お義父さん
30
日が暮れる頃には、俺たちはユラの家で食卓を囲んでいた。
「ナオトさん、おかわりはいかがですか?」
「お願いします!」
「ふふ。ナオトさんは、いっぱい食べるのですね」
セラさんが山盛りの白飯を差し出してくれる。
待て。これで何杯目だ?
一、二、三……途中から数えるのをやめたが、たぶん九杯目くらいだ。
「それだけ食べられるなら心配はいらないな」
コハクさんが感心したように頷く。
「白飯を十杯も食べれば、傷などすぐに治る」
「食事って、そこまで万能でしたっけ?」
「次も盛ろう」
「十杯目が確定した!」
だが、本当にいくらでも入りそうだった。
目を覚ましてからというもの、腹の底に穴でも空いたように腹が減っている。
森で戦っていたときは、アドレナリンが出まくっていて気づかなかったのだろう。命の危機を切り抜けた反動と、何度もレベルアップした分のツケを、胃袋がまとめて請求してきたらしい。
今こうして起きていられるのは、レベルアップだけでなく、村の薬師が手当てをしてくれたおかげでもある。
薬師と呼ばれているものの、実際にやっていることはほとんど医者だった。村人からもかなり頼られているらしい。
その薬師が包帯を替えながら、妙なことを言っていた。
「普通の傷薬を塗っただけなのに、もう傷が塞がり始めている。ずいぶんと回復が早いな」
レベルが上がった影響だろうか。
だが、それだけなら高レベルの人間を診たことがあるはずの薬師が、あそこまで驚くだろうか。
もしかして、俺の身体には俺自身も知らない秘密が――。
「ナオトさん。こちらも食べてみてください」
目の前へ皿が差し出され、思考が途切れた。
皿に載っているのは、艶のあるタレがたっぷり染み込んだ魚の煮付けだった。
ユラが期待に満ちた目で、じっと俺を見ている。
「おおっ、うまそうじゃん! いただきます!」
箸を入れると、柔らかい白身が簡単にほぐれた。タレをたっぷり絡め、口へ運ぶ。
甘辛い味が舌の上に広がった。
「んんっ、うまい!」
「本当ですか?」
「ああ。身は柔らかいし、味もしっかり染みてる。これなら何皿でも食えるぞ」
「ふふん。呪符を作ることに比べれば、料理などちょろいですね!」
ユラが白い耳を得意げに立てる。
「あら、ユラ」
セラさんが微笑んだまま首を傾げた。
「魚の下ごしらえをして、味付けをして、火加減を見ていたのは誰だったかしら?」
「それは……お母さんですけど」
「ユラがしたのは、魚をお鍋に入れるところだけだったでしょう?」
「もう! お母さん、それは内緒にしてって言ったじゃないですか!」
ユラの白い耳が一気に寝た。
「でも、魚を鍋に入れる係も必要だろ」
「そうですよね、ナオトさん!」
「ナオトさん。あまり甘やかすと、この子は次も魚を入れただけで自分の料理だと言いますよ?」
「次は味付けもします!」
「火加減も見ろよ」
「では、ナオトさんが隣で見ていてください」
「俺も巻き込まれるのかよ!」
食卓に笑い声が広がった。
少し前まで、この家には泣き声と重い沈黙しかなかった。
ユラは死にかけ、俺も立ち上がることすらできなかった。
それが今は、みんなで飯を食べて、くだらないことで笑っている。
こんな何でもない時間を、もう二度と過ごせないかもしれなかったのだ。
改めて思う。
本当に、ユラを助けられてよかった。
◇
「ユラ!」
突然、障子が突き破られそうな勢いで開いた。
「うおっ!?」
箸を落としかけながら振り返る。
そこに立っていたのは、短く刈った白髪の大男だった。
でかい。
頭が鴨居へ届きそうなほど背が高く、肩幅も広い。白い狐耳まで大きく、旅装には土がこびりついていた。ここまで休まず走ってきたのか、肩で激しく息をしている。
「お父さん!?」
ユラが立ち上がった。
お父さん!?
この人がユラの父親なのか?
