013
「君達に同行者を一人つける。これはシャウナルーズ様からの提案だ」
大学校の巨大な門扉を背にして立つテンペイジが、視線を手元の資料に落としたまま告げた。既に出立の儀も執り行い、今からいよいよ旅立とうという時だ。隣に立つシャウナルーズは女帝の正装をして、右手にはリリーネ・シルラの第一の使徒のみが手にする事が許される、≪聖賢の杖≫を携えている。貴重な鉱物の結晶から出来ている白銀の杖の先端には金の輪が七つ。人の得る事の出来る徳の数と人が戒めるべき教訓の数を表している。
「主に我々と君達とを繋ぐ役割を担い動いてもらう」
「この間際にそれを言うとはな。シャウナ、手口が汚いぞ」
ラディスの言葉に、シャウナルーズが長い指先を口元に当てて笑った。一段下がった石畳の上に佇む彼は左目に眼帯をして黒のマントに身を包み、腕を組んでいる。馬の背に荷を括っていたリィンがその隣に立ってラディスを見上げた。暗い臙脂色のフードの付いたマントがその華奢な身体を覆う。
「どのような危険があるか分からぬ旅だ。そこらの者では対応できぬからな、探すのに手間取ったのだ」
「この者には≪厳然たる弾劾者≫の資格はない。シャウナルーズ様からのご指示を伝える伝達者だ。しかし腕は確かである。必ず君達の力になろう」
ラディスがまた言葉を紡ぐ前に終わらせてしまわねば面倒だ。シャウナルーズ様も強引な事をするお人だ。しかしこうでもしないと彼をやり込める事は出来ないだろう。
テンペイジはきりりと痛む胃を無視して淡々と場を仕切った。
「紹介しよう。ガ……」
「ラディ~スッ!!」
テンペイジの言葉を遮り、校舎の奥から大きな声が響いた。大学校の磨き上げられた石廊を駆ける足音が近づき、その人物が姿をあらわす。数名の役員が並ぶ間を駆け足で通り過ぎ、その勢いのままぶつかってゆくようにラディスに抱きついた。
「ラディス! ラディちゃんっ! 会いたかったわあ。んもう、何年ぶりかしら!?」
長身のラディスと同じ程の背丈。高い位置で束ねられた焦茶の巻き髪が動作に合わせて揺れる。ラディスの首に両手を回し、すらりとした背の高い美女は嬉しそうに身体をくねらせた。ベージュのマントの下は白のブラウスに派手な刺繍の施されたベスト、対の派手なズボン。足元は黒の編上げ靴を履いている。
「いやん! 相変わらず良い男っ。あらやだ! どうしたのッ、その眼帯。……素敵! 最高っ!」
「……お前までシャウナの手先に成り下がったか」
ラディスは相手の勢いに身を引きつつ、呆れ顔で呟く。美女は頬ずりせんばかりに迫り、ラディスが片手でぐいとその顔を押し返した。太く長いまつ毛に茶の瞳。真っ赤な紅を引いた口元は艶やかだ。
「だってさ、シャウナ様の部下になったらラディスと仕事が出来るっていうんだもん。こんな美味しい話ないわよ!」
「……紹介しよう。ガーネット・レイムだ。≪早馬≫の名手としてその世界では有名な人物で……ラディス殿はご存知のようだな」
「しらじらしいぞテンペイジ。昔の友人だ。ミッドラウの次に阿呆な奴だ」
「あん。もっと言って!」
「おい! いい加減離れろよっ」
それまで呆然と固まっていたリィンが我に返って大声を上げた。ラディスの首に手を回したままのガーネットがリィンを見下ろし、それから目と口を大きく開いて人差し指を突き付け、叫んだ。
「こ、これがッ! あたしのラディスを奪った奴だっての!? お、お、お……男ッ!!」
「違う!」
「子供!?」
「ち、違う!!」
顔を真っ赤にしたリィンが噛みつかんばかりに怒鳴り、ガーネットはよろりと後ずさった。突き付けた人差し指がわなわなと震えている。目鼻立ちのはっきりとした美しい顔に、憤怒の表情が浮かんだ。
「こ、こんなガキが、あたしのラディちゃんと……あ、あんな事やこんな事してるっていうの!?」
ガーネットの叫びにリィンは目を見開いて一瞬ひるみ、ますます顔を赤くして叫び返した。
「ああ! そうだよッ!!」
沈黙。
「いやああー!」
首を激しく左右に振って、両手で自身の腕を抱えガーネットは身もだえた。ラディスは無表情で大きなため息をつき、リィンは赤い顔のまま肩で息をしている。居並ぶ者達からこらえ切れずに笑い声が漏れ始めた。
「ラディス! 何だよこいつッ」
「ちょっとラディス! こんなチビよりあたしの方がよっぽど良いじゃないのさッ!」
「なっ……! 何だとっ」
「何さチビ! やるってんなら相手になるわよ」
リィンとガーネットがとてつもない殺気を放って睨み合い、一触即発の状態。テンペイジは無意識に片手を胃の上に添え、隣に立つ女帝に顔を向ける。シャウナルーズはさも可笑しそうに笑って見守っているばかり。ラディスがそんな女帝に鋭い一瞥を投げて、もう一度大きなため息をこぼした。
