第七十六話 境界の引き方
人を人たらしめるものは何か。
生物学的な観点から言えば、身体の構造だろう。当たり前だが人には人間特有の構造がある。
他の種の生物とは一致しない唯一無二の構造パターン。それを獲得したものを人として区別する事は出来る。
では別の観点から区別の仕方を語るなら、どのような例があるだろうか。
例えばその者の生まれ。人から生まれた事という事実。
鳥の子は鳥であり、魚の子は魚だ。そして当然、人の子は人である。疑う余地もない当たり前の理論だ。
その他にも行動傾向や育った環境。すなわち生き方がその者の種を判別することもあるだろう。
だが■■■■が思うに、人を人たらしめるのはそのような理屈に基づいた話ではない。他人からの認識だと思う。
人は集団の中に生きるものだ。それ故に周囲の存在の影響は大きく現れる。
周囲の意見がその者の存在意義や人生を分ける事すらあるのだ。ならば周囲の意見がその者の種を左右する事もある。
大勢が人間だと肯定すれば、その者は人間と認められ、人間に相応しい生き方が与えられる。
だが大勢が人間である事を否定する。それこそ、その者をバケモノと呼ぶような事があれば、その者は人間というカテゴリーから外され、バケモノの生き方を強制される。
馬鹿げた話だが、そのような事が起きてしまうのがこの世界だ。
集団から排斥された者が再び集団に戻るのは容易ではない。人の道から蹴落とされた者なら尚更だ。
■■■■に与えられた道は望んだものとはかけ離れたものだった。
随分前から分かっていた。その道に落ちた時から、自分の願いが決して叶わないものになった事くらい。
それでも■■■■は願った。どれほど深く暗い絶望の中でも、ありもしない希望を信じて生き続けた。
しかし当然のように、世界は■■■■の願いには応えなかった。
結局■■■■が選んだのは、諦める選択だった。
希望が与えられないならば、せめて───。
■■■■は最後に願った。希望を諦めた代わりとして。
どうかお願いだから。一人でも多くの人間が───。
自分が忌み嫌う世界、人間。
いや、もはや何でも良い。
────不幸になりますように。
それが無意味だと分かっていても、■■■■は願わずにはいられなかった。
***
既に日が昇ってから数時間が経った。
人々が各地で活動を始めている中、遅れながらにアランも目を覚ました。
「…………っ」
ゆっくりと体を起こすアラン。
一眠りしてもまだ体が怠い。昨晩の戦闘による疲労が残っている。
今は何時か。壁にかけられた時計に視線を向けた。
「なんだ、まだ十時か……って十時!?」
一気に寝ぼけていた頭が冴えわたる。驚愕で眠気が消し飛んだ。
いくら昨晩のヴァッシュとの戦いで疲れていたとはいえ、これは寝過ぎだ。
慌ててベッドから起きて身支度を済ませると部屋を出る。そのまま隣にあるアリシアの部屋に向かった。
「俺だ。アリシアいるか?」
扉をノックするとすぐにアリシアが出てきた。
「起きましたか。おはようございます、アラン君」
「悪い、めっちゃ寝過ごしてた」
「悪い事ではありません。むしろ昨晩の貴方の働きを考えれば当然のことです」
「いやアンタも寝た時間同じくらいだったろ。眠くないのか」
「私は貴方と違って戦ってないので。ひとまず部屋に入ってください」
アランはアリシアと共に部屋に入った。
室内のテーブルにて椅子に座って向かい合う。
「早速ですが、昨日の調査結果について話し合いましょうか。まず貴方から聞かせてもらってもよろしいですか」
「そうだな。話せる事は沢山ある。まず今回の一件の首謀者……と言うより、関与してる組織が分かった」
「分かったのですか!?」
「ああ。しばらく前、ロマーシュアの教会で『リヴァイアサンの断片』の一件で遭遇した魔装士の連中がいただろう。奴らが関わってる」
「今回も彼らが……そうなると、昨晩貴方が戦ったのは」
「魔装士だった。ヴァッシュ・ガーバランド。シンプルな戦闘能力が馬鹿高い奴だった。魔装能力はよく分からなかったが、使用中は戦闘能力が爆発的に向上する。俺の《乖那抜殺》の八連撃を生身で耐えやがった」
「貴方とそこまで渡り合うとは……凄まじい実力者のようですね」
「それなりに深手を負わせてやったが致命傷じゃない。回復可能な範囲だ。ヴァッシュ・ガーバランドとの再戦は避けられないだろうな。奴は強い。少なくとも俺たちの学年の実力序列トップ10には匹敵する」
