第0話:崩れた人生、転生の幕開け
残業百時間超えが三ヶ月続いた頃から、俺は夢を見なくなった。
神酒秀直、三十三歳。
独身、童貞、賃貸暮らし。貯金は辛うじて二桁万円。
ブラック企業の営業三課に配属されてから八年間、「もう少しだけ頑張れば」という言葉を呪文のように唱えながら生きてきた。
好きなことで生きたかった、という気持ちが、確かにあった。
高校の頃、友人にバンドへ誘われて断った夜。
大学の頃、面白いと思った小説を書きかけて、就活の忙しさで放り投げた夜。
社会人になってからも、たまに動画サイトで異世界ものの朗読を聴きながら、「俺もこういうの作れないかな」と思った夜。
全部、「いつか」に先送りにしてきた。
そして三十三歳の今、「いつか」はまだ来ていない。
「お疲れっす……」
深夜零時過ぎのオフィスビル。
誰もいないエレベーターに乗り込み、一階のロビーへ降りる。
コンビニで買ったおにぎり一個を片手に、夜風の中を歩く。
体の芯が鉛みたいに重い。
頭の中は、すでに明日の朝イチの会議のことでいっぱいだった。
それでも、足は自然と帰路を踏んでいた。
信号が青になった。
渡ろうとした、その瞬間。
視界の端で、光が膨らむ。
(あっ――)
キキキキキィィィィ――ドガァァンッ!!
身体が浮いた。
街が回転した。
音が遠くなった。
闇。
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静かだった。
懐かしい顔が浮かんでくる。
子供の頃、縁側で将棋を指してくれた祖父。
「秀直はいい子だ」と笑ってくれた母の顔。
一度だけ海に連れて行ってもらった父の横顔。
友人の声。バンドの誘い。
書きかけたままの、あの小説の続き。
(……ああ、これが走馬灯か)
不思議と痛くなかった。
不思議と、恐怖もなかった。
ただ、ひとつだけ残念なことがあった。
俺は一度も、「好きなことで生きた」ことがなかった。
「……やっば。本当にやっちゃった。ごめんて」
唐突に、軽い声が響いた。
闇の中に、光が灯る。
銀髪のショートボブ。
ふわふわした白いローブ。
どこか申し訳なさそうに頭をかきながら、少女――というより、妙に浮世離れした存在が目の前に立っていた。
「えーと……神酒秀直さん、だよね? ごめんね、本当に。転生管理の手順ミスで、登録済みの転生者の枠に誤ってヒットしちゃった。完全にこっちのミス」
「……お前のせいか」
「そうとも言う。言い訳はしない。ちゃんと責任は取る」
彼女はぱちんと指を鳴らした。
空中に、きらめくUIウィンドウが展開される。
「今回は“神の特別詫びパック”を用意した。異世界転生そのものは確定。行き先は、人間が五大国に分かれて割拠してる剣と魔法の世界。そこで新しい人生を始めてもらう」
「……俺に選択権は?」
「ない。ごめん。でも、せめてこれは用意した」
差し出されたのは、三つのサイコロだった。
掌に乗せると、やたらと冷たかった。
「このサイコロ三つの出目の和が、追加でガチャを引ける回数になる。ぞろ目が出ればボーナスで回数が増える。最高で十九連。そして――これが一番大事なんだけど」
彼女が、少しだけ表情を変えた。
「詫びパックの目玉として、“SSR以上確定のユニークスキル”を一個、無条件で渡す。それだけは約束する」
俺はサイコロを見つめた。
三十三年間、ずっと他人の決めたレールの上を走ってきた。
残業も、仕事も、生き方も、全部「仕方ないから」だった。
でも今は、自分でサイコロを握っている。
「……一つだけ聞いていいか」
「うん」
「異世界で、好きなことをやっていいか」
女神は一瞬だけ目を丸くして――それから、少し柔らかく笑った。
「もちろん。それが、あなたの“存在理由”になるかもしれないから」
俺は深呼吸して、サイコロを振り下ろした。
カラカラカラ――コロコロコロ……。
止まった。
「おっ、六・六・一! 二個ぞろ目でボーナス追加、計十四回ガチャ確定! なかなかの運持ってるじゃん!」
「ぞろ目なのに一が混じってるのが俺の人生って感じがする」
「……うまいこと言うね」
女神はUIを操作しながら、確定スキルを読み上げた。
「詫びパックの確定SSR――《インフィニット・ストリーム》。異世界の現実をどこへでも配信できる、世界規模のユニークスキル。注目度と登録者数に比例してステータスが上昇する、成長型の超特典」
配信スキル。
俺の声が、世界に届く。
その言葉だけで、胸の奥に、忘れていた何かが少しだけ熱を持った。
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《ガチャ結果一覧》
★確定詫びSSR
《インフィニット・ストリーム》
世界同時配信・実況UI・成長型ユニーク
★追加取得スキル
《レビュー能力》
《サブスクリプション召喚》
《物流召喚アプリ》
《旅の歌・基礎》
《打音術・初伝》
《治癒補助・小》
《言語理解》
《気配察知・初級》
《地図記憶》
《編集強化》
《荷物軽量化》
《料理・基礎》
未開放スキル多数あり。
解放条件:登録者数達成・各国試練クリア。
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「職業は希望があれば言って。なければランダムになるけど」
「……旅芸人でいい」
「旅芸人?」
「ああ。世界を回りながら、見たものを伝える。そういう生き方をしたかった」
女神が静かに頷いた。
「わかった。じゃ、行き先はウィズニアム連邦・大森林の外れ。人から遠すぎず、近すぎず。初心者にはちょうどいい場所」
ウィンドウが消え、足元から光が噴き上がってくる。
「最後に一個だけ」
俺は振り返った。
「……今回、本当にごめんね。あなたの人生、奪っちゃった」
「いや」
俺は首を振った。
「もう少しで、自分から潰してたところだった。むしろ、ちょうどよかったかもしれない」
女神が、今度こそちゃんと笑った。
「あなたの存在理由を、見つけてきて」
光が広がる。
意識が溶けていく。
(今度こそ――好きなことで、生きていく)
そして俺は、異世界へ落ちた。
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