いやいや、体格が違いすぎるだろ。ユラの細い身体のどこに、この巨体の遺伝子が隠れているんだ。
だが、よく見ると垂れ気味の目元はユラによく似ていた。
「ユラ……」
大男はふらつくようにユラへ近づくと、顔や腕、肩を何度も確かめた。
「怪我は……傷はもうないのか?」
「はい。もう大丈夫です」
「生きてる……ああ、よかった。本当に……」
ユラが無事だと分かった途端、大男の顔がぐしゃりと歪んだ。
そのままユラの身体を軽々と抱え上げ、太い腕で抱き締める。
「本当に……本当に無茶なことを……! 生きていてくれて……助かってくれて、よかった……!」
「お父さん……」
「うぅ……ぐぅぅ……うぉおおおおおん!」
でかい身体を震わせ、子どものように泣き始めた。
ユラは困ったように笑いながらも、その背中へ腕を回している。
いい父親なんだな。
町まで薬を求めて走り、娘が助かったと知ってからも、こうして一目散に戻ってきた。
「だが!」
「ひゃっ!」
大男の泣き声が、突然怒鳴り声へ変わった。
「一人でダンジョンへ入ったことは許さん! どれほど危険なことか、今回で嫌というほど分かっただろう!」
「はい……」
「だが、お前は放っておけばまた同じことをする! そういう顔をしている!」
「そ、そんなことは……」
「あとで説教だ!」
「うぅ……」
白い耳をぺたりと伏せたユラを、大男はようやく床へ下ろした。
愛情と説教の落差がすごい。
しかし、これで親子の再会も無事に終わった――と思ったところで、大男の視線が俺を捉えた。
あっ。
今度はこっちへ来る。
床板を軋ませながら、一歩ずつ近づいてくる。
いや、近くで見ると本当にでかいな!
座っている俺からすれば、壁が迫ってきているようにしか見えない。
「君がナオトくんだね」
「は、はい!」
思わず背筋を伸ばした。
まさか異世界へ来て早々、将来のお義父さん候補と対面することになるとは。
「報告は聞いている。君がユラをダンジョンから救い出し、そのうえ薬まで届けてくれたのだな」
大男は俺の前で片膝をつき、右拳を左胸へ当てた。
「娘を救ってくれて、本当にありがとう」
さっきまでの取り乱した様子は消えている。
真剣な眼差しで、真っすぐ俺を見つめていた。
「聖神ソーマ様に誓おう。俺、ハクテンは、受けた恩を決して忘れない。君が力を必要とするときは、必ずその助けとなろう」
「そんな、顔を上げてください!」
慌てて手を振る。
「俺もユラには、ダンジョンで何度も助けてもらいました。倒れた俺をここまで運んでくれたのもユラです。ユラがいなかったら、死んでいたのは俺の方でした」
「君は謙虚なのだな」
ハクテンさんは立ち上がると、俺の包帯へ視線を向けた。
「だが、見たところ君の傷もまだ癒えていないようだ」
懐へ手を入れ、赤く透き通った液体の入った小瓶を取り出す。
「これを使いなさい」
「これは……?」
「ユラのために持ち帰った傷薬だ。だが、ユラは君が届けてくれた薬で回復したからね。ささやかだが、俺からのお礼だ」
ありがたい。
動けるようにはなったものの、脇腹も胸もまだ痛む。息を深く吸うだけで引きつるくらいだ。
俺は差し出された小瓶を、両手で受け取った。
「ありがとうございます、お義父さん」
「……ん?」
声が小さかっただろうか。
ハクテンさんが白い耳をこちらへ傾ける。
「今、何と言った?」
「まだ身体中が痛かったので、本当に助かります! ありがとうございます、お義父さん!」
「お……おとうさん?」
ハクテンさんの目元が、ぴくぴくと痙攣し始めた。
あれ?
何かまずいことを言ったか?
「あっ、そうでした」
ユラが思い出したように手を打った。
「お父さん。わたし、ナオトさんの恋人になりました」
ハクテンさんの動きが止まる。
「恋……人……?」
「はい。婚姻を前提にお付き合いすることになったのです」
「こん……いん……?」
室内の空気が凍った。
改めてみんなの前で言われると、とてつもなく照れる。
だが、ここで逃げるわけにはいかない。
俺は勢いよく立ち上がり、ハクテンさんへ向き直った。
「はい! ユラさんと、結婚を前提に、正々堂々お付き合いさせていただいております!」
言った!
言い切ったぞ、俺!
まさか恋人になったその日のうちに、親への挨拶イベントまで発生するとは思わなかった。異世界の恋愛イベントは進行速度が速すぎるぜ!
ハクテンさんは何も言わない。
目を見開いたまま、俺とユラを交互に見ている。
やがて、その口がゆっくりと開いた。
「許さん」
「え?」
「お前のような、どこの馬の骨とも分からん男に――」
ハクテンさんが大きく息を吸い込む。
「ユラは絶対に渡さんぞおおおおおおっ!」
家中が揺れた。
恩人から馬の骨へ転落するまで、わずか十秒。
「えええええええっ!?」




