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14話 大丈夫だよ、大丈夫

 先輩の家は細長いビルのような造りをしている四階建てだった。

 蕎麦屋の上の階が自宅になっており、三階に先輩の部屋があり、四階に愛海の部屋がある構造らしい。


「こちらです」


 俺は愛海に促されて、四階の部屋の前に立っていた。


 先輩の部屋でマリオカートをした後、先輩が「やっぱり今日のノルマはこなさないとな……」と、部活を早く切り上げた分のランニングに行くと行くと言い出したので、取り残された俺達。


「そろそろ帰ろうかな」と俺は切り出したのだが、愛海に袖を引っ張られ「あたしの部屋、来てみる?」と提案してきた。

 ただ、愛海の部屋に行くだけだし。と俺は自分に言い聞かせてついていくことにした。


 そして俺は愛海の部屋の前までやって来ていた。


「あ! ちょっと! ちょっと待ってて!」


 愛海は部屋のドアノブに手をかけたところで、はっと気づいたような顔になり、ひとりで部屋の中に入っていった。


 ドアの向こうからドタバタと騒がしい音がする。

 気持ちはわかるぞ……。


 それから数分後、暑そうに顔の周りをパタパタと手をであおぎながら愛海が手招きする。


「どうぞ、いらっしゃいませ」

 お店か。

 と、心の中で突っ込みつつも、俺は緊張しながらお邪魔する。

 女子の部屋、しかも好きな子の部屋だ。

 気にならないわけがない。……でもあまりジロジロ見ないように気をつけよう、と心に決める。


 部屋は想像と違った。

 俺はパステルカラーのいかにも女の子らしい部屋を想像していたが、愛海の部屋はベッドがひとつ、勉強机がひとつ。あとは本棚等の家具が揃っているが、どれも少年というか、男子が使っていそうなものだったのだ。


「今大学に行ってる従兄弟の部屋を、あたしが使ってるんだ」

「もうひとり従兄弟いるんだ」

「うん、今、東京だけどね」


 ここ座って、と愛海がベッドをぽんぽんと叩く。

 いいのか? と思うが、本人がOKというのだし、いいだろう。

 俺はベッドに腰掛ける。スプリングがギシと音を立てた。


 愛海が俺の隣に腰掛ける。再びギシと音を立てる。


「ここに住んでるんだな」

 

 俺の記憶では、愛海にはお父さんとお母さんが普通にいるはずだ。どうして一緒に住んでいないのだろう。

 この家に愛海が住んでいると聞いたときからの疑問を投げる。


「今ね、お父さんとお母さん、海外なんだ」

「そうなのか?」

「うん、お仕事で。本当は一緒に行くはずだったの」


 でも、と愛海は頬をかく。


「三年くらいは日本帰ってこれないっていうから、お願いしたんだ。日本に残りたいって」

「それで親戚の家に?」

「うん、だから入学式のちょっと前から、ここなの」


 愛海は小学校の時も転校が多いと言っていた。たしかあの時も三つ目の小学校だと言っていたはずだ。


「寂しくないのか?」

「そりゃ寂しいこともあるよ、でも、残りたい理由もあったから」


 そう言うと、愛海は自分の机のほうに向かう。

 机の上にひろがっている参考書のひとつを俺に向ける。

 そこには『一年生から備える医学部受験』と書かれていた。


「あたしね、お医者さんになりたいんだ」

「そうなのか?」

 意外な夢だ。

 

「あたしの家族、転勤が多かったんだ。だから誰かが風邪を引くたびに、病院探すの大変だったんだ」

 だからさ、と愛海は続ける。

「パパとママのこと、診察できるといいなっていうのが、最初のきっかけ」


 そう言ってから愛海は俺のほうをじっと見る。

「きっかけをくれたのは、晴人だよ」

「……お、俺?」


 愛海との過去を振り返る。

 小学校のころ、バカなことをして遊んだ記憶はあるが、彼女の背中を押すような出来事は何も記憶にない。


「あたしは引っ込み思案だったんだ、でも晴人といるとさ、守ってあげなくちゃ! って思って、前に出られるようになったの」

 それからなんだ、と愛海は笑う。

「あたし、ちょっと変われた気がするの。みんなの前で堂々と喋れるようになったし、大きい声も出せるようになったんだ」


 俺はガツンと殴られたような衝撃を感じる。

 そう語る愛海は俺のイメージにある愛海とはぜんぜん違うからだ。

 

「お医者さんにもなれるわけないな、と思ったんだけど、晴人ともし一緒にいたら、かっこいいところ見せなくちゃってって思うから、医学部目指すって口に出すの怖いけど、とりあえず自信あるように振る舞ってみようって……」


