第1話 暗昼行路
(注)本章の各話には、作中に残酷描写、暴力描写および性的表現があります。
ソニアによると、日暮れにはまだ早い時間らしい。だというのに、鬱蒼と繁る高木に生気を吸い取られたのか、陽の光はほとんど降りてこない。むしろ、満月輝く夜の町のほうが明るく思える。
ゲルタッシュを出てから既に八日。追っ手が放たれないように多少工夫を施しては来たものの、功を奏しているとは限らない。だから少しでも距離を稼いでおこうと、僕たちは休むこと無く、商都ルガンナに向けて、このルーシャル街道を進んでいた。
ゲルタッシュの西に広がる草原を抜けてこの深い森に入ったのは、のどかで晴れやかな空に次第に雲が広がりつつあった昨朝のことだ。
万一の追っ手に備え、位置を悟られぬように明かり一つ灯さず、真昼でも暗い森の底を行く。
ここまで暗いのは、単に曇天のせいだけというわけでもないだろう。舗装されていないにもかかわらず、街道が雑草に覆われていないところを見ると、天候とは関係なく、普段から大地に陽が差さない森のようだ。
とはいえ、ゴーグルを通して見る森の景色は、太陽の下のように明るく、路端の岩陰からこちらを窺う小動物の姿も鮮明だ。だが、カリーニャやロバにとって、この暗さは不安なことだろう。だから僕は、迷いを見せることなく力強く歩む。
町を出る際にザンギから聞いた話によると、街道が貫く広大なこの森は、潜む魔物も多くなく、野生動物の楽園とも言われ、皇帝直轄の狩猟場となっているそうだ。
いま、この地に足を踏み入れているということは、即ちアリーゴ伯領を脱した事を意味している。
これで少しは安心できると思い、少年奴隷から手枷だけを外すことにした。腕に残る手枷の跡はすぐに消えることだろう。だが、彼女の心には生傷が大きく開いているはずだ。ロバの背で寂しげに項垂れるその姿が、それを物語っていた。
町を出てからずっと、カリーニャはロバに跨がったまま、一言も話さなかった。僕がソニアと交わす会話は、すべて彼女に聞こえているはずだが、こちらの呼びかけには頷くだけで、一切口をきこうとしない。だがそれは、無理からぬことだ。
父親や親しい者との突然の別れ。幼少より慣れ親しんだ町に、二度と戻れない悲しみ。彼女の今までの人生がどのようなものだったのか、僕は全く知らない。しかし、自分を育んでくれた世界との離別が、彼女の心を掻き乱していることだけは確かだ。
いま、彼女が唯一心を許しているのは、荷車を引く牝ロバのブリダヌスだけだ。彼女が幼い頃から一緒に過ごしていたというブリダヌス。ロバに身を預けながら、その首を優しく撫でる少年奴隷は、失われた安寧を、その温もりに求めているかのようだった。
二人と一頭になってからというもの、僕とカリーニャの間は少し気まずかった。
行きがかり上とはいえ、この娘の今現在の保護者は僕なのだ。そうであるにもかかわらず、カリーニャは僕に心を開こうとしない。
まあ、それは仕方が無い話だ。いくら父親の人を見る目が確かだと言っても、数日前までは、全く見ず知らずだった男。酒場で少し話しはしたものの、それはあくまで客と給仕との会話に過ぎない。
彼女からしてみれば、ほかに選択肢がなかったとはいえ、正体不明の男にすべてを委ねなければならないという、これ以上無いであろう不安に包まれていることだろう。
もしかしたら、この男の方が殿下よりもたちが悪いかもしれない。そう彼女が思っていたとしても、全く不思議なことではない。
酒場での様子から見るに、彼女はとても朗らかな性格なのだろう。旅の支度をしていたときも、明るくユーモアに富んだ言動を示していた。
しかしそれは、周りに父親や頼れる仲間がいたからだ。しかし、彼らはもういない。その現実に、彼女は向き合うしかないのだ。
僕はなるべくカリーニャに不安を与えないよう、ソニアと当たり障りのない話をしながら、あまり彼女に語りかけることもせず、様子を見ることにした。早く、本来の彼女が戻ってくればいいのだが。
『ところで、ノエル。ザンギのおじさんが、この娘を連れて行ってくれって言っていた「エルフの隠れ里」って、どこにあるのか知ってるの? 特に地図とか預かっていないんでしょ、アンタ』
少し前を歩くソニアが、思い出したように話しかけてきた。その姿は、ヘルメットにゴーグルが付いていないこと以外は、僕とほとんど同じ戦闘装備だ。その肩には、僕のものより長さが少し短い小銃が下がっている。彼女の持つ銃や弾薬が、幻ではなく本物ならば、どんなにいいことだろう。




