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第1話

 明かりの消えた狭い部屋で、私――黒崎玲奈(くろさきれいな)はベッドに横たわっていた。


 深夜ということもあり、たまに車が通過する音が聞こえるだけの静寂に包まれた世界。


 手元のゲーム画面を見つめ、私はテキストを読み進めていく。


 私がプレイしているのは『聖魔のオラトリオ』――いわゆる乙女ゲームと呼ばれるジャンルのゲームだった。


 主人公であるノア=アリアが聖女として覚醒し、3人の男性と共に魔王を討ち倒す。そんなシンプルな物語だ。


 王道ながら重厚なシナリオにより本作は多くのファンを獲得し、続編が作られるほどの人気作となった。


 そんな物語は山場を越え、すでにエンディングへと差しかかっている。


 西洋風な街並みの中、2人の男女を中心としたパレードが進んでゆく。


 彼女たちの些細な仕草にさえ国民は狂喜していた。


『見てくれ。この笑顔は君が守ったものだ』


 金髪の青年――アレン=ローライトがかたわらに立つ銀髪の女性――ノア=アリアへとそう告げた。


 アレンは国民を一望し、笑みを浮かべている。


 私がプレイしているのは、第1王子アレンのルート。


 パッケージに一番大きく描かれている攻略対象なだけあって、彼との物語はすべての伏線を拾いあげて大団円へと収束していく――いわゆるグランドルートとでもいうべきシナリオだ。


