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7話 普通の現象

 岩鉄の姿を発見した俺と愛海は試着室の中に隠れた。

 

 結果、至近距離で向かい合う格好なので、ほぼハグしているみたいで気まずい。かといって体勢を変えるようなスペースもない。

 さらに俺は愛海より身長が低いので、ちょうど顔が愛海の胸のあたりにある。必死にのけぞっているのでなんとか触れないようにしているが、背筋力がつきたら、愛海の胸にダイブするという一秒で嫌われる行動を強制されてしまう。

 だが上半身をのけぞらせると、今度は腰とか足がお互いぶつかってしまう。


 太ももとかひざがぶつかる。


 別に他意はない。変な動きもしていない。

していないが……。


(う……わ……)


 意識してしまう。


だからまずいことに気づく。


 こんな状況がずっと続けば、俺は男子高校生としては普通の現象が起きそうになっていた。

前かがみにならないと愛海に悟られてしまうやつだ。


 それは詰む。本当に。

 マズい。

 ……マジで嫌われてしまう。


 俺は怖い教師に見つかるのと、愛海に嫌われる未来を天秤にかける。天秤は比べるまでもなく振り切れる。


「やっぱり俺、外に出る……」


 あまりに至近距離過ぎて顔をあわせることができないので、俺は試着室の壁のシミを見ながら提案した。


「うん、そだね……ていうかあはは」愛海も照れくさそうに頬をかきながら「悪いことしてるわけじゃないし、隠れる必要なかったよね……」と言う。


 俺はうなずきつつ、なるべく愛海に触らないようにそっと試着室を出ることにする。


その時だった。


「そっか~〇〇ちゃんはこういうお洋服も好きなんだな~」と娘にデレデレする岩鉄の声が超至近距離から聞こえてきた。


 俺と愛海は思わず顔を見合わせる。

 そしてふたりの阿吽の呼吸でカーテンを人差し指でずらして隙間を作り、そーっと覗き込む。


 岩鉄が目の前にいた。


背を向けているが、娘さんと試着室の前でお洋服をご覧になっていたのだ。


(これじゃ、出られないね)

 愛海が小声でささやく。


 甘い吐息がかかる。背筋がぞくりとする。

 やめてくれええ!!


(いや出る! こんなところ見られたらマズいだろ!)


 俺はもう理性が限界になって飛び出そうとする。しかし、なぜか愛海がぶんぶんと首を振って、出ちゃダメ、と訴えてきた。


(WHY!?)


(出たらふたりで試着室の中にいるのが、バレちゃうんだよ?)


 たしかに!!


 ふたりでいるところを目撃されるのは問題ない。だが、ふたりで試着室にはいっていて、それを目撃されるのは……アウトな気がする。

 というかアウトだろ。この状況で外に出ようとするとは……俺はずいぶん気が動転しているみたいだ。


(どうしよう、晴人?)


(どっか行ってくれるのを待とう……)


 草むらに隠れた草食動物のように、俺たちは岩鉄の挙動に全神経をとがらせる。

 とがらせているのにっ……!

 いや、全神経をとがらせるほどに、俺は愛海の息遣いや体温、触れている足や腰を意識してしまい……。


(は!? 晴人? それは……セクハラだし!?)


(ちが、ちがう!)


 もはや生理的不可抗力に抗えない俺は、その不可抗力を悟らせないために前かがみになるしかなかった。そして前屈みになるということは、愛海の豊かな双丘のほうに顔を接近させていくことになるのだ。


(な、なにちがうの!? このドサクサにまぎれて、私のおっ……え、えっちっ!!)


(ちが……おなかッ!! おなかが、痛くて……)


 とっさに嘘をつく。が、背に腹は変えられない。


(そうなの? だいじょうぶ?)


(死ぬかもしれないッ……)


 愛海が俺の顔をじっと見る。

 嘘か疑っているのかもしれない。

 俺は冷や汗を流し、青ざめていく。

 

愛海が狭い空間の中で、ぐいっと両腕を上げる。

 なんだ、ダブルチョップか?

