第七十五話 波間の追想
約一時間後、アランは皇城に戻ってきた。
今のアランはヴァッシュに一度殺されかけたので全身血塗れだ。傷は治癒したが服や体に付いた血はそのままだ。
正面から皇城に入って誰かに見られたら騒ぎになりかねないので、自室の窓から入った。
「ふぃぃ〜〜やっと帰ってこれた」
窓枠を越え、自室に降り立つ。
目立たない程度に着替えたら浴室に行こうと考えていたが、
「戻ってきましたか……って、どうしたのですか!?その血は!?」
誰かがアランを見て声を張り上げた。
そこには何故か寝巻き姿のアリシアがいた。全身血塗れのアランを見て派手に驚いている。
「は?なんでアンタいんの?」
「それは貴方がなかなか帰ってこないから心配で……それより早く傷を!」
「いや、傷は全部治してる。この血は気にしなくていい。後で洗う」
「そういう問題では……!」
「治ってるんだから良いんだよ。どんなに負傷しても治れば同じだ」
アランは本当に何も気にしていないような顔をしていた。思わずアリシアは息を呑んだ。
不気味だった。理解し難かった。このアラン・アートノルトという人間の精神性が。
だがそれ以上に───。
「…………」
アリシアは無言でアランに近づくと、アランの頬に手を添える。
「アリシア?どうした急に」
「─主よ、この者に癒しを─」
直後、頬を始点に全身に不思議な感覚があった。
体の痛みが引いていく。おそらく治療されたのだろう。
「傷が残っていたので、治させてもらいました」
「それくらい言ってくれたら自分で治すよ」
「これ以上貴方に無理をさせるわけにはいきません。戦ってきたのでしょう?それも貴方がそこまで負傷する程の相手と」
アリシアはアランの頬から手を離す。
「今日は早く休んでください。調査結果については朝に話しましょう」
「言われずともそうするけどさ。そう言うアンタこそ、なんでまだ起きてる」
「貴方が頑張っているというのに、私だけ寝ている訳にはいかないでしょう」
「そういう問題じゃないだろ。これは効率の話だ。アンタの方の調査は、アンタが寝てても『奇跡』を使えば自動で遂行できる。わざわざアンタが起きる必要はない。むしろこの後の事を思えばアンタはしっかり休んで調子を整えておくべきだ」
「確かにそうですね……では」
アリシアは数歩下がると、振り返って言った。
「疲弊して帰ってきた友人を少しでも労いたかった、という理由ではダメでしょうか?」
「ダメとは、言わないけど……なんでアンタはいつもいつも」
アランは額を抑え、呆れたとばかりにため息を吐く。
「アンタは馬鹿じゃない。どんな奴にも等しく価値を見出し、尊ぶ理想主義者であってもだ。頭では何が正解かちゃんと理解してる。それなのに……」
「まるで聞き分けの悪い幼子を相手にするような口ぶりですね」
「実際そう思ってるからだよ。アンタは頑固すぎる。そんな重たい理想を抱えてたら、いつか頭パンクして馬鹿になるぞ?」
「馬鹿になる、ですか」
視線を下げ、少し考える素振りを見せる。
こんな指摘を受けたところで、今更彼女の答えは変わらない。王女として生まれ、自身の責任を自覚した時から、彼女の生きる道は決まっている。
「それでも構いませんよ。それが愚かな道であったとしても、私は最後までその理想を貫き通しましょう」
「それは王女だからか?」
「いいえ。ただの一個人としての考えです」
「………そう」
脱いだローブを『虚空の手』に収納する。
言いたい事はあるが、どうせ無駄なので諦めた。
──アリシアの理想を否定するつもりはない。誰がどのような理想を抱こうとも、それは本人の自由だ。
だがアリシアの理想は重すぎる。アリシアはその理想の重さが分からないほど愚かではない。現に彼女はその重さを理解している。
それでもアリシアは言ってのけた。その理想を貫くと。
きっとアリシアはその理想を最後まで貫くだろう。彼女はそういう人間だ。
誠実で心優しい、模範的な強者と呼ぶべき人間───俺とは真逆の存在。
「アラン君」
「え、何?」
急に声をかけられたかと思えば、
「…………やはり、貴方は優しいですね」