 これはたぶん、優馬先輩と喋っていた時に感じたモヤモヤの正体。

 引っ込み思案な愛海。

 医者を目指している愛海。

 ひとりで親戚を家に住み、高校に通う覚悟をしている愛海。


 すべて知らない。

 俺の知っている愛海は、本当にひとつの側面でしかないのだ。


「それとね……」

 さっきよりもか細い声で愛海が呟く。

 そのまま床を見ながら、とぼとぼと歩いて、ポスンと俺の隣に再び腰を下ろした。


「静岡の親戚が来ていいよって言ってくれたから、日本に残ることにしたの」

 愛海は自分の足元をじっと見たまま言う。

「もしかしたらさ、静岡だったらさ……、可能性があるじゃん?」

「……可能性?」


 言わんとしていることがいまいちピンと来ず、俺が首をかしげる。

 愛海は床から視線をあげて、俺の目をじっと見た。

「……は、晴人と、また会えるかもしれない……可能性……」


 再びの衝撃。

 俺は口をパクパクさせる。しかし愛海が抱える医学部受験の参考書が目に入って、俺は冷水を浴びせられたかのように我に返る。


「お、俺も……また会えて、嬉しかった」

 なんとか言葉が出る。


 でも俺は愛海の顔を見れなかった。

 容姿がいい、とか。初恋の相手がどうとか。

 そういうことではなく、愛海の考え方、夢、目的。

 そういうすべてが、ぼーっと生きてきた俺とかけ離れすぎていて、あまりにも釣り合いがとれていないと思ってしまったからだ。


「……今週、元気なかったよね」

 俯いたままの情けない俺の隣で、愛海が座ったまま半歩距離を縮める。

「ないことはない」

「嘘だ、わかるよ、あたし」


 俺は顔が熱くなるのを感じた。

 隣に愛海がいるからではなく、情けない自分に対して、だ。


 そして何も知らない自分に対しても。


「俺は、わからなかった」

 俺はなんとか愛海の顔を見上げる。

「お前が医者を目指してるのも、昔は引っ込み思案だったことも」


 そう言うと、愛海はふっふっふ、と、もっと褒めたまえとでも言っているような表情をする。


「そりゃわからないと思うよ、だって晴人の前では格好つけてるもん」

「……なんだよ、卑怯じゃないか」

「卑怯じゃないよ、だって格好良く思われたいじゃん、自分のす……」


 愛海は突然むせて、それから続ける。


「す、素晴らしい友人にさ、頼りになるって思われたいでしょ?」

「なんだよ、それ」


 わからない。

 俺にはちっともわからない。

 愛海が俺のどこを好きでいてくれるのか。

 いいところなんて、ひとつもない。彼女に釣り合うところなど、微塵もない。


 情けない。

 俺は、自分が、情けない。


 そう思っていると目頭が熱くなってきた。

 涙がこみ上げてきたのだ。

 情けなさすぎるだろ、俺。


 俺は天井を見る。

 下を向いたら、水滴となって落ちてしまいそうだから。


「……晴人?」


 愛海が少しだけ、驚いたように呟く。

 だが、おずおずと彼女の手が伸びてきて、俺の頭を撫でる。


「よしよし」

「何が、よしよしなんだよ……」


 これじゃまるで子ども扱いだ。

 いや、実際、愛海と俺の生き方では、それくらいの差がありそうだ。


 上を向いていても涙があふれそうになり、俺は愛海の手を振り払って立ち上がろうとする。

 すると愛海はそんな俺の手を掴み、立ち上がろうとする俺の肩を引き寄せる。

 無理やり座らせられる。

 涙が落ちる。見られたくないと思うと同時に、視界が塞がれる。


 真っ暗になる。

 布越しの柔らかな感触と、フルーツのような甘い匂い。


 愛海が俺を抱きしめているらしい。

 かなり、力強く。


 俺は愛海より一回り小さいので、彼女にがっちりホールドされると、まったく身動きがとれなかった。


「大丈夫だよ、大丈夫」

 俺のことを抱きしめたまま、愛海は俺の頭を撫で続ける。


「何が、大丈夫なんだよ」

 愛海の柔らかさで窒息しそうになりながら、俺は泣いて、震える、情けない声で反論する。


「よしよし、いい子、いい子」

「……同い年だろ!」

「ふふ、そうだね」


 離せ! と暴れるが、まるでびくともしない。駄々をこねる子どもみたいになりそうなので、俺は抵抗を諦める。

 大人しく、愛海にされるがままとなる。


 彼女との差を感じて、自分のちっぽけさに絶望したのに……。

 愛海の腕の中は、心地が良かった。


【お読みいただいありがとうございます!】




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