第五十四章:観察
カフェでの生活が始まって数日。
ルシアス――かつての魔王は、表向きはただそこにいるだけだった。
だが、俺は気づいていた。
彼は”観察”していた。
カフェに来る客、俺の動き、勇者の表情。
彼は何かを考えながら、コーヒーを飲み、じっと世界を眺めていた。
「いらっしゃい」
扉のベルが鳴る。
今日は町の鍛冶屋の男が訪れた。
「いつものを頼むよ」
「了解」
カウンターの奥でコーヒーを淹れながら、俺はちらりとルシアスを見た。
彼は壁際の席に座り、何かを考えているようだった。
「最近、この店も落ち着いてきたな」
鍛冶屋がカップを傾けながら言う。
「ああ、だいぶ片付いたからな」
「しかし、驚いたぜ。まさかこんなところに”魔王”がいるなんてな」
鍛冶屋がちらりとルシアスを見る。
彼は表情を変えず、静かにカップを回していた。
「お前たちは、俺を恐れないのか?」
鍛冶屋は笑った。
「怖がる理由があるか? 俺らにとっちゃ、お前は”元魔王”だろ?」
ルシアスは目を細める。
「戦いで国を焼き、支配しようとした俺を、“元”で済ませるのか」
「そりゃあ、昔は怖かったさ。でも、今のお前は何もしてない。だから、別に関係ないさ」
「……随分と軽い判断だな」
「軽く考えなきゃやってられんさ。俺たちは、明日も生きていかなきゃならん」
ルシアスは、カップを置き、しばらく黙った。
客が帰った後も、ルシアスは考え込んでいた。
「……人々は俺を忘れるのか?」
「忘れる、というより、“気にしない”のかもしれないな」
俺はカウンターを拭きながら答えた。
「戦いが終われば、人は次の生活を考える。過去がどうだったかより、これから何をするかのほうが重要だ」
「……俺は、支配していたはずなのに」
ルシアスは苦笑するように呟く。
「俺が恐れられた時代は、もう過去のものか」
「お前がどう生きるかによるな」
「……」
彼は、カウンター越しに俺を見た。
カフェの仕事に興味を持つきっかけ
その翌日、ルシアスはカフェの客を見ながら、何度も視線を動かしていた。
そして、昼頃になって突然、俺に言った。
「お前は、何を見て接客している?」
「何を、って?」
「客が入ってきたとき、どんなことを気にしている?」
「……そりゃあ、様子を見て、何を求めているか考えるくらいだな」
ルシアスはテーブルを指で叩いた。
「俺も、支配していた頃は”人々の動き”を常に観察していた」
「ああ、だろうな」
「だが、“客としての人間”を見るのは、また別のことに思える」
「それはそうだな。カフェに来る客は、何かを求めて来るんだ。落ち着く場所が欲しい者、情報を交換したい者、ただの休憩かもしれない。戦場とは違う”流れ”がある」
ルシアスは腕を組んで考え込んだ。
「……なるほどな。人は、“ここでどう生きるか”を自ら選ぶのか」
彼はふっと笑った。
「お前のやっていること、興味が湧いてきた」
「試しに、やってみるか?」
俺が冗談半分で言うと、ルシアスは目を細める。
「お前がいいというなら、試してみるのも悪くない」
「マジかよ……」
「俺は知りたい。“支配”ではなく”関係”がどう作られるのかをな」
ルシアスがカウンターに立つ。
「客の顔を見て、その意図を読む。戦場とは違うが、これはこれで面白そうだ」
俺は少し驚いたが、すぐに笑った。
「なら、まずは基本からだな」
「フン、教えてもらうのも悪くないな」
俺たちの間に、少しだけ新しい関係が生まれ始めていた。
それは、かつての”管理者”と”魔王”ではなく、“カフェの店主”と”興味を持ち始めた男”としての関係だった。
ルシアスはカウンターを見つめながら呟いた。
「世界を動かすのは”力”ではなく、人の”選択”か……これは、見極める価値があるな」
俺は、そんな彼を見ながら微笑んだ。
魔王ルシアス、カフェの見習いとしての第一歩を踏み出したのだった。




