第3話 恩賜のローブと高位の魔術師
「『雷閃の死神』の捕縛命令だと? 確かに大戦時には、幾度かあの方の攻撃魔法で、人類連合軍の一部に被害が出たとは聞いている。だがいずれも、魔龍でもないあの方に対して執拗に攻撃を仕掛けたドルトメイルの蛮兵に対する反撃だったそうではないか。連合の体裁上、我が軍も死神の捕縛命令を出しはしたが、大戦終結と同時に撤回されたはずだ。それが、なぜ今になって――」
「そういえば、あの『ソンブランの奇跡』で、二騎殿は『雷閃の死神』と共に戦われたのでしたよね」
「ああ、そうだ。おかげで私は特進できた。だがあれは、私が起こした奇跡ではない。あの方が敵軍を退けてくれたからこそ、為し得たことなのだ。しかし上層部は、私一人の活躍で得た勝利だと喧伝した。いくら、死神との共闘という事実を上に申し出ても、私を勝利の女神だと囃し立てるばかりで、聞く耳さえ持っては貰えなったのだ……」
「軍としては、そうするしかなかったはずですよ。捕縛対象者と共闘したという事実を公式に認めれば、ドルトメイル側に申し開きもできず、人類連合の足並みが乱れるおそれもあったわけですから。しかし、二騎殿の強さは、多くの将兵が知る事実ではないですか。たとえ死神の手を借りた結果であれ、崩壊が必至だった戦線を守り抜いた功績は、間違いなく貴女のものですよ」
「まるで、当時を知っているかのような物言いだな。さすがは諜報部というところか」
「敬愛するツンベルグス二等騎士殿の事は、諜報部に配属されてすぐに調べさせていただきました。そして、貴女に関する事実を知り、尊敬の念が更に深まったのです」
「そう思ってくれるのは光栄だが、私は、ただ単に運が良かっただけだ。確かに剣技には自信があるが、上には上がもっといる。ましてや、私はこの容姿だ。決して、褒め称えられる存在ではない。先ほどの傭兵のふざけた態度は許せんが、この醜い体を揶揄する言葉だけは、甘んじて受け入れざるを得ん」
「そんな! 二騎殿を醜いなどと思う者など、この世に一人もおりますまい! 自分も、貴女以上に美しい女性を見たことなど――」
「私の容姿については、どうでもいい! それよりも、死神捕縛を命じられた理由を教えてくれないか」
「実は、指令は受けたものの、理由までは聞かされておりませんでして……。申し訳ございません、二騎殿」
自分で容姿のことに触れたにもかかわらず、元部下の言葉を遮るマーサだったが、返ってきたのは、心苦しそうな声だった。
『ねえ、どうするのよ? アンタの姿を見られたら、死神と間違われて捕まるんじゃないの?』
ソニアの声に、マーサたちの会話に意識を奪われていた僕は我に返った。
たしかにソニアの言うとおり、この戦闘服姿を見られでもしたら、『雷閃の死神』に間違われて、縄を掛けられるかも知れない。
しかし、僕が死神でないことは、マーサがよく知っている。彼女の言葉添えさえあれば、捕まる懸念など、一切無いではないか。
「そこは、マーサに説明して貰えば――」
『そんなわけには、いかないわよ! あのレグラントって少尉、中佐が死神に恩義を抱いてる事を知ってるのよ。仮に、アンタのことを死神じゃないって中佐が釈明しても、捕縛命令を知った彼女が庇っているように思われて当然でしょ? あの少尉、話しぶりから中佐に好意があるようにも見えるけど、それだけで信じてくれるとは思えない。ましてやアイツ、諜報部の人間なんだから』
よく考えると、ソニアの言うとおりだ。レグラントという男に僕の姿を見られでもしたら、マーサが恩義を感じる『雷閃の死神』と共に旅をしているように思われることだろう。そうなれば、マーサに大きな迷惑を掛けることになる。
