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第64話

 あれから数日が経った。


 依然として迷いは払拭できないままに。


 ロイの存在を誰にも言えず、私は日々をすごしていた。


 心にしこりを残したまま時は過ぎ、ついに舞踏会当日となった。


「期間に余裕があれば、イチから仕立ててもらうこともできたんですけど」


 そんなことを言いつつもテキパキとドレスを着せてくれるリリ。


 普段は抜けている言動が目立つも、基本的に仕事はできるタイプであった。


「そこまでしてもらわなくても……」


 一方で私は彼女に身を任せるばかりだ。


 一応ながら言い訳をさせてもらうのであれば、今回のドレスは普段の私が着ているような軽装とは違う。


 そもそもとして1人で着ることが出来ない構造になっているのだ。


 もしこれを1人で着ようとしたのなら腕の関節が1桁ほど足りないことだろう。


「たしかにアンネローゼ様から紹介していただいた店なので出来栄えはすばらしいんですけど。せっかくの舞踏会なんですからっ」


 私が着ているドレスは紫を基調としたものだ。


 赤はおそらくアンネローゼとかぶりそうなので避けた。


 エレナのイメージカラーに合わせた黒はリリに却下された。


 リリに勧められた白やピンクは、あまりにもエレナに似合わなかったので私が拒否した。


 そうして試行錯誤した結果としてこのドレスになったのだ。


 エレナはまぎれもなく美少女であるものの、その前に『陰がある』だとか『陰鬱な』といった枕詞がつくことが多かった。


 そのせいかどうにも明るい色との相性が悪いのだ。


 祝いの席だから黒はダメだというリリの意見ももっともなのだけれど。


「初めての舞踏会っていうだけで緊張するのに、オーダーメイドのドレスなんて着せられたら一歩も動けなくなっちゃうわよ」


 きっとこのドレスだって途方もない金額なのだろう。


 もしオーダーメイドなんかを着た日には、私は気後れして歩けなくなるだろう。


 仮にヒールでドレスの裾を踏んだりしたら、転ぶ前に気絶してしまいそうだ。


「? エレナちゃんは聖王国で舞踏会に出なかったんですか?」


「あー……」


 リリの素朴な疑問に思わず声が漏れた。


(そうか。私はともかく、エレナが舞踏会に出たことがないっていうのは不自然よね)


 エレナ=イヴリスは貴族令嬢だ。


 それこそ舞踏会にだって出席している。


 中身が別人であることを知らないリリにとってその疑問は当然のものだろう。


「い、一応出たことはあるわよ? でも目立たないように端っこにいたから」


 ちなみにこれは原作通りの設定だ。


 エレナは舞踏会に出ることはあったものの、ほとんど誰とも踊ったことがないらしい。


 というのも彼女が出席する目的はあくまでノア=アリアの交友関係を調べるためだったからだ。


 彼女を効率的に苦しめるために狙うターゲットを見定めることが目的で、エレナ自身が誰かと親交を深めるつもりなどまったくなかったのだ。


(だから原作でも、エレナは舞踏会でノアと踊った攻略対象を狙うようになるのよね)


 序盤は共通ルート。


 そしてシナリオ中盤の舞踏会イベントで踊った相手のルートに突入する。


 それが聖魔のオラトリオのおおまかな流れだった。


(攻略対象、かぁ)


 ……嫌なことを思い出してしまった。


 もっとも、嫌だからといって避けていい話でもないのだろうけれど。


 それでも気が沈んでしまう。


(ユリウスが味方をしてくれたのは単純に運が良かったからでしかないわ)


 彼がエルフだったから。


 エルフが元来、人間と魔族の争いに関心がなかったから。


 そして私がエレナ本人ではないと見抜く技術を持っていたから。


 いくつもの幸運が重なった結果でしかない。


(逆に言えば、ロイが味方になる可能性はゼロ)


 これは確実にいえる。


 性格から考えても設定から考えても、彼を説得することは不可能だ。


 そもそもエレナである私が交渉の席に立てるとは思えない。


(シンプルに私が嫌われているというのもあるけど、なにより彼は聖王国の騎士。彼の役割を考えれば説得の余地がない)


 情に訴えかければどうにかなる問題ではない。


 以前に私たちが出くわした時に殺されずにすんだのも、周囲の目があったから。


 密偵として目立たないために見逃しただけでしかない。


 もし事態が露見しないような場所だったならあそこで殺されていてもおかしくなかった。


(本当ならリュートに伝えなければならないんだけど……)


