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ロディア湖へ

 夜明け前のほのかな白い明るみが修一とプリシラを包んだ。


 プリシラは、修一の胸にうずめていた顔を上げて、彼女の英雄と見つめ合う。プリシラの朱髪あけがみと紅潮した頬が、太陽と同じ熱量を持って修一を燃やす。


――やっと会えた。二人は万感の思いを込めて、無言で顔を近づけていく。


「愛のイグニション」


 ふわふわとした金髪に、きらきらとした瞳でこちらを見ている、ちんまりとした女の子が居た。見た目も実年齢もまさしく十歳の妃殿下リアンナだ。


「はわわ。つい口走ってしまいました。どうぞわたくしに構わず続きのキッスを」


「……リアンナ様。申し訳ありません。今、リアンナ様の首輪を外します」

 プリシラは修一の膝から降りて、何度かゆっくりと息を吐いて沸騰した身体を冷ましてから、妃殿下に向かう。


「はわ、違うのです。催促ではありません。閃いただけなのです。どうぞキッスを」


「イグニション」

 プリシラはリアンナの言葉には応えず、右手を首輪に当てて魔法を唱える。ガチャリと音がして、封魔の首輪が壊れた。


 拘束を解いた二人は、怪我の確認や輿こしにある荷物の検分を始めた。


「良かった。マジックバッグと中身はそのままでした。修一、そろそろ回頭して、アシュレイ達に合流しましょう。戦闘がどうなっているか心配です」


「……回頭できない。操り方が分からない。とりあえず、俺が今の姿勢と手綱の握り方をしている限りは真っ直ぐ歩いてくれる」


「そんな……。ゴウロック族が話していましたが、この先に渓谷があるそうです。突き当りは崖になっていて、左に行くと緩やかな斜面を降りられるとか。川沿いに北西に進んだ川下が目的地のロディア湖だと」


「どうする、姫を抱えて飛び降りるか」


「そうしましょう。そろそろ渓谷です。リアンナ様、修一のところへ」


 修一は、御者席に来たリアンナを左腕で抱え立ち上がった。その時、進行方向右手上空から鳥影が見えた。人間ほどの大きさで、頭部は人の顔で腕は鳥の羽を持つ飛行魔物ハーピー。


「ハーピーの群れです。自分より小さい人間の子供を襲います」


「ストーンショット」

「フレイムラディエーション」

 二人の魔法により、たちどころに十体の群れは全滅した。だが、この襲撃にロックリザードが興奮して、速度を上げた。


 輿の揺れが激しくなって尻もちをつく三人。飛び降りたいが、立ち上がるまでの踏ん張りが効かない。修一は左腕でリアンナを抱え、右手で手綱を握るのが精一杯だ。


「崖です。ロックリザードは垂直な崖でも落ちませんが、乗っている私達が保ちません!」


「きゃああ」

「あわわわ」

「うおおお」


 ロックリザードが正面の崖に突っ込む。岩肌に鉤爪を食い込ませて崖を降りていくリザード本体は危なげがない。だがその身体に載せられていた非固定物がバラバラと落下していく。修一はリアンナを抱えたまま手綱にぶら下がり、プリシラは輿とリザードを繋ぐ索を掴んでいるが、輿の重さで切れそうだ。


