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死に場所はあなたの腹の中がいい

 人生は一度きりだという言葉に、証拠はない。


 例えば死ぬ間際に、ループする可能性だってあるのだ。輪廻かもしれない。死ぬ間際に、今までのすべての魂の情報を思い出したら?

 人間だったあのころ、私はそういうことを考える人間だったことを、まず思い出した。私の考えは当たっていた。ループではなく、輪廻。死の間際に思い出す、今までの魂の情報、すべて。その輪廻の始まりは人間だった。言葉で思考するためだろう。機械的で合理的なこのシステムを持つのは、人間だけだ。


 私は今、天井を見上げていた。まわりには、レタスだろうか、野菜が敷き詰められている。

 周りの食べ物を羨ましいと思う。私だけが、ただ天井をぼんやりと見つめ、箸が通過する度に意味もなくどきどきする。私を掴んでくれと思う。


 人間であったころ、私は「アフリカでは毎日食事ができない子どもだっているのだから、残さず食べなさい」といった類いのことを言われ、嫌悪感に苛まれたことを思い出した。

 何を綺麗事をと思ったのである。

 では、この残された食事をアフリカに送るにはどうすればいいのか。それを考えるべきではないのか。なぜ飢餓に苦しむ子どもがいるのかを考え、即急に自分ができることをすべきなのだ。というかそもそもアフリカに限定するのがおかしい。どの国にだってそのような子ども、大人だっているだろう。ステレオタイプの押し付け!

 残さず食べるための理由として、飢えに苦しむ子どもを引き合いにだすのはおかしい、そう思い、怒りを覚えつつ、食事を腹いせのように残してやった。困った子ねと言いながら、残飯を捨てる親を見て、ざまあないと思ったりもしたのだ。


 その怒りは間違っていないだろうとは思うが、同時に、どんな理由につけても、物を残さずに食べるようにという教育精神は、否定すべきものではないとも、今なら思う。


 死の間際に。


 食べ物を残してはいけない。飢餓で苦しむ人たちに、すぐに目の前の食べ物を転送できたらいいのだが、そういう世の中でもない。たらふく食べられる環境下にいる人たちは、与えられた食べ物を全てたいらげ、健康的に生き、飢餓の二文字を辞書から消せるように、努力すべきである。

 そうだ、ひねくれないで、そう考えることのできる柔軟さがあったのなら。

 こんな苦しみを味わうことはなかったのだ。

 おそらく、これは罰である。人間だったあのころの、幼いながら、しかし確かにあった傲慢さにたいする、十分な罰だ。


 私は今、テーブルの上の残飯。生きたまま皿にのせられた魚の刺身。子どもが私を覗きこみ、きもちわるいと眉を潜める。その子どもの母親は言う。飢餓の国の、なんたら、かんたら。

 今までのこの魂の生命活動、全てを思いだし、しかしこのような悲しみの最期は初めてだと考える。

 こんなに苦しいのか。頼む、食べてくれ、私を。

 どうしてあなたに食べられないまま、誰にも食べられないまま、残飯となり処理されるのか。いやだ、死に場所はあなたの腹の中がいい。テーブルの片隅、皿の上から、死体処理は残飯の中なんて、そんな、そんな。

 言葉にすることができるはずもない。私は、今、魚なのだ。


 席をたつ人々を視界の隅で捉えながら、ああ、次は何に生まれるのかわからないけれど、この苦しみが魂に記憶され、何かを残すなどと言う行動にはでないような生きざまでありますようにと願いながら、意識が薄れていくのを実感する。


 私は、残される。葉っぱに包まれて、苦しみながら。


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テーマ「テーブルの上」

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