村崎さんは奢られたり奢られなかったり
土屋先輩に相談を持ちかけてから、約一時間半後。時刻は夜の八時半。
私は三日ぶりに家の外へと出ていた。ようやく九月が自覚を持ちだしたのか、肉祭りの日に比べたらいくらか夜風が夜風らしい涼しさを運んでいる。
「おお、顔色はだいぶよくなっとるやん」
「お待たせしました」
チャットでする話でもないし通話に切り替えようとしたところ、私が今日一日ほとんど食べていないと言ったらカレー屋に集合になった。以前、カレーメロンパンを食べに来たあのお店だ。
病み上がりにカレーはどうだろうと思ったら、ここのグリーンカレーは野菜とココナッツの本格仕様で胃にやさしいらしい。
そういえばここ、一時はグリーンカレー専門店だったんだっけ。そんな店舗の外観は前回来た時からまた少し変わっていた。具体的には、看板が書き換えられている。
「……土屋先輩」
「先週また看板を変えたらしい。こういう話をするにはピッタリやと思ってな」
前に来た時はカップル限定のカレー屋だったのに。カップル限定なのに子供に大人気なカレーメロンパンが置いてあるお店だったのに。
「『悩める人のためのカレー屋さん』……?」
「な? 今こそ来るべきやろ?」
「もはや作為的なものを感じますね」
悩める人が食べるカレーと悩みがない人が食べるカレー、どう違うんだろう。
とにかく入ってみると、内装は前回とほとんど変わらない。壁のメニューだけが新しいものに貼り替えられている。
「いらっしゃいませー」
店員さんも前と同じ茶髪のお姉さんだった。私には練習してもできなかった明るい笑顔を浮かべるお姉さんに、土屋先輩が指を二本立てて見せている。
「ふたりで。できればカウンターよりテーブルがよかです」
「悩める方たちの相談事ですね。奥まったテーブルへご案内します。声が漏れにくいようBGMも少し上げますね」
「はい?」
「聖書や名言集、自己啓発本等はあちらの本棚にございますのでご自由にお取りください。ご希望ならテーブルをカーテンで仕切りますが、いかがしましょう?」
「え、いや、大丈夫です」
「かしこまりましたー」
先導するお姉さんについていきながら、隣の土屋先輩は珍しく神妙な顔をしている。
「……村崎」
「はい」
「まさに悩める人のためのカレー屋やわ」
「まさに悩める人のためのカレー屋ですね」
「看板に偽りなし、ってこげなんを言うっちゃろか」
「慣用句なのにそのままの意味で合っているの、初めて見ました」
案内されるまま奥のテーブルにつくと、確かに周りに声が漏れにくいし人目も気にならない位置だった。公共の場で言えないような話でなくても、この方がたしかに少し話しやすい。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「カレーメロンパ……」
「グリーンカレーふたつで」
「かしこまりましたー」
「村崎、それ病み上がりに食うもんやない」
「つい反射で」
脊髄がメニューに記載されたカレーメロンパンに反応してしまった。以前は一番下だったのが、下から三番目へ格上げになっている。
前回は消滅の危機だと言っていただけに少し安心した。
「脊髄までメロンパンでできとるんか」
「先輩」
「おう」
「脊髄は細長いんですよ。メロンパンは丸いものです」
「せやな」
とりあえず、しばらくはメニューから消えることはなさそうだ。回復してお金もできたらまた食べに来よう。
「で? 時間も遅いしな。さっそく本題に行こうや」
テーブルには、今しがた運ばれてきたグリーンカレーがほかほかと湯気を立てている。三日ぶりのまともな食事ということを差っ引いてもおいしそうだ。
グリーンカレー。たしかタイ料理、だった気がする。
本当に辛いトウガラシは緑色という話を聞いていたせいで、激辛カレーの仲間だと昔は思っていたのだけど。キャベツや玉ねぎ、そしてココナッツミルクの甘味を活かした野菜スープに近いものらしい。
「分かりました。本題に入らせていただきます」
本題。私の大学時代のこと。
今はフリマアプリで資本主義ドッグと名乗っているらしい、あの人とのこと。
「よっしゃ」
「それで先輩、どこから話したらいいでしょうか」
「初めっから、って言いたかとこやけど……。この手の話は遡れば遡れるもんやからな」
「はい」
「んじゃ、資本主義ドッグとの出会い編からで」
確かにそれが妥当だろう。私が手芸を始めた中学の頃から話すとだいぶ長くなってしまう。
記憶をたどり、彼女との出会いを思い出す。
