明日の約束
31
「お父さん。そんなに大きな声を出さなくても、聞こえています」
ユラが俺の隣へ並んだ。
ハクテンさんの視線が、俺からユラへ移る。俺との間に身体を入れようとしたユラを、右手でそっと止めた。
いや、ありがたいんだけどな。ここで彼女の後ろに隠れるのは、さすがの俺もちょっと違うと思うんだ。
「あの、ハクテンさん。さっきは、いきなりお義父さんなんて呼んで、すみません」
そこは素直に謝る。初対面の男にいきなり父親呼ばわりされたら、そりゃ驚くよな。
ハクテンさんは鼻から長く息を吐き、俺の隣に立つユラを見た。
「ユラ。お前は、本当にこの男でいいのか」
「はい」
返事に迷いがなさすぎて、聞かれたわけでもない俺の背筋まで伸びる。
「わたしが、ナオトさんと一緒にいたいんです」
ユラの手が、今度は俺の右手を握った。
おおう。親御さんの前だぞ、ユラ。いや、嬉しいけども!
握り返していいのか迷っている間にも、ハクテンさんは俺たちの手元をじっと見ている。俺から離すわけにもいかず、指へ少しだけ力を込めた。
「ナオトくん」
「はい」
「これから、どうするつもりだ」
これから。
ユラと一緒にいたい。その気持ちなら、さっき言ったとおりだ。
だが、住む場所も、仕事も、この世界でどうやって暮らしていくのかも、まだ何一つ決まっていない。今の俺は、飯も寝床も世話になっている身である。
口を開いたものの、すぐには言葉が続かなかった。
「……まだ、ちゃんと決めてないです」
ハクテンさんの眉が寄る。
そりゃそうだよな。俺だって、もう少しまともな答えを聞きたかった。
「まず怪我を治して、それから働くなり、旅をするなり……ユラと話して、決めたいです」
「旅をする?」
「あっ、まだ決めたわけじゃないです!」
慌てて首を振る。ユラの手を握ったまま頭まで下げかけ、脇腹に痛みが走った。
「っ……」
腹へ手をやるより早く、太い腕が俺の肩を支える。
「座りなさい」
「いや、でも――」
「座ってから話せ」
逆らう間もなく、座布団へ座らされた。ユラも膝をつき、俺の顔を覗き込む。
くそ。今くらい、ちゃんと立っていたかったんだけどな。
ハクテンさんは俺を見下ろしたまま、手に残っていた薬の小瓶を指差した。
「まだ使っていなかったのか」
「使おうとは、思ってたんですけど……」
言いながら見上げると、ハクテンさんが一度口を閉じた。
「……セラ。頼めるか」
「ええ。その前に、あなたも座ってくださいな。お膳を用意しますから」
セラさんが俺の手から小瓶を受け取る。その横では、コハクさんが空いた皿を重ね始めていた。
ハクテンさんは、まだ何か言いたそうにユラを見ている。
「君の話は、身体が治ってから聞こう」
「はい。ただ……」
膝の上で、右手を握り直す。
「ユラと付き合うのを、やめるつもりはないです」
声は少し上ずった。それでも、そこだけは言っておきたかった。
ハクテンさんはしばらく俺を見つめ、やがて向かいの座布団へ腰を下ろす。
「今は、薬が先だ」
俺は頷いた。隣でユラが握っていた手を、ゆっくり離す。
◇
「今夜から、廊下の奥の部屋を使ってくれ」
食事が終わる頃、ハクテンさんがそう言った。
ひとまず、今夜は泊めてもらえるらしい。助かった。あの勢いで外へ放り出されたら、どこへ行けばいいのか分からないところだった。
「ありがとうございます。明日には、宿を探しますので」
「なぜだ?」
「え?」
ハクテンさんが怪訝そうに眉を寄せる。