『いいえ。私だけじゃないわ』


 ノア=アリアはゆっくりと首を振る。


『これまでたくさんの人に助けられてきたし、なにより……ロイにユリウス。そして――貴方がいた』


 これまで見届けてきたイベントが脳裏を駆け抜ける。


 彼女がどれほどの苦難を乗り越えてきたのかを、プレイヤーたちは知っている。


『私だけでは。いえ、私たちだけでは何もできなかったわ』


『そうか……確かに、君の言う通りなのかもしれないね』


 ノアの言葉にアレンはふっと微笑む。


『この景色は、僕たちだけで掴んだものじゃない』


 物語の冒頭では、世界の半分が魔王に支配されていた。


 しかし今は、最大の脅威であった魔王の討伐を終え、幸せな未来への希望が見え始めた。


『今日という日は、平和を願うすべての人々がいたからこそ訪れたものだ』


 その立役者である2人が語る。


 この結末にまで至れたのは、自分たちだけの功績ではないのだと。


『この景色を絶やさぬよう、頑張っていこう』


 だからこそ2人は誓う。


 たくさんの人の努力で紡がれた現在を、未来の人々が享受できるようにするために。


『一緒に』


 エンディングを終えても2人の物語は終わらない。


 だがきっと、この2人ならばその先の試練も乗り越えるのだろう。




「ふぅ……」


 私は息を吐く。


 夜ふかしで体が疲労感を訴えている。


 しかし同時に、感動のせいか目が冴えていた。


 いわゆるハイになった状態とでもいうべきか。


「やっぱり最高すぎる……」


 しみじみと感動を噛みしめる。


 あいにくと私の生活に金銭的余裕はない。


 だから、何年も前に買ったこのゲームを今でも繰り返しプレイしている。


 とはいえ、聖魔のオラトリオは名作だから不満はない。


 セリフを暗唱できるほどマラソンを繰り返しても、クリアの感動が色あせることはない。


「って、もうこんな時間」


 枕元に置いていたスマホが現在時刻を示している。


 その時間、午前3時。


 あきらかに明日に影響する時間帯だ。


「明日仕事なのに」


 日中は嫌になるほど時間の進みが遅いくせに、なぜ夜はここまですぐに終わるのか。


 そんな恨み言を思いながら、私はゲームを終わらせようとして――


「もうちょっとだけ、エンディングが終わるまでだから……」


 ほんの少しだけ、いつものように自分に言い聞かせる。


 どうせあと5分もせずにこのルートは終わるのだ。


 ここからの5分なんて誤差でしかないだろう。


 大人しく、明日は眠気と戦うことを決意した。


「エンディングまで見たら、ちゃんと明日も頑張る……から」


 エンディングが始まり、これまでのプレイを振り返るように美麗なスチルが流れてゆく。スタッフクレジットとともに心地よい音楽が鼓膜を揺らす。


 大団円の物語を締めくくるにふさわしい感動的な音楽が私を包む。


 まるで子守歌でも聞いているかのように、まぶたが自然と重くなってきた。


 聖女と王子。2人が力を合わせて魔王を討つ物語。


 そのエンドロールを眺めながら、私は意識を手放した。







「そう……それが貴女の本心なのね。エレナ」


 それは悲しげな声だった。


 頭上から聞こえてくる声に、私は目を開いた。


 緩慢な動作で声の主へと目を向ける。


 そこにいたのは銀髪の女性だった。


 彼女は悲しげに私を見下ろしている。


 ……綺麗な女性だ。


 憂いに満ちたまなざしも、彼女が向けてくるものであれば気品さえ漂う。


 目の前にいるのに、現実とは思えないほどに。


 しかしきっと、彼女の美しさを支えるのは美貌ではない。


 悲壮であっても芯を感じさせる瞳。


 その凛とした立ち居振る舞いからにじみだすものだろう。


(……コスプレ?)


 リアルなはずなのに幻想的。


 そんな状況の中、私は的外れな疑問を抱いていた。


 そっくりなのだ。


 目の前の女性の姿が、あまりにも『聖魔のオラトリオ』の主人公――ノア=アリアに酷似しているのだ。


(声まで本物そっくりだし、クオリティ高いなぁ)


 見た目はともかく、声は技術で似せられるものなのだろうか。


 もしかして声優志望だったりするのだろうか。


 そんな疑問が湧く。


 いや、違う。


 疑問に目を逸らすことで、少し自覚し始めた現実を無視したいのだ。


 先程から、まわりの景色がおかしい。


 石の壁、石の床、そして――私と彼女を隔てる鉄格子。


 失礼を承知で言えば、牢獄にしか見えない。


「魔族が貴女をそそのかしたんじゃないか。もっと私が早くに気付けていたら何かが変わっていたんじゃないか」


 目の前の女性は語る。


 感情を抑えた声で。それでも隠しきれない悲哀をのぞかせながら。


 私は知っている。


 このセリフを知っている。


 だってこれは――聖魔のオラトリオの一幕だから。


 主人公ノアが、ずっと自分を苦しめてきた友人に最後のチャンスを与えるシーン。


 彼女が魔王に寝返ろうとも、その根源にある思いが自分への悪意だったとしても。


 それでもどこかに友情が残っているはずだと信じ、友人へと真意を問いかける場面だ。


 それは主人公の優しさを示すシーンであり、主人公を苦しめてきた悪役がどれほど救えない人物なのかを見せつけるシーンなのだ。


「そう信じたかったのだけど」


(よく考えたら、これって夢だよね)


 ともあれ、この荒唐無稽な状況を夢としよう。


 どうやら私はあのまま寝落ちしたらしい。


 そして、眠る直前までプレイしていた聖魔のオラトリオが夢に出てきた。


 そんなところだろう。


 だとしたら、今の自分が誰であるかは容易に想像できる。




 ――エレナ=イヴリス。




 いわゆる悪役令嬢といえばいいのだろうか。


 序盤はノアの友人として振る舞い、中盤以降は人類の裏切り者として魔王へと情報を流し続けた女性だ。


 ノアの命を、恋人を奪おうとする悪女。


 その根底にあるのは、ノアへの嫉妬心だ。


 美貌が、品性が、人格が、周囲から向けられる信頼が気に食わない。憎い。


 彼女を殺せるのなら、人類存続の希望を断つことも辞さない。


 彼女を苦しめるためなら、好きでもない彼女の想い人を奪う。


 人類の未来さえ巻き込んでノアを絶望させることだけを考えて行動した。


 そんな身勝手な人物として描かれていた。


「本当に、貴女を友人だと思っていたのは私だけだったのね」


 たった一筋、それでもおさえきれない涙がノアの頬を流れた。


 彼女は本来、人前で涙を流す人物ではない。


 耐えて耐えて、一人で静かに涙を流すことがあったとしても、誰かの前では気丈に笑える。


 そんな人物なのだ。


 だからきっと、彼女がここで涙を流したのは、まだエレナへの友情を捨てきれていないから。


 だから本心を隠しきれない。


(せっかくの夢なんだから、ちゃんと私もセリフを返さないと)


