深淵の眼光、静かなる侵食者。
―だが…櫻魅耶市に夕暮れが訪れ、学校のチャイムが放課後の訪れを告げていた。タケル、ケン、モンタの三人は、灰坂愛からの「“リゾートアイランド・ティル・ナ・ノーグ”」への招待に胸を躍らせ、黄金色の廊下を賑やかに駆け抜けていく中――三人が夢想する「"楽園"」の真下――海抜数百メートルの深淵では、すでに「"日常"」を終わらせるための秒読みが始まっていた。
南方の特異点、リゾートアイランド―“ティル・ナ・ノーグ―”。
その豪華絢爛な超近代ヴィラや白い砂浜の直下には、岩盤をくり抜いて構築された巨大な地下研究施設が隠蔽されている。ここは海洋エネルギーの研究を隠れ蓑にした、世界で最も進んだ〘"次元災害対策拠点"〙でもあった。
「……第4アングル、再生。さらに0.12秒ほど巻き戻せ」
無機質なLEDライトに照らされた中央指令室で科学者たちが、数日間不眠不休で作業を続けていた。巨大なメインモニターには、先日巨大ロボットゾーンGロボが死闘を繰り広げた、"次元獣"の出現データや、別の地点で確認された次元獣が現れた瞬間の監視カメラ映像が、別角度から幾重にも重なり合って映し出されている。
「見ろ、この空間の断裂面を。まるでガラスが割れるようだが、物理的な衝撃波は観測されていない。エネルギーが『"外から内へ"』ではなく、『"内から外へ"』……いや、座標そのものが書き換えられているように見える」
白衣を纏った老科学者が、指先でホログラムの数式を操作する。
彼らが解析しているのは、次元獣が何処から現れるのかという根本的な問いだ。
※観測データ1: 空間の歪みは「磁場」の変動よりも先に「重力子」の異常な集積として現れる。
※観測データ2: 出現ポイントには一定の規則性が認められない。まるで、世界そのものが「穴の開きやすい弱点」をランダムに探られているかのようだ。
「計算上、この島周辺の次元障壁密度は世界で最も高いはずだ。だが……推測が正しければ、奴らは『穴を開ける』のではなく、『空間の薄い膜を透過』してきている可能性がある」
「主任、それはつまり、防衛ネットを物理的に構築しても意味がないということですか?」
若手研究員の問いに、老科学者は苦渋に満ちた表情で黙り込んだ。彼らの目の前にあるのは、現代物理学の粋を集めても解けない"未知の侵略"という名の数式だった。
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科学者たちがモニターの数値に目を奪われ、激しい議論を戦わせていた、その時――。
指令室の奥、予備電源ユニットが並ぶ、人の気配が途絶えたメンテナンス通路の片隅で"それ"は起こった――。
空気の振動さえも殺した、不気味なほどの静寂。
物理的な衝撃も、警報音も鳴らない。
ただ、何もない空間に、剃刀で切り裂いたような漆黒の亀裂が、一筋の線となって浮かび上がった。
亀裂は意思を持つ生き物のように、ゆっくりと、しかし確実に広がっていく。そこから漏れ出すのは、この世の光を一切反射しない〘“虚無”〙の色だ。高度なセンサー群でさえ、このあまりに静かな侵入を検知することは出来なかった。
やがて、その亀裂から、一人の人影のような輪郭が滑り出してきた。
そこに現れたのは、これまでの次元獣とは一線を画す、洗練された恐怖の体現者だった。
まず暗闇の中で輝いたのは、顔部の中心に位置する、毒々しくも宝石のように美しい紫色の巨大な双眸であった。その瞳は周囲を偵察するように怪しく燐光を放ち、見つめる者の魂を吸い込むような冷徹な知性を感じさせる。
体躯は、光を完全に吸収する深い黒色――ダーク・メタリックの装甲に包まれていた。それは一見すると硬質なロボットのようでありながら、筋肉のうねりを想起させる有機的な流線型を併せ持っている。
生物と機械、そして〘"虚無"〙を混ぜ合わせたようなその質感は、既存のいかなる物質の定義にも当てはまらない。
その人型次元獣は音もなく床に着地した。
その足音がしないのは、ただ歩いているのではなく、周囲の空間を滑るように移動しているからだ。この流線型のフォルムこそが、地下施設の狭い通路を、誰にも気づかれずに潜行するための言わば〘"狩人の形態"〙であった。
「……ん? 何か、気圧が変わったか?」
一人の研究員が、違和感に首を傾げた。しかし、彼が振り返った時には、すでに通路の闇に紫色の残光が消えていた。
地下研究施設を支配する、計算機の駆動音と、解析に没頭する科学者たちの声――その、すぐ隣の闇を、紫の瞳を持った、人型次元獣が歩いている。
櫻魅耶市では、タケルたちがリゾート旅行への期待に胸を膨らませ、準備を早めにカバンに荷物を詰め込み始めている頃。
“リゾートアイランド、ティル・ナ・ノーグ”と呼ばれた楽園の地下研究施設に、既に新たな"次元獣"が"静かなる侵食"を開始していた―――。