そのうえ、この馬車は、ヴェルドミア国防軍のものだ。場合によっては、国家元首であるミフォーヌの手まで、煩わせることになるかも知れない。
「――たしかに、君の言うとおりだ。となれば、このままの身なりで馬車の外へ出るわけにはいかないよね。だったら、方法はただひとつ――」
『やっぱり、そうよね。アタシも、あの方法しか思いつかないわ』
「わたしも分かったよ! その服を脱いで、すっぽんぽんになるんだね! 脱ぐの、わたしも手伝ってあげるよー」
カリーニャも、外の会話を聞いていたようで、僕が直面している問題を理解しているようだ。
しかし、寝ぼけ眼が消え去った表情であるにもかかわらず、彼女の言葉は斜め下を向いていた。
「そんなわけないだろう! 何で、僕が脱がにゃならんのかね! これだよ、これ! このローブを羽織るだけだって!」
僕は、荷台中央に鎮座するアイテムトランクを開けると、中から一着のローブを取りだし、掲げて見せた。
ミフォーヌ大公殿下から贈られた、恩賜のローブ。その、柔らかく心地よい肌触りをした紫色の生地は、「魔糸」と呼ばれる特殊な糸で織られているそうだ。所々に煌めく輝きは、一緒に織り込まれているという銀糸だろう。周囲の魔素を取り込み、高い濃度で蓄え、纏う者に魔力を常時供給する特性を持つというこのローブは、魔療師をはじめ、魔力を扱う者にとって、垂涎の一品らしい。
精霊魔法使いのエルフ。魔剣を扱うイフィーの剣士。そして、脅威の魔法攻撃を誇る魔戦士『独言のノエル』。高い魔力を要すると思われる者達に感謝の品を贈るにあたり、形式だけではない、実用的かつ有効な物とは何か。考えに考え、悩みに悩んでミフォーヌが導き出した答えが、このローブだった。
僕はゴーグルを跳ね上げて、小銃を首からぶら下げると、大公殿下の心がこもったローブに袖を通す。
パーティメンバーそれぞれにあわせて誂えたという恩賜のローブは、戦闘服の上から羽織っても、全く窮屈な感じがしない。僕専用にフードも大きく拵えられており、ゴーグルを跳ね上げた状態のヘルメットの上から被っても、まだまだ余裕がありそうだ。
その上から背嚢を背負うと、それさえ想定されていたのか、ローブにしてはタイトに作られた腋まわりに、生地の引き攣れも生じず、違和感ひとつ有りはしない。
各所にはスリットが設けられており、そこからポーチや拳銃のホルスターを外に出すこともできるようだが、とりあえず今はやめておこう。
しかし、このローブには驚きだ。これならば、ローブを纏った状態でも、思い切った動きがとれそうだ。
まあ、魔法の使えない僕が纏っていても意味が無いわけで、今回のように姿を晒したくない時にしか、使わないことだろうが。
「うわ、デカッ! ノエルの頭って、そんなに大きかったっけ?」
「仕方ないだろっ! ヘルメットの上からフードを被ってるんだから」
「背が低くて、頭も大っきくて、足も短くて、これで禿げたらどうするつもり? ただでさえ少ないノエルの魅力が、大激減だよー」
「失礼なっ! 確かに足は短いけどなっ、これから伸びて高身長になるかもしれないだろ! 頭だって、まだ大丈夫だぞっ!!」
「でも、ノエルって十八だよね? もう伸びないんじゃないかなー」
「ほっとけ! そんなことより、お前もローブを着とけよ! 傭兵の奴らにエルフだって知られたら、何かと面倒だろ!!」
「あっ、お前って言った! ノエルって機嫌が悪くなると、すぐにお前って言うよね! そのクセ、直した方がいいよ!」
「うるさい! お前が余計なことを言うからじゃないか!」
「おや、どなたかご一緒だったのですか? なにやら、車の中が騒がしいようですが」
外から聞こえた軍人の声に、僕たちは瞬時に黙った。だが、動作は一旦止めたものの、僕は再び手を動かし、トランクから取りだしたエルフ専用ローブを手渡すと、カリーニャは慌てた様子でそれを羽織る。