「傷が治るまでは、ここにいなさい。足りない物があれば言ってくれ」
「あ、はい。……いいんですか?」
「こんな身体の客を追い出せるか」
思わず、ユラを見る。ユラは小さく頷いたあと、父親へ向き直った。
「それでしたら、今のお部屋でいいのではありませんか。もうお布団も敷いてありますし」
「あそこは、お前の隣だろう」
ハクテンさんの返事は早かった。
「具合が悪くなったら、すぐに気づけます」
「夜の様子は俺が見に行く」
「お父さんは、朝早くからお仕事があるでしょう?」
「そのくらいはできる」
二人の間に挟まれ、俺は残っていた茶を飲んだ。
ユラの隣の部屋。嬉しい。とても嬉しい。
だが、それを今ここで口にするほど命知らずではない。
「布団なら私が運ぼう」
コハクさんが立ち上がる。
「コンタ、枕を持ってこい」
「分かった」
コンタは茶碗を置き、廊下へ出ていった。ユラが何か言おうとしたところで、セラさんが替えの包帯を持って俺の隣へ座る。
「ナオトさん。先に傷を見せてくださいね」
「……お願いします」
奥の部屋でお世話になることが、決まったらしい。
◇
傷薬を使い、包帯を替えてもらうと、脇腹の痛みはだいぶ薄くなった。
なくなったわけではないが、さっきより深く息を吸える。布団へ横になった途端、肩から力が抜けた。
腹いっぱい飯を食って、柔らかい布団で寝られる。しかも、戸を閉めれば魔物が入ってこない。
ああ。いいな、これ。
今夜はもう、何もしたくねえ。
「ナオトさん。入ってもいいですか?」
起きよう。
布団へついていた頭を持ち上げると、開いた障子からユラが顔を出した。
「そのままで。お水を持ってきただけですから」
枕元へ水差しと湯呑みが置かれる。ユラはそれでも立ち去らず、膝の上で両手を揃えた。
障子は、開けたままだ。
「お父さんのこと、怒っていませんか?」
「いや。びびったけど」
正直に答えると、ユラは困ったように口元を緩める。
「あんなに大きな声を出さなくてもいいのに」
「お前が無事だって分かって、やっと落ち着いたところだったんだろ。俺も、いきなりお義父さんはまずかったな」
「いつかは、そう呼ぶのですから」
さらりと言われ、返事が詰まった。
ユラも俺の顔を見てから、膝へ目を落とす。そこに揃っていた指が、着物の布を少しつまんだ。
「……急かしているわけではありませんよ」
「分かってる」
今度は、すぐに答えられた。
廊下の向こうで食器の触れ合う音がする。コンタが何か言い、コハクさんの短い返事が続いた。言葉までは聞き取れない。
「傷が治ったら、村を案内してくれるか?」
「はい。どこか、行きたいところはありますか?」
「武器屋は見たいな。あと、雑貨屋。とりあえず、何が売ってるか見てみたい」
昼間に前を通った店を思い出す。
あのときはジョーの無事を確かめるので頭がいっぱいだったが、今ならゆっくり覗いてみたい。金がないので、買えるかどうかは別として。
「では、広場を通って、お店の並んでいる道へ行きましょう。そのあと、お時間があれば――」
ユラが少し身を乗り出した。
「魔法の練習も、見ていただきたいです」
「おう。やろうぜ」
「試してみたいことがあるんです。ダンジョンでは、周りの壁も気になりましたし。それに、火球を出すときの――」
指先を立て、ユラが空中へ丸を描く。
魔法の話になると、やっぱり楽しそうだ。俺が分かるように言葉を選んでいるのか、ときどき止まって考えてから、また話し始める。
うんうん。なるほどな。
つまり……どういうことだ?
