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プロローグ

玉座の間を満たしていたのは、祝祭の歓声ではなく、死臭と鉄錆の混じった、不穏な静寂だった。



この王国カナンを飲み込まんとしていた『深淵の魔獣軍』を、俺の軍略によって完膚なきまでに殲滅した直後の光景だ。


焦げた大地、切り刻まれた魔獣の死骸、そして勝利の余韻。すべては俺の計算通りだった。



「……何故、私を断罪する。魔獣軍の全滅は予定通りだ。生存率は想定値を上回った」



玉座に座る老王と、その横で聖女の冠を被ったエレナを見上げ、俺は淡々と告げた。



彼らの視線には、国を救った英雄への敬意など欠片もない。あるのは、理解不能な異物を見る怯えと、使い古した道具を捨てる安堵だけだ。



「英雄? いいえ、貴方は魔物と同類よ」



聖女エレナが、聖なる杖を俺に向ける。その瞳には、かつて俺に寄せられた信頼の影すらない。



「人間には扱えぬ知略、戦場を支配する冷酷な軍略。……貴方が魔獣軍を操っていたのではないのですか? そうでなければ、これほど完璧に奴らが全滅するはずがないわ」



 ――なんと、お粗末な論理だ。



俺が魔獣を呼び寄せた証拠などどこにもない。だが、ここで「論理」を説くことは、最も非効率な行いだった。民衆は「裏切り者」を欲し、王は「犠牲」を欲している。


俺がどれほど正確に計算しようとも、人間の『恐怖』という変数は、どれだけ計算してもゼロにはならない。


騎士たちが、俺の両腕を乱暴に掴み上げる。


鎧の隙間から伝わる冷たい感触。俺は抵抗しなかった。


生存確率0.00%。この不条理な劇に、ここで幕を引くのが最善手だ。



俺は処刑の断頭台ではなく、王国カナンの外れにある「奈落の崖」へと引きずり出された。


集まった民衆の罵声が、波のように俺に降り注ぐ。

俺が守ったはずの命たちが、俺の死を乞うている。


なんとも滑稽な光景だ。


「……最後に言い残すことは?」



聖女エレナが、まるで芝居の最後の一幕を楽しむかのような笑みを浮かべて訊ねる。



俺はただ、彼女を真っ直ぐに見つめた。



「お前たちの計算ミスは、一つだけだ」



「あら、なあに?」


「俺が死ねば、王国カナンはあと三ヶ月で崩壊する。今の戦力配置では、次の魔獣の群れには対処できん」


彼女の笑顔が微かに凍りつく。


それが俺の唯一の復讐だった。



 衛兵が俺の背中を、容赦なく蹴りつける。


 ――浮遊感。



 重力に従い、俺の肉体は奈落へと吸い込まれていく。



 遠ざかる空、遠ざかるカナン、そして歪んだ聖女の表情。



死が急速に迫る。風が耳を裂き、肉体が重力に引き裂かれようとする、その刹那。



 俺の意識が闇に溶ける直前、世界が反転した。



 雨音ではない。重厚な旋律のような、甘美なノイズ。



 闇の底から、紫煙のように揺らめいて現れたのは、この世のものとは思えぬほど妖艶な女だった。





漆黒のドレスを纏い、月光を毒のように吸い込む、紫色の髪。



 その瞳は、俺が戦い続けた『深淵の魔獣軍』の核――あの禍々しい魔力を、そのまま美しい形に固めたような、深いアメジストの色をしていた。



「やっと見つけたわ。私の可愛い軍隊を、あんな無様なやり方で壊滅させた……憎たらしい天才」




彼女は宙に浮かび、落下する俺の頬に人差し指を添える。




触れた場所が、焼けるように痺れる。



この女こそが、俺が戦い続けた軍勢の、正真正銘の支配者。……レイラか。



「死なせないわ。貴方の知略は、私に捧げてもらう」



魔女レイラは妖しく微笑み、俺の唇に毒を含んだような接吻を落とす。



「……計算高いだけが取り柄の、私の壊れかけの玩具。さあ、私に仕えなさい。貴方を捨てたあの国を、今度は貴方の知略で、地獄の底まで連れて行ってあげる」



俺の理性が、彼女の甘い呪縛に塗りつぶされていく。



 復讐の最適解が、今の俺には見えている。



 これは英雄の終わりではない。



神殺し、国殺し、そして自分自身を殺すための、新たな遊戯の始まりだ。






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