第八十六章:王と元魔王
王室からの使者が去った後、カフェ・アルカディアには一瞬の静寂が訪れた。
だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
ルシアスは店主とセレスに目を向けると封書を指で弾いた。
「さて、どう受け取るべきか……」
店主は腕を組みながら苦笑した。
「どうもこうもない。王が動き始めたってことだろう。」
セレスも深く息をついた。
「これはただの牽制じゃないわ。王が正式に接触を図ってきたということは、カフェ・アルカディアが無視できないほどの影響力を持ち始めた証よ。」
「その通りだ。」
ルシアスは微笑むと封書をゆっくりと開いた。
そこには、王直々の書簡が記されていた。
『ルシアス殿。王国に新たな秩序をもたらすお前の働き、確かに見届けている。
貴殿と直接話したい。三日後、王城にて謁見を許す。——グランヘイム王国国王アウレリウス』
「……ずいぶんと穏やかな口調じゃないか。」
店主が眉をひそめた。
「これが王のやり方だ。」
ルシアスは手紙を指先で弄びながら呟く。
「真意を隠しながらも俺に応じる余地を与えている。」
セレスが鋭い視線を向ける。
「つまり王はまだ結論を出していない?」
「そういうことだ。」
ルシアスは席を立ち窓の外を眺めた。
王城の尖塔が朝日に照らされている。
その場所で彼は王と対峙することになる。
「これは好機でもある。」
ルシアスは目を細めた。
「王の懸念を払拭し、俺たちの立場を確立できれば、カフェ・アルカディアは王都だけでなく王国全土の経済を動かす拠点になれる。」
店主はしばらく考えた後、ゆっくりと頷いた。
「……だが、王が何を考えているか分からん以上は慎重に動くべきだ。」
セレスも同意した。
「王はただのお飾りじゃないわ。ヴィクトールの失脚を許したのも計算のうちかもしれない。彼はおそらく王国全体の均衡を保つために慎重に動いているはず。」
「その均衡を俺たちがどう利用するかだ。」
ルシアスは口元に笑みを浮かべた。
「王が何を考えているのか、それを見極める。」
彼は指を鳴らした。
「セレス、お前は王城の動向を探れ。王の近辺で何か動きがないかを確認しろ。」
「了解。」
セレスは頷くとすぐに情報収集のために動き出した。
「店主、お前はカフェの動向を管理しろ。俺が王城へ向かう間に商人たちが不安にならないようにしておけ。」
「分かった。」
店主は深く頷いた。
ルシアスは封書を懐にしまいゆっくりと立ち上がる。
「さて……三日後、王とどんな会話をすることになるか楽しみだ。」
***
その夜、王城の奥深く、国王アウレリウスは玉座に座っていた。
彼の前には王国軍の高官や宰相が集まっている。
「陛下、ルシアスを謁見に呼ぶのは危険です。」
軍部の高官が進み出た。
「彼の影響力は日増しに増しており、商人たちだけでなく貴族の一部まで彼に接触し始めています。このままでは——」
「それは理解している。」
アウレリウスは静かに頷いた。
「ではなぜ直接会うのですか?」
宰相が尋ねる。
王は微かに笑みを浮かべた。
「彼が何者かを知るためだ。」
宰相が眉をひそめる。
「何者か……と?」
アウレリウスは手元の書簡を指で弾いた。
「彼の動きはまるで王のそれだ。だが、野心だけで動いているわけではない。もし彼がこの国にとって害悪ならば早々に手を打つ。だが——」
王は窓の外を眺めながら続けた。
「もし彼がこの国にとって益となるならば……」
「……ならば?」
宰相が促す。
王は薄く笑いながらゆっくりと立ち上がった。
「利用する。」
高官たちは沈黙し、誰もが王の決断を静かに受け入れた。
カフェ・アルカディアではその夜も商人たちの喧騒が響いていた。
しかし、その空気にはどこか不安が漂っていた。
「ルシアス、これはただの謁見じゃないわね。」
セレスが低く囁いた。
「当然だ。」
ルシアスは静かに杯を傾ける。
「おそらく王は俺を試すつもりだ。俺がどう動くかによって王国全体の未来が変わる。」
「……大丈夫なの?」
セレスが心配そうに問う。
ルシアスは微笑み、目を細めた。
「王の動きを読むのは難しい。だが——」
彼はゆっくりと席を立ちカフェの入り口へと歩いた。
そこには夜風に揺れる王都の街が広がっていた。
「俺もまた、元王だ。王の一手や二手先を読むのは慣れている。」
店主は苦笑しながら椅子に深く腰掛けた。
「王と元魔王の会談か……面白くなりそうだな。」
こうして王とルシアスの謁見の日は刻一刻と近づいていた。
王都の夜は静かに、しかし確実に新たな時代の胎動を孕み始めていた——。




