだ。リーシアをうらやましそうにするジュリアスの気持ちも分かった。
「……やはり、お前に依頼をしてはだめか?」
「……」
「アイルーベルトが依頼に出ている間、お前を話し相手にする。金も出す。俺には護衛がついているから、宿で1人でいるよりお前も余程安全だ。安全に、金を稼げる。お前の好きな時に図書館に連れていけるし、それ以外の店にも立ち寄れる」
自分を真剣に見つめるジュリアスを見返す。
彼は、貴族の地位を振りかざせば、アイルーベルトやリーシアを思い通りにできると分かって尚、その手段を取らない。2人の意思を尊重しようとする。
「……」
「兄を説得してくださいね」
リーシアは暇だった。嫌になれば、すぐに国を出ればいい。本ならどこででも読めるが、子供の話し相手で金を稼げるのは、他の都市ではできないだろう。それも、目の前の物分かりのよい、生きづらそうな子供相手には。
遠まわしのリーシアの了解に、ジュリアスは目を輝かせて、その手を握った。
リーシアが宿を抜け出したことがバレないよう、何も知らないアイルーベルトが夕刻、王都に戻ったところで、アルマンが声をかけることになった。
はじめは、自分が断ったからと妹を呼び出すとは、と断るつもりだったアイルーベルトだったが、一応、リーシアにも尋ねてくれ、とアルマンに頼まれ、渋々とその通りにした。
リーシアが頷いたのに、心から意外だと告げながら、とはいえ妹に甘いアイルーベルトのこと、自分が王都を空ける間のリーシアの安全も保障されるとあって、最後には折れることになった。




