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父と娘

「皆さん、一通りお話と魔道具の実演が済んだようですね。お茶にしませんか」


 中庭に出てきた柔らかな物腰の中年紳士のスヴェンが、話しかけてきた。誘われて一同はリビングに移動する。皆が着座すると、スヴェンがお茶を注いで回ってくれる。


 療養中、プリシラは毎日、修一に付き添っていたが、たまにプリシラが不在の時にはスヴェンが来てくれて、身体の世話や各種手配をしてくれた。


 この(貴族邸にしては)小さな別邸には、住み込みの家人はおらず、庭と家屋の手入れをする年寄りが通いで来ているだけだ。食事は本宅から持ち込んでいるが、その他の家事はプリシラと、時々来るスヴェンがやっている。


 スヴェンという名前しか聞いていないが、上品な物腰で決定権もありそうなので、コーエン家の家令だろうと修一は検討をつけている。家中では地位の高そうな人間が、召使いがする様なことをしてくれて、修一は恐縮しつつ感謝をしていた。


「スヴェンさん。療養中はお世話になりました。お陰様で今は歩けるようになりました」


 お茶を注がれながら、修一は顔を緩めてお礼を言った。


「お、おい、修一よ。気さくな方だから、名前呼びで構わんが、様付けはしろよな」

 アシュレイが小声で修一に忠告する。


「ん、何のこと?」


 修一がアシュレイの視線を辿ると、スヴェンに行き着いた。


「え? あれ? もしかして、コーエン辺境伯爵様、でございますか?」

 混乱して言葉使いがおかしくなっている。


「はい、そうですよ。名乗っても伯爵だと気付かれなかったので、いたずら心で娘にも口止めしていたのです。ふふ」

 ニコリと嫌味のない笑顔で応える。


 修一がプリシラを見ると、申し訳なさそうな顔で頷かれた。


「す、済みませんでした」


 慌てて席から立ち上がり、呆然の体で謝罪の言葉を発する。


「いえいえ。こちらこそ、とんだいたずらをしました。けれど辺境伯としてではなく、一人の父親として、修一君の人となりを知りたかったのですよ。何しろ、娘が婚約者として連れて来たのですからね」


 修一がプリシラを見ると、彼女はぺろりと小さく舌を出した。


「い、いや。身分が違うから結婚とか無理ですよね?」


(貴族なので身体は自分の自由にできないって言ってたじゃないか!)、とプリシラに視線で突っ込みつつ、スヴェンに確認する。


「ノルン村迷宮から数えて、修一君がいなければ、娘は何回死んでいることか。王女まで助けている。身分違いどころか、娘との関係がなければ、リアンナ王女殿下と婚約させようという話も出ていましたよ」


「ええぇぇ」


「修一君が王女殿下を望むなら、そちらの方向で話を進めますよ? この国は若いから、実力が確かな者なら身分差は障害になりません」


「いえいえいえ。滅相もないです」


 さらに当惑した修一はまずは大きく深呼吸をした。落ち着いてから正直な気持ちを話す。


「俺は、記憶が戻る前は、プリシラのことは大事に思っていましたが、将来のことは考えていませんでした。古代竜に挑むという啓示を聞いていたので、挑んだ後のことは、とても考えられなかった。記憶が戻った今は……」

 言葉を切って言いよどむ。


「仲間と協力して、魔物対策のためにやれることはやるつもりです。でも俺は、プリシラと幸せになる資格はないし、幸せにできる自信もない。これからもプリシラのことは命を懸けて守ります。でも一緒にはなれません」

 そう言って修一は頭を下げた。


「修一君、頭を上げて下さい。君にはまだお礼を言ってなかった」


 修一が頭を上げると、スヴェンが修一の手を取った。


「私が娘から啓示内容を聞いたのは、修一君が古代竜に襲われた後のことです。この三年、娘がずっと不安に耐えていたことに気が付きませんでした。私は父親失格です。でも、君が娘の希望になってくれました。ありがとう。私はそれだけで十分です」


 スヴェンは握った手に力を込めて、頭を下げた。


「い、いえ」


「どのみち、プリシラに限らず、どの女性とも結婚する気はないのでしょう?」


 修一が頷いたのを見て話を続ける。


「なら婚約者にしておけばいい。そうでないと、辺境の英雄さんには、色々と話が舞い込んで面倒ですよ。それは娘も同じ。いい年して冒険者の真似事をしていると批判されていますから、婚約したことにすれば周りも落ち着きます」