「どうした急に。今の会話から優しさ感じられたか?」
「今に限った話ではありません。友人として貴方と関わり続けて気づいた事です。貴方の性格はお世辞にも良いものとは言えません。不真面目で、自分勝手で、隠し事だらけで、暴力的で、何より残虐。人の命を平気で軽んじれる所は、どうやっても私には理解できません」
「本人の前でそれ言う?」
「これでも言葉は選んでいる方ですよ。とは言え、もちろん悪い所だけではありません。人並みの優しさと誠実さも備えている。今日だって、こんな夜遅くまで戦い続けてきたではないですか」
「戦ったのは仕事だからだ」
「仕事のためだけに、こんな夜遅くまで調査を続ける程、貴方は仕事熱心な人ではないでしょう?」
「……まぁな」
理由も無しにここまでやれる程アラン・アートノルトという人間は真面目ではない。
アランがリフレイム皇国に残ったのも、リフレイム皇国を救いたいという思いがあったからだ。
それと同時に、彼が破滅を同時に望んでいたとしても、その胸中には少なからず善意があった。一概に悪人だと切って捨てる事はできない。
「そもそも、貴方は戦闘行為が関わらない限り、ほとんど温厚な人ですからね。貴方に暴虐的な一面がある事も事実ですが、それと同じくらいの優しさもある」
「…………」
「人を大切に思いながら、人の命を軽んじる。何が貴方をそこまで歪めたのかは分かりません。それでも、時折思うのです。貴方はきっと人殺しなど向いていない。そのような事に手を染めるべき人間ではない。貴方の本質は……もっと善良なものであるはずだと」
願うような彼女の言葉に、アランは背を向けながら答える。
「…………それは貴方が俺にそうあって欲しいと思ってるだけじゃないのか」
「確かにそうかもしれませんね。貴方にもっと穏やかな人生を歩んで欲しいという思いもあります」
「お人好しだね。自分を殺しかけた相手によく言うよ」
「理解し得ないとしても、友人ですから。多少のお節介は焼いても良いかと思いまして」
「貴方は焼きすぎなんだよ。まったく……」
普通、自分を殺しかけた相手にそこまで言える者などいない。ましてや友人に成ろうなどと誰が言えようか。
「本当に貴方がただの暴虐者なのであれば、このような事は言いません。歪んでいても、矛盾していても、貴方には善良な人としての心がある」
「だから更生させようと?」
「そこまでは言いませんよ。他人の生き方にまで干渉する権利は私には無いので」
「あっそう」
人の事情に深入りしたいのか、そうではないのか。彼女は何を考えているのだろう。
「と言うか、そんな難しい話をするために帰ってきたわけじゃないんだよ。早く風呂に入りたいんだ。いい加減血の匂いがキツくて仕方ない」
「それはすみません。すぐにここを出ます」
アリシアは背を向けて扉から廊下に出た。
だが扉を閉めようとした瞬間、
「……あ、そう言えば」
何かを思い出してこちらを向いた。
「アラン君、貴方………随分と懐かしい呼び方をしてくれましたね」
「そう?」
「先程、私を『貴方』と呼んだでしょう?それは序列戦前までの呼び方だったではありませんか」
「あぁ……そうだった」
本当に無意識だったのだろう。指摘されて初めて気づいたといった様子だ。
「…………………やっぱり難しいな」
「何か言いましたか?」
「いいよ、気にしないで。呼び方も無意識でそうなってただけだから。次からはアンタって呼ぶよ」
「そうですか……まぁ呼び方は好きにしていただいて構いません。それでは、おやすみなさい。アラン君」
「うん。おやすみ」
今度こそアリシアは扉を閉めて去っていった。
──壁にもたれて息を吐く。妙に深い話ばかりしていたから、自然と思い出してしまった。
彼女と関わり始めたきっかけを。
***
アランとアリシアが交流を深めたきっかけ。それは彼らが一年生だった頃に行われた序列戦まで遡る。
アラン・アートノルト対アリシア・エルデカ。
一年生の序列戦における、最後にして最大の決戦に幕を下ろしたのは──。
「───降参、俺の負けです」
両手を上げながら軽い調子で言い放ったアランの一言だった。