 最初から存在していなかった友情を、最後まで捨てきれないノア。


 そんな彼女に、最後まで罵倒の言葉を浴びせるエレナ。


 2人の対称的な人柄が見える名シーンである。


 ファンを名乗る者として、台無しにするわけにもいかない。


「さようなら」


 ノアは私に背を向ける。


 そのまま足早に立ち去ってゆく。


 そうしなければ、足を止めてしまいそうになるのだろう。


 そんな彼女に、エレナは罵倒を投げかけた。


 確かそのセリフは――


「が……ぁっ……!」


 セリフをなぞろうとしたとき、私の喉に激痛が走った。


 思わず両手で喉元をおさえる。


 熱い、痛い。


 これまでの呑気な気分が吹き飛んでゆく。


(声が出ない……!)


 痛みで呼吸さえままならない。


(これが聖魔のオラトリオの世界なら、エレナは自殺のために毒を飲んでいたはず)


 原作では、敗北を悟ったエレナは服毒していたはず。


 そこをノアによって治療され、一命をとりとめたのだ。


 とはいえ、どうやら完治していたわけではないらしい。


(だからって、なんでこんなに痛みがリアルなの!?)


 これまで経験のない痛みに涙がにじむ。


 まさか原作のエレナは、こんな状態でノアに罵詈雑言を吐きかけていたとは。


 彼女が抱いていた憎悪の根深さが嫌でも分かってしまう。


「ぁ、ぁ……」


 とはいえ、そんなことを考えている暇はない。


 この痛みは、これまで逃避してきた現実を引き戻す。


(嘘でしょ?)


 そう、


(もしかしてこれって夢じゃないの?)


 これが夢ではないという現実へと。


 夢だとは思えないほど思考はクリアで。


 夢だと思えないほど周囲の景色はリアルで。


 夢だと思えないほど痛みは真に迫っている。


 ここにいるのはエレナ=イヴリスではなく、私だと思い知らされる。


(待って……!)


 思わず鉄格子にすがりつく。


 すでにノアの後ろ姿は消えていた。


(違うの!)


 鉄格子を叩く。


 だが、私の細腕では何も事態は変わらない。


(私は、エレナ=イヴリスじゃないの!)


 私の悲痛な声は、喉の痛みに押し潰された。







 ノアが去り、静寂しか残っていない牢獄の中。


 私は部屋の隅に広がった水たまりを覗き込む。


(やっぱり間違いない)


 そこに映っていたのは陰気な女性の姿だった。


 顔立ちには問題がない。むしろ美人といっていいだろう。


 だが、なによりも彼女が発する雰囲気が陰鬱なのだ。


 光を飲み込むような暗い黒髪は膝よりも下にまで伸びていて。


 光のない瞳の下には、黒紫のクマがある。


 獄中でやつれていることを差し引いても、見ているだけで心が沈んでいきそうな暗い雰囲気がただよっている。


(私、聖魔のオラトリオのエレナ=イヴリスになってる)


 間違いなく、これはエレナ=イヴリスだ。


 そして、これが私だ。


(夢なら……こんなに痛いはずがないわよね)


 喉を優しく撫でる。


 しばらく安静にしていたおかげで、痛みはだいぶ引いてきた。


 それでもジクジクと激痛の残滓が喉を刺している。


(そりゃあ、ゲームのキャラになりたいなんて思ったことくらいあるけど)


 思わないわけがない。


 ゲームは現実よりもはるかに美しく、希望に満ちている。


 会社だとか、そんな面倒ごとから解放されてこんな世界に没入できたのなら。


 そう思うのは自然なことだろう。


(たとえ悪役になったとしても、ストーリーが始まる前ならやりようはあったのに)


 それこそ、仮に自分が悪役だったとして。


 その運命を覆す物語だって世界にはあふれている。


 だが、しかしだ。


(なんで、よりによってエンディング直前なのよ!)


 すでに私の物語は、エンドロールを迎えていた。

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