「い、いやそれはまずいのでは?」


「ふふ、方便方便。いつまで婚約状態にするかは当人同士に任せますよ」


「修一、辺境伯とプリシラがそれでよいと言うのだから、ありがたく従っておけ。修一にはこれからさんざんに働いてもらう。忙しくなる。結婚話など先送りだ」

 アメリアが面倒くさそうな調子で声をかける。


「分かりました。俺にとって都合が良すぎて申し訳ないですが、よろしくお願いします」

 修一は、二人がアメリアの言葉に頷くのを見て、また頭を下げた。


「それにしても、スヴェン様自らお茶を淹れたり家事をするなんて驚きました」

 修一が焦っている横で、ニールはお茶を堪能していた。


「コーエン家は元は下級貴族で、父はしがない文官でしたからね。独立戦争時代は人手がなくて、私も家事を手伝っていましたよ」


「なるほどー。お茶、美味しいです」

 ニールは辺境伯相手でも恐縮せずに自然体だ。



 しばらく一同は談笑していたが、修一の今後のことが話題となった。


「うむ。一刻も早く上級射撃魔法を使えるようになってもらう」

 アメリアが答える。


「他の中級魔法士を育てた方が早いでしょう?」

 修一が驚いて問う。


「修一とプリシラは、私達兄弟よりも単体攻撃魔法の才能がある」


「俺の射撃魔法が賢者様以上の威力があるなんて信じられませんよ」


「私達兄弟はそれぞれ得意分野がある。範囲攻撃が得意な者はいる。だが単体攻撃を得意とする者はいない。対人戦闘なら私達はお前より強いさ。だが私達兄弟が束になっても古代竜にはかすり傷しか付けられない」


「いや、俺とプリシラだって、倒せませんよ」


「だが修一の射撃魔法なら、竜鱗を貫けるかもしれない。魔法杖を使えれば、な」


「魔法杖、ですか」

 修一はポーチから指揮棒型の魔法杖を取り出した。


「それはヴィクターの予備杖だな。小型だが、性能は私達兄弟の杖に匹敵する。魔法杖は効果がないから使わないと言ってたな?」


「ええ。でも記憶の戻った今はその理由が分かる」


「ほう?」


「俺はこの杖を持って、ヴィクターにとどめをさした。記憶を封じていても無意識に働く罪悪感で力を出せなかったんだ」


「ヴィクターの件は前も言ったが、彼が死に至った事実を知ることができたので私はそれで納得しているよ。私や兄弟達が修一を恨むことはない。修一は、むしろヴィクターに巻き込まれたと言うべきだしな」


「はい……」


「修一はヴィクターや我々に罪悪感を持つ必要はない。ヴィクターは焦り過ぎたんだ。滝沢樹が言うように、世論が変わるまで待てばよかった」


「ヴィクターは、オルトゥスは二十年で滅びると予測してました」


「滅ぼさせはせん! オルトゥスに残った私達の力をもっと信用して欲しかった。ヴィクターが戻るまで二十年でも三十年でも、オルトゥスを保たせてみせる! 兄弟皆でそう決意していたのに」


「そう言えば、国家単位でないと感情が動かない、という言葉、冗談だったそうです。ヴィクターはいつも超然とした態度でしたが、オルトゥスを救う以外のことに気持ちを割く余裕がなかっただけなんですね。自分一人で何とかしなければと、ずっと精神的に追い詰められていたんだ。それで視野が狭くなってたのかもしれない」


「なんで、なんでその苦悩を分かち合おうとしなかったのよ! 父さんのバカァ!」

 アメリアは最後には娘時代の口調になって声を荒げた。目に涙が溜まっている。


 アメリアの口調が変わったことで修一はやっと気がついた。普段のアメリアは、ヴィクターの口調と同じだったのだと。


「ヴィクター様が父親だったからじゃろ。父は子供に自分の苦悩は見せないものよ。父親が子供に言える言葉なんて一つしかない。俺が何とかするから心配するな、てな。同じ父親として儂はよく分かるよ、よく分かる」


 ゴルバスは豪放磊落な彼に似合わぬ哀愁を帯びた表情で、アメリアに言葉をかけた。

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