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早乙女さんは教えたい

 二日酔いである。


 さんざん宴会に付き合わされた頭はグラグラ揺れ、裕夏と今日の約束を取り付けてすぐに畳で寝てしまった身体はギシギシ痛い。隣を歩くミオさんも似たようなものだ。


 それでも約束は約束。重い体をひきずるように、俺たちと裕夏の三人は福岡市の中心部、天神にいた。


 だいぶ無理を通している二十代ふたりとは対照的に、後ろを歩く十代は元気ハツラツといった様子だ。


「にーちゃん……」


 訂正。様子だった。


 五分前には足取り軽く歩いていた妹は、俺たちの数メートル後ろで壁にもたれかかっていた。


「どうした裕夏」


「ちょっと顔色が悪いわよ。熱中症かしら」


 渡辺通りで急に立ち止まった裕夏に駆け寄り、ミオさんは心配そうに背中をさすっている。


「酔った……」


「酔った? 何に?」


「ああ、なるほど。ミオさん、ちょっと移動しましょう」


 ミオさんと裕夏を伴い、ちょうど近かった商業施設に入る。お盆の時期だけあって賑わってはいるが、外に比べれば人の数は格段に少ない。


 手近な場所に裕夏を座らせ、自販機で水を買って戻ると、青かった顔色はだいぶ戻っていた。


「ほれ、飲んどけ」


「ありがとにーちゃん……。お金は出世払いするけん……」


「利子、つけろよ?」


「裕夏ちゃん、何に酔ったの? 電車の酔いが遅れてきたってこと?」


 ミオさんがよく分からない様子で裕夏のおでこに手を当てているが、この症状はたぶん体温には顕れない。


「人です」


「人」


「そう、(ヒューマン)


「……もしかして、人酔い?」


「そうです」


 人酔い。


 人混みにいる時にめまいや立ちくらみ、腹痛を起こして動けなくなることを言う。


 またの名を血管迷走神経反射。ざっくり言えば、人が多すぎる場所のストレスが原因で血が心臓に巡らなくなる症状だ。


「テレビか何かで聞いたことはあるけど、本当になるものなのね」


「都会の人が田舎に来て虫や動物にびっくりするように、田舎者は都会に来ると人にびっくりするんですよ、ミオさん」


 ミオさんは神奈川の横浜郊外出身。家の最寄り駅にはショッピングモールと繁華街があり、電車に乗れば天下のYOKOHAMAや世界のTOKYOに遊びに行ける。そんな土地で育った人だ。


 一方の裕夏は糸島生まれの糸島育ち。


 駅前にコンビニができたのが二年前で、遊びに行くのは海か公園か、ちょっとがんばって「西の副都心」の西新がせいぜい。ちなみに西新は日曜の顔ことサ○エさん誕生の地だったりもするが、それはまた別の話。


「それだけ生育環境に差があれば、人間の数に対する感覚も違うんですよ」


「そういうものかしら……?」


「俺も上京したての頃は大変でした」


 満員電車ってすごいと思う。なぜ社会で働く人を公共交通機関が滅しようとするんだろう。


「にーちゃん早乙女さん、もう大丈夫かも」


「無理しなくていいのよ?」


「ううん行く。天神にいる時間を一秒も無駄にしたくない」


 二日酔いに人酔い。三人中三人が負傷者なのだから立ち止まるのも選択肢なのだが。天神に来るということが、裕夏にとってはそれなりに貴重な機会なのは間違いない。


 今日この日にかける気合が違うのだ。


「そ、そう」


「適当に入りましたけど、ここなら化粧品売場くらいあるんじゃないですか? 年齢とかによって店が違うとか言われたら分かりませんが。どうだ裕夏?」


「ウチもあんま分かんない……」


「大丈夫よ。中高生向けコスメならここで揃うはず」


 フロアをざっと見回したミオさんはそう断言するが、この階にそれらしい店舗はない。


「化粧品売場は見当たりませんけど、分かるんですか?」


「プロモーションの方向性がはっきりしてるから。客が必ず通る一階には、その建物全体でやりたいことがある程度現れるのよ」


「早乙女さんがなんかかっこいいこと言っとる……」


「私の会社はB to B企業もB to C企業も相手にするからね。最終製品の展開とプロモーションまで少しは知識がないとダメなのよ」


 早乙女ミオは敏腕マーケターである。


 なんとなく忘れがちだが、二十代で月五十万の待遇をされているのだから優秀でないわけがない。とはいえまさか初見の土地の初見の建物で、店舗構成まで見抜くとは思わなかった。


「ところで裕夏ちゃん、ひとつ訊いていいかしら?」


「え、なんですか?」


「今日、なんでもひとつだけ化粧品をプレゼントしてあげる。私がそう言ったら裕夏ちゃんは何が欲しい?」


「え、え? ひとつ?」


 化粧品か何かを買ってやる。もともとそういうつもりで天神まで連れてきたわけだから、質問自体はこんなに改まって聞くことではない。


 でも、そこに別の意図があるのは俺にも分かる。


「裕夏、遠慮とかそういうのは考えなくていい。決められるか、が大事な質問だ」


「じゃ、じゃあ、マニキュア……?」


「マニキュアね。マニキュアを使うには目の細かいヤスリや除光液、ものによってはコート剤なんかも必要だけど、それは持ってるの?」


「持っとらん……」


 しゅん、と下を向いた裕夏の肩に手を置いて、ミオさんは顔を上げさせた。


「そういうことを教えるために、私がついてきたの。裕二さんに頼まれてね」


「化粧品の買い方を教えてくれる、ってことですか?」


「そう。『買いたい』っていうのは単純に見えて、かなり複雑なものよ。買う前にいるもの、買う時にいるもの、買った後にいるもの。何かを買うためにはいろんなモノや場所がいる。


 それを総合的に整えて『正しく買えるようにする』。それもマーケターの仕事よ」


「マーケター……」


「私は今の女子高生の流行なんて分からない。でも店側が何をどうして売りたいか、そこから読み取ることはできるわ。今日はその初級編を教えてあげる」


 ゆったりしたブラウス姿のミオさんに、スーツの姿がうっすらとダブって見えた。

潰瘍が悪化したので少し短いですが今日はここまでで。


西新にプラリバって商業施設があって、私も何度か使ったことがあるんですが。私が福岡を去った直後に閉店したと知って驚きました。

しかも新改築されたプラリバが3日後の7月26日に開店するって聞いて二度ビックリ。

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