最終話 「にゃ王」と狂犬的な下僕
あれほど深愛の身を案じ、〔ソフィア〕への変化を一番危惧していたアルバート。
だが、冒険者ギルドに〔ソフィア〕へと入れ替わってしまった深愛が乗り込もうとしたとき。その先頭に立ち、侵入者に気がつき、襲い掛かってくるギルドの連中を深愛に近づけぬよう、立ち回りを演じているのも――アルバートであった。
その瞳は美しいほどの紫。濁りもなく、〔紫水晶〕の透明感と輝きを放つ。
それは人が恐れる〔魔族〕の証明。
今。その魔族が堂々と正面からギルドへと乗り込んできているのである。
「サクス様っ!!」
冒険者ギルドの元締めであり、〔神の使者│(アイコーン)〕の末裔で仕切るこのギルドの闇の〔総帥〕として、この世界の争いを操作し、その種をばら撒いている影の存在でもあるアブラ・サクス――その本人がいる部屋に、ひどく慌てた様子で部下の一人が報告にやってきた。
人との交わりによって、血は薄れ、〔アイコーン〕としての力はほとんど失われて久しいが、そのサクスの知略が、今のギルド全体を支えている。
「……〔アイコーン〕と思われる連中が、突然このギルド本部に乗り込んできております。
人数は数名なのですが、その中のひとりが、ギルドの全員でかかってもまるで歯が立たないのですっ!!」
部下の一人からこの話を聞いたとき。
サクスの顔から血の気が一気に失せた。
「まさか……〔ソフィア〕とその〔守護者〕の連中なのか?」
それはサクスや〔アイコーン〕の末裔たちが最も恐れる存在である。
〔アイコーン〕を生み出した女神そのものが、〔ソフィア〕なのだから。
「入りますよ」
少女の声。
サクスたちが扉へと一斉に視線を移す。
その直後。
耳を劈くほどの爆音が響き、サクスたちが扉の破片とともに吹き飛ばされると、濛々と立ち上るほこりと土煙の中に、瞳を紫色に輝かせた男と、真紅の髪を持つ笑顔の少女が部屋へと入ってきた。
「……あ…ああ……」
同じように吹き飛んだソファの影から、サクスの声が漏れ出す。
「私は深愛・ソフィア。あなたと話し合いにきたのですよ、アブラ・サクスさん」
このときのサクスの目には、深愛と名乗った少女の笑顔が、死神のそれに写っていたに違いない。
◆◆◆
「いやぁ……気持ちがいいなぁ」
こういう荒っぽい、それでいて姑息な相手には力でねじ伏せるやり方を得意とするデューにとっては、このときの出来事はさぞ気持ちが良かったのだろう。
終始笑顔が絶えなかった。
〔ソフィア〕の権威と力で従わせたと言っていいやり方。
冒険者ギルドの建物半分を深愛の力で吹き飛ばし、これ以上の人の世界への干渉を止めることと、冒険者ギルドの解散を約束させた。
もしこの約束を反故にするとどうなるか。
〔ソフィア〕はいつでも、どこでも監視していると。
それは自分の役目だから……と執拗に念を押して。
しかしデューと逆なのが――アルバートだ。
深愛がここへ来る以前のアルバートに戻ったかのように、終始無言で冷静に、無表情のまま深愛につき従っている。
「さすがは〔ソフィア〕様だな」
一部始終を見ていたクレインがぽつりと呟いた。
「……でもミア様は戻らないのかぁ?」
深愛に懐いていたホリーは、どこか寂しげな顔をやめようとしない。
「……それは我らも覚悟していたことだ……それが〔今〕だったということ。
仕方がないんだ……」
クレインとホリーを説得しているはずなのに。クレアは、まるで自分に言い聞かせるような口調になっている。
◆◆◆
深愛――ソフィアの圧倒的な力で、夕方には全員の姿はブルジェオンの城へと戻っていた。
深愛とアルバート以外、ほかの者たちはただの付き添いだったにすぎないが。
『……こんなやり方は、ミア様のやり方ではありません』
白猫の姿のままのミタリーがデューの足元で、唸るように言葉を吐き出した。
「で。お前は〔守護者〕だぞ。
これは〔ソフィア〕様の〔守護者〕なんだぞ。やり方にどうこう言っても、仕方なかろうよ。
〔ソフィア〕様に「ミアを返してください!!」とお願いするか?」
『……そうしたい気持ちで一杯です。
ミア様はようやくご自分のやるべき道に気がつかれたときだったのですから。
まだ〔ソフィア〕様が出てくるには早すぎます。
そう思いませんか?デュー……』
ミタリーに問われて。デューが一瞬沈黙する。
それでもミタリーは根気良く、デューの次の答えを待った。
「俺もそう思うけどよ。こうなっちまったもんを、どう変えろって言うんだよ……」
『諦めたら、そこで終わりだと思うのですよ、デュー』
「……でも一番そう思ってるのはアルだろうぜ。どうせならみんなで〔ソフィア〕様のところへ行かないか?
怖気づいているわけじゃねぇ。そっちの方が説得力があるだろう?」
『あなたもなかなか頭を使うようになられたのですね』
「……うるせーよ」
二人は話が纏まると、ほかの仲間たちを探しに部屋を飛び出した。
◆◆◆
「ミア様をお返しください……〔ソフィア〕様」
ミアの部屋で、アルバートは〔ソフィア〕となった深愛に言った。
「……あなたは私の〔守護者〕ですよ。
こうなるために、あなたは深愛についていたのでしょう?