 俺は衝撃に目をつむる。


 ふにっ。

 次の瞬間、俺の顔面はふわふわのホイップクリームみたいな柔らかさの上にダイブした。甘い感触に包まれる。

 

何が起こった!?

 俺は試着室の姿見で状況を確認し、心臓が爆発しそうになった。


 愛海が俺を抱きしめていた。


(WHY!?)


(おなか痛いんでしょ……楽な姿勢でいいって……)


 愛海は俺から顔をそらしている。表情はわからないが、耳が真っ赤だった。


 ふわふわだ。

 あたたかい。

 いい匂いがする。


 思考がダメになりそうだ。


 俺の不可抗力がさらに力を増し、俺はイヤイヤする赤ん坊みたいに愛海の胸に顔を押し付ける……しかなくなる。


(大丈夫? ……あとすこし、だからね?)


 腹痛と勘違いしている愛海が俺の頭をよしよしと撫でる。

 俺は思わず両手を愛海の背中にまわして、ぎゅっと抱きしめて、さらに頬ずりしそうになり……最後の理性に頭をはたかれて正気に戻る。


 マジで、マズい。


 岩鉄、早くどこかに行ってくれ!!


 俺は心の中で絶叫する。

 その願いはカーテン越しの目の前にいる岩鉄に――。


「ねぇパパ、まだかなぁ?」


「開かないねぇ、試着室。もうちょっと待ってみようか?」


 届かなかったッ!!


 というか待つな!


 岩鉄とその娘さんは、試着室の順番待ちをしているのだ!


 なぜ、こうなった。

 俺はただ、愛海とクラスTシャツのサンプルの下見に来ただけだ。やましいことなど何もなかったはずだ。それがいつの間にか、狭い空間で愛海の胸に顔を埋めて、抱きしめられているのだ。


(……見つかっちゃうかもっ)

 愛海がぬいぐるみよろしく、反射的に俺を強く抱きしめる。


 俺は愛海の胸で窒息しそうになりながら、首を横にふる。

(あっ、くすぐったいから、動かないでっ……)


(ご、ごめん!)


(息、くすぐったいっ!)


 どうしろと!?


 行動も言動も封じられたら、マジで抱きしめられてるだけになってしまうのだが!?

 再びまだかなぁ? と声がする。そして岩鉄が少し怪訝そうな声でこちらに問いかけてくる。


「すみません、どなたか入ってますか?」


 トイレかよ! しかし返事をしなければ開けられてしまうかもしれない。


 自分の高校の教師に、この状況がバレる。

 返事をするべきか?

 それはそれで声でバレたりしないか?

 そもそもどうやって返事をするんだ? 俺か? いや俺が返事をしたら、女性ものの服やだから目立ち過ぎないだろうか?


 状況的に詰んでいるのではないだろうか?


 俺は恐怖のあまりにめまいがして、手近な愛海にしがみつく。

愛海も愛海で、極限状況で、ホラー映画のクライマックスを鑑賞中みたいなテンションで俺をきつく抱きしめる。


 愛海が意を決したのか、大きく息を吸う。

「ひゃ、ひゃい! はいってますぅ……!」


 トイレか!


 俺達は互いにしがみつきながら、もう成り行きに身を任せる。


 固く目を閉じる。


 すると別の女性の声が少し遠いところから聞こえてきた。その声は岩鉄と娘さんを呼んでいるようだった。おそらく、岩鉄の奥さんだ。そして岩鉄と娘さんはまだ今度来ようね的な会話をして、俺達の前から去っていった。


 その一部始終の数秒間、俺たちは完全に呼吸を止める。そしてカーテンの向こうの気配が完全になくなったことで、体のうちに溜め込んだストレスをすべて吐き出すようにため息をついた。


 俺も、愛海もがっくりと肩を落とす。


「いった、よね?」


「いったな」


 それから愛海がアレという顔をする。


「なんかスマホあたってるよ、ポケットから落としちゃうかもみたいな位置な感じがする」

 俺のスマホを尻ポケットに入っている。俺は血の気が引きつつ、返事をしておいた。

「……ごめん」


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