「彼女とは、大学のサークル勧誘で知り合いました」
「資本主義ドッグって女なんやな。……なあ村崎」
「はい、私の一学年上だった女性の先輩です。なんでしょう?」
「資本主義ドッグって言いづらか」
「資本主義ドッグ」
なるほど、語呂は悪くないが、会話の中で何回も言ったら舌を噛みそうだ。
「リアルの名前ば教えちゃらんや」
「乾先輩といいます」
「リアルでもイヌやったか」
資本主義『ドッグ』を名乗っていることとは特に関係はないだろう。たぶん本人の趣味だ。
「乾先輩は、手芸同好会で新歓活動をしていました」
「アレか。乾の作った作品がすごすぎて思わず入部を、みたいな」
「いえ、そういうわけでは」
「やったら、村崎はなして入部したん。強引に勧誘されたと?」
「まあ、それに近いです」
私としては、大学に入ったし勉強に専念をと思っていた。
なのにサークルに入ってしまったのは、先輩にこう誘われたからだ。
「『カフェでご飯おごるから来ない? メロンパンが美味しいのよ』と誘われてしまい」
「……おう?」
「一度ついていったら、そのままなし崩しに」
「どこが強引な勧誘やねん」
「メロンパンは強硬手段です」
入学直後で懐もそれほどあたたかくない新入生に、その殺し文句。誰だってついていくだろう。
「お前、宗教の勧誘とか気をつけえよ?」
「松友先輩にも似たようなことを言われました」
「せやろな。で、そうやって入部してからの?」
「私は中学から手芸をやっていたので、ぬいぐるみを作って見せたら先輩がたからとても褒められまして」
「ふむ」
「特に乾先輩はとても驚いて、即売会に出ないかと言ってきたんです」
「即売会な。行ったことはなかけど、昨日けっこう調べたわ」
即売会。
最近だと夏冬に行われる同人誌即売会が有名な、プロアマ問わずクリエイターが自分の作品を頒布する場のことだ。販売でなく頒布。そこが重要だが、話が逸れるので今は触れない。
「ぬいぐるみ専門の即売会もあるんですが、乾先輩はもっと大規模な、立体造形物全般の即売会に出るよう勧めてきました」
「で、そのとおりにしたん?」
「はい。名前が売れたのもそのせいかと」
乾先輩によるSNSを使った宣伝のかいもあり、三年間の活動を経て私たちの『紫工房』は有名サークルの仲間入りをした。
何かの雑誌に『新進気鋭の超新星』と紹介されたと、部の先輩が記事の切り抜きを見せてくれたこともあった気がする。
「そこまでやと、普通に有能なマネージャーって感じやな」
「はい。ところで先輩」
「うん?」
「話の途中ですが、これ以上はカレーがもたないので」
「カレーがもたない」
話が終わってから確認しようと思っていたけど。さっきまであんなに出ていた湯気がなくなり、カレーの表面に少し固形分が見えてきている。
もう限界だ。私の空腹も含めて。
「先輩、本当に……」
「本当に?」
「本当に、支払いは立て替えていただけるんでしょうか」
「さっきから手を付けんから食欲ないんかと思ったら、そこかい。奢っちゃるけん冷めんうちに食いいや」
「先輩後輩の間柄だからといって、理由もなく奢られるのはちょっと」
「分かった、分かったけん食え。なんなら『悩み吹き飛ぶチャーノムイェン』も頼んじゃるけん食え」
「チャーノムイェン、とは?」
「正直それを確かめるために頼みたい」
とりあえずお金の心配はいらないようなのでグリーンカレーに手を付ける。タイカレーらしく水気があって、なるほど野菜スープっぽい。
「甘い……!」
りんごにハチミツの甘口カレーとはまた違う、自然な甘さが体に染みる。キャベツの緑だというのも納得のやさしい感じに、ココナッツミルクやスパイスがエスニックを演出している。
体調と寝てばかりの生活のせいで、お腹はすいても食欲は薄かったのに。緑のカレーは食べるほどに食欲が湧いてきて、まもなく届いたチャーノムイェンにも自然と手が伸びた。
「甘い……」
チャーノムイェン、いうなればタイ式ミルクティー。
確かに美味しい。美味しいのだけど、とてつもなく甘い。グリーンカレーといっしょに飲むものじゃないと、思わぬタイミングで思わぬことを学んだ。
長くなったので分割しました。次回もカレー食べてます。
誕生日祝いのメッセージくださった皆さん、ありがとうございます。ありがたいことに、なろうで20人、SNSで50人、リアルで3人と合計70人以上の方に誕生日を祝っていただけました。
なんで彼女できないのかよく分かった。今年はリアルをもうちょい大事にしようと思います。





