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第62話

(ロイ=バックス)


 彼を一言で表すのなら、寡黙で不器用な青年だろうか。


(聖魔のオラトリオの攻略対象の1人)


 聖魔のオラトリオの主人公ノア=アリアとは、騎士見習いの頃からの知り合いだった。


 騎士見習いと町娘。


 そんな関係がノアの覚醒により同じ学園と通う友人になり、そして騎士と聖女となる。


 ロイはシナリオが始まった時点でノアに好意を抱いている唯一の攻略対象であり、それでいて個別ルートに入らない限りその好意を誰にも話すことはない。


(そして――聖王国の近衛騎士団長)


 騎士の中の騎士。


 そう呼ばれる王家専属の騎士団。その頂点。


 彼がそこまで上り詰めたのは才能だけに頼らない実直な努力ゆえだろう。


(間違いなく、作中で彼が変装していた時の姿だ)


 彼は国ではなく王に仕える騎士。


 だからこそ単純な戦闘だけでなく、表沙汰には出来ないような密偵としての情報収集能力にも秀でていた。


 原作でも変装して諜報活動をするシーンがあった。


 そこで描かれた立ち絵と、目の前の男性がそっくりなのだ。


 魔族として振る舞うため角が生えているが、違いなんてそれくらいだ。


(なんで彼がここに……)


 たしかに彼は密偵として動くことはある。


 だが、まさか聖王国を離れて魔族領に潜入しているなんて想像もしていなかった。


「「――――」」


 思わず彼と見つめ合ってしまう。


 私は、ロイが魔族領にいるという衝撃に。


 そしておそらく彼は、エレナが魔族領にいるという事実に凍りついていた。


 ノアの幼馴染であり彼女に恋をしているロイは、エレナのことを心の底から嫌悪していたから。


(ってマズイ……!)


 放棄しかけていた思考を慌てて取り戻す。


 ここで不自然な挙動をしては駄目だ。


(変装に気付いていることがバレないようにしなきゃ……!)


 私はエレナそのものの姿をしている。


 だからロイが驚くのはある意味で不自然ではない。


 彼女の悪評を思えば、私を見て驚くことは彼が人間であることの証拠にはならない。


 だが、逆は違う。


 私がロイに驚くのはおかしいのだ。


 エレナ=イヴリスが、ロイの変装姿を知っているはずがないのだから。


「……悪い。どこか怪我をさせてしまったか?」


 不愛想な声で彼がそう問いかけてくる。


 彼は感情を表に出すのが得意ではない。


 だからこの対応がそれほど不自然なわけではない。


 しかし、だからこそこの感情が見えづらい振る舞いが恨めしい。


 彼が私に対してどう考えているのか予測できないのだ。


「い、いえ! 気にしないでくださいっ……!」


 慌てて私は後ずさる。


 平静を装わなければならない。


 分かってはいるけれど、動揺が仕草に現れてしまう。


 お願いだから違和感を覚えないで。


 そう心の中で願う。


「……そうか」


 彼は差し出そうとしていた手を下げる。


 声色からも表情からもその思考は見えない。


 エレナへと彼が抱く憎悪を知っている身としては、その振る舞いそのものが恐怖だ。


「悪い。少し急いでいてな」


「お、お気になさらず……」


 頭を下げて立ち去ろうとするロイ。


 そんな彼の何気ない動きにさえ冷や汗が止まらない。


 彼が背を向けても。


 どんどん姿が見えなくなっていっても。


 視線を逸らした瞬間に殺されてしまうのではないか。


 そんな考えが消えてくれない。


(女神システム起動――マップ表示)


 彼が見えなくなるのを見届けてから、私は心の中でそう唱えた。


 すると私の手元に正方形のホログラムが浮かび上がる。


(聖域に行ってから、私は女神の力をいくつか使えるようになった)


 魔族領に戻ってきてから。


 私は聖域で手に入れた女神の権能を少しずつ確認していた。


(その内の1つとして、一定範囲のマップと人物を表示できる)


 手元に現れた映像は私を中心としたマップだ。


 そこには生物が点で示され、名前が表示されている。


 このマップは女神の力を持つ私にしか見えない。


(たとえ変装していても、マップに表示される人物名は――)


 素早く視線を走らせ、ロイが歩き去ったであろう方向にいる生物を確認。


 そこに表示されていた名前は――


(やっぱりロイ=バックスで間違いない)


 やはりロイの名前だった。


 他人の空似であってくれという願いは脆くも崩れ去った。


 間違いなく彼は私が知るロイ=バックスだ。


(聖女ノアの騎士であるロイなら、人間でも魔族領に侵入できる)


 魔族領を満たす魔素という物質は生物に悪影響を与える。


 それは人間も例外ではない。


 もし例外があるとすれば、それは聖女。


 同時に聖女から直接浄化の力を付与された人間は魔族領でも活動できる。


 この場合は、ロイを魔素から守っているのは聖女ノアなのだろう。


(密偵として魔族の内情を探ろうとしているっていうことかしら)


 まだグランドルートのエンディングを終えてから1年も経っていない。


 ノアもまだ王女としての執務に追われているだろう。


 そう思っていたのに。


 まさかもう、魔族への対応を始めていたのだろうか。


「これはもしかして……新たな恋の予感ですかっ!?」


「違うでしょう。それに、そもそも最初の恋は貴女の早とちりでしょうに……」


「そうでした……」


 リリとアンネローゼがそんなやり取りをしている。


 だがどうにも頭に入ってこない。


 頭を勢いよく殴られたような気分だ。


 足元の感覚が希薄で、今にも倒れてしまいそうだ。


「それで――知り合いでしたの?」


 何か不穏な気配を感じたのだろうか。


 歩み寄ってきたアンネローゼは小声でそう尋ねてきた。


「…………いえ。知らない人でした」


 声が震えないように。


 そう願いながら首を横に振る。


 分かっている。


 本当であれば、ロイがここにいるという事実は重大事件なのだ。


 魔族のことを思うのであればすぐに情報を伝えなければならない。


 ――それこそリュートの判断を仰がなければならない案件なのだ。


 だけど、できなかった。


 とっさに隠してしまった。


(彼はユリウスと違って、聖王国の騎士。リュートが生きていることを知られたら、ほぼ間違いなく聖王国にまで情報が伝わってしまう)


 おそらく、ロイの目的は魔王を失った魔族領の情勢を探ること。


 しかし彼がここにいる以上、いつリュートの生存が発覚するか分からない。


 いや、もう知られているのかもしれない。


 彼は魔族にとって特大級の爆弾となってしまっているのだ。


 もしも私が。


 私が心から魔族の味方として生きることを選ぶのなら、




(だとしたら私は――どうすればいいの?)




 ――私は、彼を殺さなければならないのだ。

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