「待った。火球が二つってところから、もう一回」
「ですから、同時に出す場合と、続けて出す場合で……ナオトさん?」
口を閉じようとしたのに、あくびが漏れた。
いかん。今のは、かなりでかかった。
「悪い。つまらないわけじゃないんだ」
「……続きは、元気になってからにします」
ユラは立てていた指を下ろす。少し名残惜しそうに口を開きかけたが、今度は水差しを俺の手が届く場所へ寄せた。
「見ていただくまでに、わたしも練習しておきますね」
「ああ。楽しみにしてる」
布団の中へ戻ると、身体がずぶずぶ沈んでいくようだった。さっきまで話していたのに、もう目を開けているのがつらい。
衣擦れの音がして、ユラが立ち上がる。
「ユラ」
「はい?」
「明日の朝も、来てくれるか」
顔を上げると、ユラは障子へ手を掛けたところで止まっていた。
「朝ご飯の前で、いいですか?」
「おう。そのくらいに」
「分かりました」
ユラがこちらへ戻ってくる。
布団から出ていた俺の右手に、柔らかい指が触れた。そっと握り返すと、ユラの口元に笑みが浮かぶ。
「おやすみなさい。ナオトさん」
「……おやすみ」
指が離れ、やがて障子も静かに閉まった。
明日は、ユラが起こしに来る。
忘れるわけもない約束をもう一度思い出し、俺は目を閉じた。
◇
翌朝、ジョーは森へ帰っていった。
向こうにはパンとアブーがいる。見送りの際、俺が右の拳を差し出すと、ジョーも大きな拳をそっと合わせてくれた。
今度は、俺の方から顔を見に行こう。二人にも、ちゃんと無事を伝えたい。
俺はそのまま、三日ほどハクテンさんの家で世話になった。
飯を食い、薬師の先生に傷を見てもらい、眠る。ユラが本を持ってきてくれることもあったが、話の途中でコハクさんに呼ばれると、名残惜しそうに家の手伝いへ戻っていった。
誰かが廊下を歩くたびに起きていた俺も、二日目には昼飯を呼ぶ声まで寝過ごした。
ハクテンさんとは、毎日食卓で顔を合わせた。
ユラの隣へ座ると少し眉が動くが、飯を取り上げられるわけでも、家から追い出されるわけでもない。廊下で会うと、仕事へ向かう前でも足を止めて具合を聞いてくれた。
まだ少し緊張する。でも、顔を見るたびびびるほどではなくなった。
そして、包帯を外してもらった日の朝。
「おお……」
部屋の真ん中で、ゆっくり身体をひねる。右、左。腕を上げて、深く息を吸う。
痛くない。
あれだけ動くたびに引きつっていた脇腹も、今は気にならなかった。
「急に動かしすぎないでくださいね」
ユラが、畳んだ布団の横から声をかける。
「先生もそうおっしゃっていたでしょう?」
「分かってるって。確かめただけだ」
言いながら、もう一度腕を上げる。身体が軽い。
これなら、村を歩いて回るくらいは平気そうだ。久しぶりに外へ出る支度をしようとして、俺はふと左手へ目を落とした。
黒い甲殻の指が、俺に合わせて開いて閉じる。
腕はある。身体も動く。
あとは、武器だ。
村から借りた斧は三本とも折ってしまった。いつまでも借り物を壊してばかりというわけにはいかないし、俺だって、そろそろ自分の得物が欲しい。
「ユラ。出かける前に、ちょっと付き合ってくれ」
「何をなさるんですか?」
「ガチャ。いい加減、新しい斧が欲しくてさ」
丈夫で、よく切れるやつ。それでいて、持って歩きたくなるくらい格好よければ最高だ。
考えるだけで、口元が緩んでくる。
『オレノウデダケデ、ジュウブンダ』
「お前には、左を頼んでるだろ。右にも欲しいんだよ」
空いている右手を握ってみせると、センは黒い指を一度鳴らした。
ユラが俺の隣へ腰を下ろす。
「いい斧が出るといいですね」
「おう。頼むぜ、ほんとに」
目の前へ《ガチャ》の画面を呼び出す。
薬のために回したときとは違い、今はユラが隣にいて、欲しい物の話ができる。
よし。
次は俺にも、思いきり格好つけさせてくれよ。