その瞬間、アリシアだけでなく、試合を見ていた全員が激しく驚愕した。彼らにはアランの行動が理解できなかった。
アランの前には血を吐きながら地に膝を付けるアリシアがいる。
アリシアは重傷だった。外傷は塞がっているが、アランが与えた状態異常が治っていない。今は立つこともままならない状態だ。
アランも重傷だが、アリシアよりはマシだ。問題なくその場に立っている。
この場であと一撃でもアランがアリシアに攻撃すれば間違いなくアランが勝っていた。勝利が目の前にあるにも関わらず、アランは『降参』を選んだのだ。
『えぇっと……これは……』
「ほら、アルス先生。試合終了のコールを」
困惑する審判役の教師をアランは急かす。
『ですがアートノルト、君はまだ聖装具すら……』
「いいから。これは俺の負けです。俺ではアリシア様には勝てません。もう魔力も残ってませんし、正直立つのもキツイですよ」
それらしい言葉を並べて審判を納得させようとする。
このような形で試合を終わらせる事は不本意だったが、出場者がそう言っているのだから、ここは終わらせるしかない。
『…………試合終了。勝者、アリシア・エルデカ。これを以て彼女を学年実力序列第一位、並びに学年首席として認めます』
学年実力序列第一位、すなわち学年最強。
本来なら名誉ある成果と称号であるはずだが、アリシアは全く嬉しそうではなかった。
困惑が次第に怒りへ転じていくのが分かる。勝利を目前にして勝利を譲ったあの異常者への怒りに。
「──ッ!」
怒りのままに叫びそうになったが、その前にアランはアリシアに背中を向けた。
何事もなかったかのような軽い足取りでその場を去るアランの背を、アリシアは拳を握りながら見届ける事しかできなかった。
フィールドを出たアランは闘技場の廊下を歩く。
試合は終わった。結果は望ましいものではなかったが、あれはどうしようもなかった。
使えるものは全て使った。それで勝てなかった以上、負けを認めるしかない。
それ故の降参だった。だが誰もがその答えを受け入れられる訳では無い。
───彼女もまたその一人だ。
「待ちなさいッ!!」
後ろから叫び声が聞こえた。振り返ったアランの先にいたのはアリシアだ。
やっぱりこうなったか。
内心で呟きながら、アランは言葉を返す。
「どうしましたか?アリシア様」
「どうしたもこうしたもありません!先程の降参は何ですか!私に情けをかけたつもりですか!」
「そんな訳がないでしょう。あれは間違いなく貴方の勝ちだった」
「ならば何故最後、私にトドメを刺さなかったのですか!あの時の私には抵抗する術はなかった。貴方がトドメを刺すのは容易だったはずです!」
「普通ならそうかもしれません。ですがアリシア様もお察しの通り、俺は魔力をほとんど使い果たしてます。こんな魔力量では《真髄解放》を使った貴方の体に傷を付けられる程の魔法は使えません。貴方が俺の『崩剣』の不意打ちを耐え切った時点で俺は詰んでいたんです」
「詰んでいた?馬鹿な事を言わないでください。貴方にはまだ聖裝具があるでしょう!?それを使えば私にトドメを刺すことくらい……いいえ、そもそもあのような状況に陥ることすら無かったはずです!」
アリシアは怒りのままに叫び続ける。アラン以外の者からすればそれは当然の見解だった。
「よくもここまでふざけた真似を……貴方は序列戦を何だと思っているのですか!」
全くふざけてなどいない。アリシアに勝つために最初から最後まで全力で臨んでいた。
「聖裝具を使わない、それどころか勝利も求めない。貴方の行いは相手の全てを馬鹿にしています!」
今までにも何度か似たような事を言われてきた。アランにそのようなつもりがなくとも、相手にはそう見られるのだ。
アランだって分かっている。自分の戦い方が相手を侮辱するものである事は。
「貴方が思っているよりも、私たちはずっと真剣に戦っているのです!そのような舐めた戦い方をしていては、いつか必ず後悔しますよ!」
だからこそ相手の不満は受け止める。自分には言い訳する権利など無いから。
今もアリシアの怒号を黙って聞いている。
いや、聞くしかないのだ。