「分かりました。私も備えておきましょう。その他に敵の情報はありましたか?」
「ヴァッシュ・ガーバランドを含め、少なくとも敵は三人いる。二人目は脱獄に関与した精神操作の奴。三人目はよく分からないが……使役可能な生成物を作れたり転移が出来たり、随分幅の効く魔装能力を持ってるらしい」
「転移……それが可能なら精神操作の可能性が潰えるのでは?」
精神操作によって刑務所の看守の目を欺いたのではなく、転移によって囚人を転移させた可能性をアリシアは言いたいのだろう。
だが、
「それは無い。今回の脱獄は終始看守が気付かなかった。発生した推定時刻すら分かってない。つまり、長時間に渡って看守が囚人から目を離していた状況だった。普通に考えたらありえない事だ。仮に囚人が転移されて急に消えたら、流石にすぐ気付くだろ」
「確かにそうですね。監獄内には争った痕跡は無く、脱獄があった夜も常に監視が行われていたという報告もありました。なら看守の方々が、何者かに現実を誤認させられていた、と考えるのが妥当ですか……そう言えば、その脱獄者について何か分かった事はありましたか?」
「あったと言えばあったな。昨日皇都の外れにある港に行ったんだが、そこに刑務所の囚人服や靴がいくつかあった。そこに囚人が集まってたんだろうが、肝心の囚人は見つからなかった。ウザい話だ。一体何処に隠してるんだか………」
困ったように天を仰ぐ。
(捨てられた囚人服に建物の血痕………まさか無いだろうな)
「どうかしましたか?」
「いや、いい。どうせあり得ない話だ。とりあえず俺が話せるのはこんな所だな。次はアンタの番、昨日の皇城の出入り記録を見せてくれ」
「はい。何の役に立つのか分かりませんが……」
アリシアは棚に置かれた手帳を持ってくると、アランに手渡した。
アランは早速手帳を開き、ページを眺めている。
ページに書き連ねられた名前や人物の概略、出入りした時間。それらはアリシアの『奇跡』によって記録されている。
「ほうほう、こんな感じか…………」
しばらくページを流し見るアランだったが、そこで手が止まった。
「…………ん?」
その名前を眺めて思案する。
アリシアにはアランの考えてる事は分からない。だがアランは何かしらの手がかりを得たらしい。
「………………ああ、やっぱりそうか」
手帳を閉じてアリシアに返した。
「何か分かったのですか?」
「分かったっちゃ分かったけど、アンタは知らなくていいよ。これはアンタには向いてない話だ」
「向いてないというのは、どういう事ですか」
「そのままの意味。こういう話は俺みたいな人間が対処するに相応しい」
アランは椅子から立ち上がった。
「じゃあ俺はちょっと用事ができたから行くよ」
「また調査に出るのですか?」
「いや、もうしないよ。転移が使える相手を追いかけるのは得策じゃないからな。まぁその辺はまた帰ってきたら話す。アンタは引き続き皇城の守備と監視をよろしく」
そうしてアランは部屋を出た。そのまま歩いて皇都に向かう。
街路を進み、薄暗い路地裏に入り、そして──。
「……また来ることになるなんてな」
訪れたのは二日前にも来た占い屋、もとい情報屋。
ノックの後に店内に入ると、そこには二日前と同じ光景があった。
「おや、また来ましたか。こんにちわ、アートノルトさん」
店内の椅子に座る占い師姿の女。
アランは客席に座って女と向かい合う。
「貴方がこの店に訪れてから二日経ちましたが、捜査の方は順調ですか?」
「お陰様でそれなりに進んだよ。まぁ重要なのはこっからだけど」
「それはそれは。では私も微力ながら協力させて貰いましょう」
「アンタはいつも通り商売するだけだろ」
「それが商売人の務めですから。リフレイムが滅んだ時には別の国で商売しますよ。それこそエルデカ王国は丁度いいかもしれません。人口も多いですし、面白い話も沢山ありそうですからねぇ」
「情報屋に市場の人口とか関係ないと思うけど……」
情報屋を利用するのはごく限られた者だけだ。たとえエルデカ王国で情報屋を営んでも客足はあまり変わらないだろう。
「世間話はこのくらいにして、そろそろ商売の話をしましょう。本日はどのような情報をお求めで?」
聞かれてアランは答えた。
「……知りたい家系がある。■■■■■■、それとその関係者について教えてくれ」