「あ、ああ、まあな。実は――」
そう言いながら、自然な様子でゆっくりと歩くマーサの姿が、馬車後部の乗降口から見えた。チラリとこちらを見た彼女は、ローブを纏った僕たちを確認したようで、安堵の表情を浮かべる。
「――実はな、ヴェルドミア公国の、さる高貴な御方から、ロナーチ宿場が消えた謎を解き明かすように頼まれてな。まあ、学のない私には、謎に挑まれる高位魔術師の方々の護衛しかできんのだが」
そう言いながら、マーサが車内に手を差し入れてくると、無事にローブを纏い終えたカリーニャがその手を取って、幌の中から外に出た。
その後を追うように、僕も荷台を飛び降りると、革鎧を纏った若い男の帝国軍人が、マーサの側に立っていた。
「レグラント一剣。こちらが高位魔術師の――」
「老師カリーニャと申す。そしてこれが、付き人兼荷物持ちのノエルという者じゃ」
「な――」
カリーニャの奴、僕を付き人扱いしやがった。さっきの仕返しのつもりだろうか。しかし、ここでそれを否定すれば、帝国軍人の疑いを招きかねない。どうやら僕は、エルフの定めた偽りの身分に甘んじるしかなさそうだ。
「ぼ、僕が付き人のノエルだ」
「何を偉そうにしておるのじゃ。軍人さんには、もっと丁寧に挨拶せんか、この馬鹿者!」
「ぐっ――。も、申し訳ございません、老師様」
「まあ良い。しかし、お主も高位魔術師の端くれであるのだから、言葉遣いにはもう少し気を使うようにするのじゃぞ」
「クッ――。わ、わかりました、老師様」
「お主は、返事だけは良いのじゃがのう……」
横目でエルフを睨んでやると、高慢そうな目つきのカリーニャが口角を歪ませて、僕に向かって嘲るような笑みを浮かべた。
しかし、これは演技なのだろうか。確かに弁護人を演じたカリーニャの芝居には感心した。だが、今のエルフの目には、悦びの光が浮かんでいるようにしか見えない。
「何という奇遇! 二騎殿も、ロナーチの捜索にお出ででしたか。ならば話は早い。すぐに砦へご案内致しましょう」
「私もだと? もしや、貴様の主たる任務というのは――」
「あ――。さすがは二騎殿。人の口を割らせるのもお上手ですね」
「いや、今のは貴様の過ちでは――」
「それでは参りましょう! 目的が同じならば、軍機など、あってないようなものです」
「おい、それで良いのか? その程度の軍機だったというのか?」
マーサと若い帝国軍人が並んで歩んでいく後ろを、紫色のローブを纏ったエルフがついてゆく。僕もその後を追おうと、車内のウィレンに声を掛けてから歩み出した。
『ねえ、ノエル。フードのせいで、何も見えないの。問題は無さそうな感じ?』
「うん、大丈夫みたいだよ。でも、何も見えないって、どういうことだよ。ソニアって、壁の向こうでも見られるんじゃなかったっけ」
『壁透過レーダーのこと? それがさ、フードにマイクロ波が遮断されているようで、うまく感知できないの。一部のセンサーも、動作不良を起こしてる』
「ちょっと、ソニア! それって、また具合が悪く――」
ソニアの言葉に、僕は思わず立ち止まった。海底坑道の悪夢が頭を過ぎる。
『違う、違うわ。アタシは大丈夫よ。ミフォーヌが言ってたじゃない。ローブには銀糸も織り込まれているって。どうやら、その銀糸が、電波障害を起こしているみたい。カメラも塞がれてるから何も見えないけど、音はしっかり聞こえているわ。フードを脱ぎさえすれば、すぐに回復するから、アンタは何も心配しなくてもいいの』
その、ソニアらしい明るく元気な口調に、僕は気を取り直すと、青い空から降り注ぐ陽光のなか、前をゆく仲間達の後を小走りで追った。心のどこかに、小さな何かが引っかかるのを感じながら。