「修一、索がもちません。飛び降ります。川下のロディア湖で会いましょう。リアンナ様をお願いします」


 そう言ってプリシラは手を離すと、眼下の川に落ちていく。一拍してバシャンと小さな着水音が聞こえた。


「プリシラ待ってろ、必ず迎えに行く!」

「プリシラ姉さまー」


 二人の声が渓谷に響いたが、応える者はいなかった。


 修一も飛び降りる覚悟を決めた時、崖上から鳴き声が響いた。


――グギョギョギョ


 ロックリザードはそのタートルクロウの声を聞くと、方向転換して崖を登り出した。崖を登りきって、さらに鳴き声が聞こえる方へと、もと来た山道に進んで行く。


「修一、無事か? 手綱を軽く二度引けば止まるぞ」

 道の先には笛を持ったネイサンがいた。修一が指示通りにロックリザードを止めるとネイサンが乗り込んで来る。


「ネイサン、助かったよ」


「タートルクロウはロックリザードの好物なんだ。御者を代わろう」


「プリシラが川に落ちた。着水音が小さかったから、風魔法で衝撃を抑えたんだろう。大怪我はしてないと思う。俺は川沿いに追うつもりだ。そっちの様子は?」


「お前たちが離脱して、すぐにおれも追いかけたから分からん。怪我をしてる奴がいるかもしれんから、修一のハイヒールが欲しい。すまんが一旦合流してくれ」


 野営地に戻ると、戦闘は終わっていた。味方に大怪我はなく、ゴウロック族の生き残りに尋問しているところだった。互いの無事を確認した後、アシュレイが尋問結果を伝える。


「先発した別隊は、やはり帝国の工作員だ。山岳地帯に遺跡型迷宮が発見されたらしい。それで帝国とゴウロック族が共同で動いてる」


「魔物の氾濫スタンピードと魔物寄せの魔道具もそこが原因か。ロディア湖にはさらに多くの帝国軍が駐留しているのかな」

 修一が装備の確認をしながら言う。


「ああ、ロディア湖に帝国の魔導船が待機してるそうだ。修一とオレで先行しよう。残りの皆はロックリザードに乗って来てくれ。ただし姫様の護衛を優先で、慎重にな」


 修一が自分とアシュレイに交互にヘイストをかけながら、川沿いにプリシラを捜索しつつロディア湖に向かう。正午前には河口に着いた。対岸の湖尻(湖水が河川に流出していく一帯)には、一隻の船が停泊している。その岸辺には複数のテントがあり、帝国の野営地と思われた。修一は半眼になってマナ反応を探る。


「マナの反応はないな。あの船にもっと近づこう」


 二人は視認されないよう身を隠しながら移動する。


「帝国側の指揮官がノルベルトというらしい。オレの知ってるヤツだったら面倒なことになる」


「面倒?」


「ああ、昔、帝国にいた頃そいつと色々あってな。恨みを買っている」


「アッシュは帝国出身だったのか。ここで帝国といざこざ起こしちゃマズいのか? ダメと言われてもプリシラを最優先にするが」


「それでいい。プリシラが第一だ。魔導船は二隻いると聞いたが停泊しているのは一隻だけだな。一隻は出航したか」


 帝国野営地に近づいて、修一は再びマナ探知を始める。


「見つけた! あの船にプリシラがいる。だがマナ揺動が弱い。意識を失って河口に流れ着いたところを帝国に捕まったんだろう。アメリア様は探知範囲にいない」


「アメリア様は、もう一隻を追っているのかもな。あの人なら船に乗り込んで、積荷と船員ごと船を乗っ取って、今頃、王都に航行中かもな」


「あの人なら有り得そうだ。あの川は王都にも?」


「ああ。途中で、帝国方面と王国方面に分かれる。うーん、野営地にいるのが目視で三十五ってところか」


「船内はプリシラを含めて十五人だ。その殆どは周りの兵士よりレベルが低い。船員だろう」


「ククッ、今朝より状況が悪化してるじゃないか。ゴウロック族相手の時は、味方七人、敵三十三人、夜明け前の闇に紛れた奇襲。今は、オレ達二人、敵五十人以上、まだ昼間だぜ」


「戦闘評価に定評のあるアシュレイ先生とは思えない弱気な状況判断だな」


 修一が意地の悪い笑みを浮かべてアシュレイを煽る。


「フッ、冗談が過ぎたようだ。追い詰められたのは帝国の方だよな」


 二人は獰猛な笑みを交わして、魔導船を見る。この一帯で二人は最もレベルが高い。だが帝国軍は、この距離になっても二人のマナ揺動に気づいている様子はない。そして彼らの逃走手段は、たった一隻の魔導船だけだ。まさしく帝国は追い詰められていた。

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