言っている事がおかしいですよ?」
アルバートが入れた紅茶を口にしながら、深愛は首を傾げた。
「私はミア様に話していないのです。
あなたとミア様の本当に関係を……。こうなることを」
「それは……言い方が悪い事は許してください。でも、それはあなたの責任でしょう?
私があなたの償いに付き合わねばならない義理はありませんよ?」
アルバートはぎりりと奥歯を噛み締める。
〔ソフィア〕の言い分はもっともだ。こうするために、アルバートは深愛を人の世界から連れてきて、教育を施しや経験を積ませたのだ。
それは〔ソフィアの守護者〕としての本来の役割であり、その〔ソフィア〕が早々に目覚めた今。それを現実とさせたアルバートたちは優秀な〔守護者〕として褒め称えらはすれど、何故それを悔いねばならないのか?
そうじゃない。
アルバートは心の中で言葉を吐き出す。
そうじゃない……俺が言いたいのはそうじゃない。
上っ面の言葉じゃない。役目だけに縛られ、飾られた言葉でどうにかしたいんじゃない。
俺は……。
アルバートの答えは決まっている。
「私は……俺は深愛様を愛しております」
このとき。紅茶を持つ深愛の手が止まった。
「……正気ですか、アルバート?深愛は〔ソフィア〕なのですよ?
〔守護者〕であるあなたは深愛を護る存在であっても、その言葉を口にして許される立場ではない存在ですよ?」
「ええ、十分に存じております。
ですが、その想いも事実です。
俺は深愛様を愛しているのです。初めて会ったときから。
自分に自信が持てず、いつも回りの目を気にして生きていたあの方を目にしたときから。
それでもあの方は、周りへの愛情を失うことだけはしなかった。
建前であっても、自分に自信が持てないからこそ。自分が発した言葉に対する責任の重さを知り、それを違えないようにと、必死にやってこられていた。
それが貴女を目覚めさせたのかもしれない。
でもそれは、深愛様の生きる足掻きと努力があってこそ。
あの方の生きる姿に、俺は……支えたいと。支えぬきたいと。
一生あの方の傍について、愛しぬきたいと思ったのです……」
「……それはあなたの深愛への同情なのではありませんか?」
冷淡な深愛の――ソフィアの言葉。
その通り。アルバートには否定するものが何もない。だが……。
「母親が人である俺にとって、同じ立場である深愛様にそう感じたのかもしれません。ですが……今は違うと言える。
愛しているのです、あの方を。深愛という少女を」
アルバートの告白を最後まで聞いた深愛は――初めて心から歓喜しているの笑顔をアルバートに見せた。
「それを早くおっしゃいな、アルバート。
これでいいかしら、深愛?これで満足?」
「……え?」
アルバートが瞳を大きく見開いて。そして瞬いたとき。
神々しさを放っていた深愛の〔気〕が――アルバートの良く知る愛しい〔気〕へと一瞬で変化する。
それは……深愛の、愛する少女の優しい〔存在感〕。
「……昨日〔ソフィア〕から話は訊いたの……。
そして〔ソフィア〕に協力してもらって、人の世界の争いの種を取り除くことと、アルの気持ちがどうなのか……わかるのなら、知りたいって……」
アルバートの緊張感が一気に抜けていく。拍子抜けと言っていい。
でもそれは――嬉しい虚脱感。
「……これで満足ですか?」
深愛は〔ソフィア〕と同じセリフを吐く笑顔のアルバートに……耳まで真紅に染め上げた顔を向けた。
「……満足……」
このあと。
深愛の部屋の中で何があったのか。
次の日、何故か〔ソフィア〕から戻っていた――疲れ果てた深愛と満足げのアルバートの姿から推測するしか方法はなかったが。
真実に行き着いたものが何人いたのか。
それとも全員がわかっていたのか。知る由もない。
◆◆◆
「深愛様」
ブルジェオンから戻って数ヶ月。
あれから深愛はアルバートたちとアッシュツリーを見て周り。
深愛はこの世界の実情を目にしてきた。
が、冒険者ギルドを潰したときのように、すべてが都合よく行くはずもない。
アルバートの教育も今だに続いているし、アッシュツリーもいろいろな問題を抱えている。今日もそんな世界をあますことなく照らし出す日の光が、深愛の目にはまぶしく写る。
「まだやるの?」
「帝王学に終わりはありませんよ、深愛様」
容赦ないアルバートの笑顔。この底意地の悪さは健在だ。
が、突然アルバートが深愛を抱き寄せ、耳元に囁いた。
「……講義が終わったら……ゆっくりと、楽しみましょう」
瞬間的に深愛の頬が紅潮する。
「あいかわらず可愛い方です、深愛様。では始めましょうか……」
「……はい」
その小さな、些細な変化は――今の深愛を支え、アルバートとの深い絆を作り上げていく。
数年後。否定されることなく根強く残った〔にゃ王〕と呼ばれた深愛は、アルバートたちとともに、後世に語り継がれる〔ソフィア〕として、時代にその名を刻む事になるが。
このときの深愛には、そんなことは関係ないのだろう。
意地の悪い――でも心優しいアルバートが支える中で、自分の歩む道を模索する日々を今日も送っている。