 だけど悩んだまま私はここにいる。


「……どうしたんですか?」


「え?」


「また悩んでいる表情をしていたので」


 気が付くと、リリは手を止めていた。


 一応ながら社会人として生活していたというのに、内心と取り繕うこともできないとは。


 私が思っている以上に、私の心は限界が近いのかもしれない。


「……そうだったのね」


 だからだろう。


 抱えきれない苦しみが漏れだすように、口から言葉が紡ぎ出された。


「ねえリリ」


「はい?」


「リリは、大切なものの優先順位って考えたことがあるかしら」


 私にはいまだに分からない。


 どんなに考えても、みんなが大切だという結論に逃げてしまう。


 誰かを切り捨てることに。


 そうやって手を汚すことから逃げてしまう。


「どちらかしか選べないけれど、どちらを選んでも……どちらを失うことになっても後悔してしまう。そんなものに出会ったとき、どうすればいいと思う?」


 本来のシナリオであれば、魔王と勇者の間で揺れ動いた彼女だから。


 2人の大切な人に優先順位を付けざるをえなかった彼女だから。


 聞いてみたいと思ったのだ。


「大切なものの優先順位、ですか」


 きょとんとした表情のリリ。


 だけど彼女は目を閉じて、真剣に考えてくれる。


「たしかに難しい話ですね」


 ふっと彼女は微笑みを漏らす。


「でも案外、エレナちゃんならどっちもなんとか出来ちゃうかもしれませんけど」


 まったく。


 彼女の中で、私はどんなスーパーヒーローになっているのだろうか。


 私が独力で成し得たことなど何もないというのに。


「だってエレナちゃんは、魔王様とソーマさんのどっちも助けちゃったんですから」


 違う。


 それもたくさんの人が助けてくれたから。


 原作知識というズルが、少しだけ私の背中を押してくれたから。


 だから頑張れただけなのだ。


 生まれながらの主人公であるリリのように、運命を切り開く力なんてないのだ。


「だけどもし、本当にどうにもならない時が来たら」


 そう言って彼女は指を立てた。




「そのときは誰かの手を借りるのが一番だと思いますよ」




「先日の件だって、魔王様は自力での解決が難しいと思ったからエレナちゃんにソーマさんのことを託したわけですし」


 あのリュートでさえそうしているのだと。


 そう彼女は語る。


 あの日、彼は私の手を借りたのだと。


「どちらかしか選べないんですよね?」


「……ええ」


 頷く。


 私が口にした意地悪な問いかけ。


 それにリリは笑顔で答える。


「だけど誰かに助けを求めたら、少しだけ何かが変わるかもしれません」


 彼女の視線がまっすぐへと私の目を射抜く。


「どちらかを選ぶしかなかったとしても」


 両方は取れない。そんな私の前提に従った上で。


「それはもしかしたら気持ちの問題で、物理的な利益があるわけじゃないかもしれません」


 それでも、0と100という話ではないのだと。


「だけどどちらかしか選べないような重大な選択なら、誰かに助けてもらったほうが失うものも少なくて済むんじゃないかと思います」


 どちらかしか選べなかったとしても。


 そこに至るための労力やリスクが変わるかもしれない。


 ほんの少しでもマシな未来が待っているのかもしれない。


 彼女はそう語る。


「一緒にいれば後悔や悲しみも分け合える……なんて言いません。それはきっと失った本人にしか分からない痛みだから」


 それは彼女が口にするには意外と思えるほど論理的な答えだった。


 いや、違うのか。


 彼女は優しいだけの少女じゃないのだ。


 甘い環境で育ち、闇を知らない少女じゃないのだ。


 暗い世界の中で、それでも優しさを失わなかった少女なのだ。


 私なんかよりたくさん理不尽にぶつかってきた少女なのだ。


 だからこそ誰かに助けてもらわなければ大切なものを守れないことを知っている。


「だからこそ、少しでも多くの大切なものを守るために誰かを頼ったほうが良いんじゃないかなぁ……と」


 そこまで言って、リリは少しだけ恥ずかしそうに頬を掻く。


「えっと……なんだかよく分からない答えになっちゃってすみません」


「そんなことないわ。ありがとう」


 私は彼女に微笑み返す。


 答えを得たわけじゃない。


 だけど、理解した。


 この世界を生きる人がどれだけ現実に向き合っているのかを。


 そんな彼女たちに並び立たなければならない日が迫っていることを。


「――っと。ちょうど準備も終わりましたっ」


 そんなことを考えている間に、リリは着付けを終えてくれていたらしい。


 彼女に促されるまま私はゆっくりと立ち上がる。


「どうですかエレナちゃん」


 眼前にあるのは私の身長よりも大きな姿見。


 当然、そこに映るのは私自身となるわけなのだが――


「…………」


 声が出ない。


 エレナの容姿が整っていることは知っていたが、それでなお過小評価であったのだと思い知らされた。


 そこにいたのは憂いを帯びた儚げな美少女だった。


 化粧でクマが消えたせいか、日頃の陰鬱な雰囲気がほぼ消えている。


 化粧のために数時間拘束されたときには激しい疲労感と徒労感に襲われていたものだが、それは私の見立てが甘かったからなのだろう。


 今なら言える。


 間違いなく、時間に見合うほどに私の姿は様変わりしていた。


 ほんの少し残った元の暗い雰囲気さえ、今ではミステリアスは風格へと昇華されている。


「なんだか自画自賛みたいになっちゃうけれど……綺麗ね」


 思わずにやけてしまいそうにながらそう答える。


「ありがとう。リリ」


 本当に隠せていたかは微妙だけれど。


「そう言ってもらえると嬉しいですよ」


 とはいえ、隠せなかったにやけ顔がリリを喜ばせたというのなら悪くないかもしれない。


 我が事のように笑顔を見せてくれるリリを見てそう思った。


「アンネローゼ様にもお礼を言わなきゃですね」


「そうね」


 ドレスなんて動きやすいものが良い。


 そう思っていた過去の自分が恥ずかしい。


 普段着に使っているドレスとはまるで質が違う。


 完全な美少女と化したエレナの姿に負けるどころか、引き立ててくれているのだから。


 露出は少なく、華美な装飾があるわけでもない。


 なのに見る者に圧倒的な完成度を感じさせる。


 それはきっとこのドレスが職人によって作り上げられたある種の芸術であるからこそ。


 細部に神が宿る、とでも評すればいいのか。


 これほどのドレスはアンネローゼの助力なしに揃えられなかったことだろう。


「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」


 リリに手を引かれ、舞踏会へと向かってゆく。


 その足取りは少しだけ軽かった。

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