「……リィン」
「ラディスは黙ってろ!」
「リィン、落ち着け」
「うるさいなっ」
「こいつは男だ」
「うるさいったら! ……はっ!?」
リィンの小さな身体がまた固まった。がくんと口が開く。
「いやっ! ラディス! あたしは女よ! 身体はそりゃアレだけど、心は女なのっ」
「悪ふざけはその辺にしておけよ、ベント」
「そんなむさっ苦しい名前で呼ばないで!」
「な、何が、何だか……」
リィンの混乱も無理はない。ガーネット・レイム(本名はベント・レイムだが)は世間では長身の美女として通っている。豪華で麗しい目鼻立ち。どう見ても、外見上は女性である。その容姿で漆黒の愛馬を駆る彼(彼女)は、どんな危険な地域からでも生還し、誰よりも早く重要な書簡を通達する≪早馬≫の名手である。テンペイジは不思議でならない。髭の処理は一体どうやってしているのだろうか。
ひとしきり笑って満足したのか、シャウナルーズが杖をどん、と一度大きくついた。金の輪が揺れて涼やかな音が流れ、騒然となった場が引き締まる。
「さあお前達。そこへ並べ。前途の旅路の無事を祈り、我より祝福を授けよう」
ラディスを挟んでリィンとガーネットは無言で睨み合い、横一列に並んだ。
「ラディス。全てはお主にかかっておる。……頼んだぞ」
「嫌がらせも度がすぎる。これではうまくいくものも難しいだろう」
「ふふ。そう言うな。ベント程の手練れはまずおらぬのだ」
「シャウナ様っ。本名で呼ぶのはやめてちょうだい」
どん、ともう一度杖が揺れ、雅な音が鳴った。
「リリーネ・シルラの使徒たる者達よ、我に続け。唱和せよ。勇敢なる三名の同志がこれより旅立つ」
シャウナルーズの力強い声が響き、重厚な沈黙が周囲を包んだ。
「古よりの聖なる光。授かりし女神、リリーネ・シルラ」
凛と厳かな女帝の声が祈りを紡ぐ。
その両脇にずらりと並んだ枢機議会の面々がそれに声を合わせて続けた。
「かの慈愛の泉より汲みいださんとす」
我らの善と優良なる心を糧とし/その健全なる命を満たし/その永遠なる未来をも照らす/全ては生きとし生けるものの共生と/豊穣なる平和のために/兄弟よかくも歩まん
「使徒、シャウナルーズ・ルメンディアナの名の元に」
この者こそリリーネ・シルラの後継の者ぞ
「ゆけ。我らの兄弟よ。救いの光を信じて待つ健気なる民らの為に。この世界の果てまでも、女神の慈愛を届ける為に」
大聖堂の鐘が、新たな旅の始まりを告げた。
◇◇◇◆
りいん、ごおん、と大地が揺れるような大音響で、大聖堂の鐘が鳴り響いている。出発を告げる鐘の音。
窓の外に顔を向けていた母が、ふうとため息をついた。
「本当にお見送りに行かなくて良かったの?」
「うん。良いんだ」
「もう、ロジエルったら。どうして今になって急に髪を切りたいだなんて」
「母さん、早く」
はいはい、と苦笑しつつ、母が椅子に座るロジエルの黒髪を梳いて、ハサミをあてがった。
ロジエルは真っ直ぐに前を見据え、胸に大きく空気を吸い込む。はらりと切り落とされた髪が落ちてゆく。
良いんだ。答えはもう、俺の中にあるんだから。
ロジエル・コーヴ。
のちにレーヌ国女王陛下に仕え≪光芒の騎士団≫に入団し若くして才能を開花させ、様々な窮地においてその力を発揮してゆく事になる。ロガート族でありながら堅固な忠誠心と偉大な功績を讃えられ、聖なる大騎士の称号を拝受し、後世に語り継がれる英雄として歴史にその名を刻んだ。
しかしそれは幾度となく太陽と月が巡った後の事。
この者達の新たな物語はたった今、幕を開けたばかり。
リリーネ・シルラの祝福があらん事を。
【少年と剣・完】
「少年と剣」ご覧いただき、ありがとうございました。
ここに来て、強烈キャラの登場。オカマちゃん。
振り返ってみれば、このお話の主人公はラディスのような気もします。
お前は熱血教師か!と突っ込んでいただけると嬉しいです(笑)
実を申しまして、この物語、まだ続きます。
しかし再開はずっと先の事になるかと思います。
二人の第二幕は開けました。今後は旅のお話です。
リィンは更なる困難と苦労の渦へ。彼を護る為に、あがきながら成長してゆく事でしょう。
ラディスの苦悩は深まるばかり。色んな意味で(笑)
そして、ここまでお付き合い下さった方々に、心より御礼申し上げます。ありがとうございます。
お陰で完結させる事が出来ました。
一人一人に愛を囁きたいくらいです。
あ、気色悪い…。ですよね。
最後にお願いがあります。一言でも構いませんので、感想をお聞かせ下さい。
では、またお会い出来ますように…。