第2話 大都会の宿
街のほぼ中心、市街を東西に貫くエルムナ通りと南北のナリアヌ通りがぶつかる大規模交差点の一角に、大型の総合小売商が威容を誇っている。その石造り四階建ての店舗裏を通る路地に面して建つ、木造三階建ての宿泊施設。その、「サイカルゴ総合商会宿泊所」との看板が掲げられた大きな建物が、僕たちの目の前にあった。
裏通りとは言うものの、その道幅はかなり広い。大通りに面する大型店舗への商品搬入口と荷車置場、二階建の立体厩舎などが並ぶこの路地は、昼間ということもあるのだろうが、妖しげな女も柄の悪い人物も見当たらず、治安を心配する必要は無さそうだった。
そして、歓楽街から少しばかり離れたこの辺りは純粋な商業地区であることから、この宿は、旅先での愉しみを求める旅人には、あまり適さないと言えるだろう。とはいえ、カリーニャを伴う今の僕には最適の条件だ。
この宿の厩にいた奴隷に、ロバと荷車を預ける。そして、路地に面した木の潜り戸を抜けると、そこは室内であるにもかかわらず、明かり取りの窓から入る陽光が眩しかった。その奥の帳場に控えていた小綺麗な服装の中年男が、丁寧な口調で「ようこそ」と迎えてくれる。
表通りの大型小売商「サイカルゴ総合商会」が、自店の出入り商人のために備えた宿泊施設であるこの宿は、一般の宿泊客を受け入れないそうだ。そのため、宿泊業ギルドに加盟してはいないものの、提供される役務と設備はそれ以上の水準を持つものだと、ザンギは言っていた。
帳場のカウンターに近づくと、高価な羊皮紙を束ねた宿帳に羽根ペンを添えて、受付の男が記帳を求めてきた。筆を手に取ると、そこには「納入業者様御名称」という見慣れない項目がある。男に問うと、この宿は表の大型小売商へ商品を納入する生産者や仲買人専用の宿泊施設であり、店舗の発行する「宿泊証」を持たない一般客は受け付けていない旨を、慇懃に説明してきた。
その表情は柔和ではあったが、その瞳の奥には、汚れきった奴隷を連れた珍奇な旅人を蔑む光が垣間見えた。
「そういう訳ですので、もし宿泊証をお持ちでないのでしたら、誠に申し訳ございませんが、他の宿をお探し頂けませんでしょうか」
そう言う男の言葉を手で遮り、僕はポーチから三つに折られた藁葉紙を取り出し、一言添えてカウンターに置く。手に取ったその文面に目を落とす男の表情は、特に変わる様子は無かったが、冷たかった目の光は、少しばかり和らいだかに見えた。そして「少々お待ちを」と言い残し、彼の背後にある扉の奥に消えた。
『まずはルガンナの宿に到着ね。でも、この先も長いわよ。気合いを入れていかないと』
「あれ、ソニア。君が喋るのは久しぶりじゃないか?」
「ホントだ! そういえばわたし、モルノンと話してばっかりで、ソニアさんと喋ってなかったよ。全然気付かなかった」
『ぐ、なんかムカつく。どうせ存在感が薄いですよ、アタシは。でもね、お喋りしなかったのには訳があるの。あまり、モルノンやクリムの前で話したくなかったのよ』
「えー、なんで? あの二人のこと嫌いだったの? ソニアさん。なんか、感じ悪ーい」
『何言ってんのよ、このエルフは。そういうんじゃなくて、あまり関係の無い人の前で、アタシの存在をアピールしたくなかっただけよ。あの二人とはすぐに別れる気がしていたし、アタシたちの変な噂話だけがどこかで一人歩きして殿下の耳にでも入ったら、何かとまずいじゃないの。たとえ公告は出されなくっても、あの変態殿下って結構執念深そうだったから、何かの形で仕返ししてくるかも知れないでしょ?』
「え? そうなんだ。わたしを気にして、そんなことまで考えてくれてたんだー。すごいよね、ソニアさんって! ノエルもそう思うでしょ?」
そうだったのか。僕が思いつかないところまで、ソニアは気を回しているんだ。そう思いながらも、少し気の回し方が過ぎるような気もした。第一、既にカリーニャが、自分がエルフだということを、あの二人にバラしてしまっている以上、精霊の存在を隠したところで、耳目を集める可能性は同じだと思うのだが。
それに、そもそもソニアの存在は殿下連中は知らないのだから、モルノン達に知られたところで問題になることはないように思う。そしてソニアも、それぐらいは分かっているはずだ。
どうやらソニアの意図は、ほかにあるような気がしてきた。一体それは何なのだろう?
まあ、秘密主義者ではないソニアのことだ。いずれ本当の理由を教えてくれることだろう。だから、今は気にしないでおこう。
「しかしここ、ほんとに宿屋なのかな。なんか、雰囲気が全然違うような気がするんだけど」
『確かに今までの宿屋とは、ちょっと雰囲気が違うわね。酒場や食堂もないし、娼婦もいない。調度品も少し高級そう。でも、むしろアタシには、こっちの方が普通に思えるんだけど。ザンギおじさんの宿は結構良かったけど、それまでに泊まったこっちの世界の宿屋って、とんでもないところばかりだったんだもん。相部屋が当たり前で、セキュリティの概念なんて全くない。その上、知らない者同士が裸のまま、同じ大きなベッドで並んで眠るなんて、軍隊でも絶対あり得ないわよ。男女の区分けもいい加減で、あちこちで知らないもの同士が、男女問わずにやりまくっているんだもん。ホントに参ったわ』
「うちの宿を褒めてくれてありがとう、ソニアさん。でも、相部屋で同じベッドをみんなで使うのは、当たり前のことだよ? たまたまうちにはお大尽が泊まることもあるから、いくつか個室があるけれど、普通のお客さんは相部屋に泊まるよ。でも、特に文句は出ないけど。ソニアさんの国の宿屋は、みんな個室なの?」
『当たり前じゃない。そりゃあ、世界的に見れば相部屋もあるんでしょうけど、先進国の主要なホテルで赤の他人との相部屋なんて、聞いたことがないわ。ユースホステルとかは知らないけどさ』
「でも、全部個室にしたら、よほど大きな建物にするか、建物を何棟かに分けるかしないと、お客さんを捌ききれないと思うけど」
『一つの町に複数のホテルがあるから大丈夫よ。それに旅行者が多い大都市の主要ホテルには数十階建ての高層建築も多いから、なおさら問題は無いでしょうね』
「数十階建て? そんなに高い建物の上の階まで、どうやって上がるの? もし一番上の階の部屋があてがわれたら、たどり着くまでにどれだけ時間がかかるんだろう」
ヘッドセットモードのソニアとカリーニャがヒソヒソ話している姿は、傍目には、頭のおかしな少年奴隷が独り言を呟いているように見えるところだが、幸いこの場には僕ら以外はいなかった。
しかし、数十階建ての宿屋だと? 一体どんな高さなんだ。それだけ高い建物だと、ちょっとしたことで倒壊してしまう様な気がする。ということは、一階の床面積だけでも一つの小さな村程度の広さが必要だろう。そうなると、どれだけ巨大な建物なんだ? それに、人が天まで届く建物を建てて、天空の神々は何とも思わないのか。小さな山ほどの巨大な建造物が並ぶ奇怪な街。やはり、ソニアの故郷のことは理解に苦しむ。