「本当に信じられない。貴方のような人間が聖装士などと……!」
──何と言われようとも、俺には言い訳する権利など。
「真剣に勝負に臨む事もせずに、いつもいつも手を抜いて………それでも貴方は本当に聖装士ですか!!」
…………ああ、だけど。
「…………れ」
「は?」
「黙れッつったんだよ!!!クソッタレがッ!!」
「……ッ!?」
アランは全力で声を張り上げた。
その声から感じられるのは激しい怒り。アリシアの怒声にも劣らぬ勢いだ。
「俺は最初から最後まで全力だったさ!勝つために必死に必死に考えて!出来るだけの事をやり尽くして!それでも勝てなかったから降参したんだ!!それを勝つ気が無いだなんて、よくも好き勝手言ってくれたな!」
分かってる。自分にこんな言葉を言う資格が無いことは。
正しいのはアリシアだ。俺の発言など全てデタラメな八つ当たりに過ぎない。逆ギレも良い所だ。
「それは私のセリフです!聖裝具を使わずして何が全力ですか!何を言おうとも貴方が手を抜いていた事実は変わりません!」
「仕方ないだろ使えない事情があるんだから!俺だって好きでこんな戦い方してねぇ!聖裝具が使えるなら使ってんだよ!」
だけど今だけは叫ばずにはいられなかった。
手を抜いただの、覚悟が無いだの、コイツは散々言ってくれた。
その言葉はさすがに許せない。絶対に否定してやる。
「ならばその事情とやらを言ってみなさい!我々の覚悟を踏み躙るに値する事情とやらを!」
「言えねぇよ!」
「はぁ!?」
「言えねぇくらい複雑な事情があるから俺もこんな戦い方してんだよ!手を抜いてるわけじゃない!」
俺はずっと努力してきた!大聖者シリノア・エルヴィンスに相応しい弟子になるために!
「そのような理由で我々が納得するとでも!?」
「お前らの理解なんか知るかよ!お前らがどう言おうとも、俺は聖裝具を使えないなりに考えてきたんだ!『魔法崩し』も『改良魔法』も《封印領域解放》も《原始回帰》も《魔人飾彩》も『崩剣』も!全部全部全部全部!お前みたいな聖裝具が自由に使える天才どもに勝つために努力した!」
最強に相応しい弟子になるためなら何でもやってやる。それくらいの覚悟で今日まで生きてきたんだ!
「それを……それを手を抜いただって!?」
前に踏み出し、殴りかかるくらいの勢い言い放つ。
「こっちの事情も気持ちも……何も知らない奴が……好き勝手言ってんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
ありったけの感情を込めた怒声が廊下に響き渡る。
この場に誰もいなかったのが幸いだった。誰かに聞かれていたら騒ぎになっていただろう。
叫び続けたせいで喉が痛い。息も絶え絶えだ。
「はぁ……はぁ……」
自分を落ち着かせるように息を整え、
(あっやべ……!?)
そこで自分の失態に気づく。
アランは今、一国の王女に対して本気で怒鳴ったのだ。
到底許される事ではない。少なくとも不敬罪、それ以上の罪を課せられるかもしれない。
「ア、アリシア様、今のは……!」
もう手遅れだろうが、謝らなければいけない。
慌ててアランは顔を上げるが、
「………………は?」
思わず呆けた声を漏らす。目の前の現実に理解が追い付かなかった。
アランの視界の先では、アリシアがアランに深々と頭を下げていた。
「な、何をして……」
「申し訳ありません。アラン・アートノルト……貴方を侮辱した非礼をどうか謝罪させてください」
「侮辱だなんて……そんなの俺の方こそ」
「いいえ、私は貴方の事を軽んじていました。貴方の覚悟も努力も何もかもを。それは相手が誰であれ、許されるべき事ではありません」
アランの真意は理解できずとも、アランの信念の強さは理解できた。そのために彼が途方もない研鑽を積んできた事も。
それを侮辱するなど許される事ではない。そう判断した故の謝罪だった。
「…………」
アランは言葉が出なかった。
どう考えても悪いのは自分の方なのに、アリシアは謝罪した。複雑な心境や立場の違いも捨ててまでして。
「………いえ、むしろ謝るべきなのは俺の方です。アリシア様が仰っている事は全て正しい。どんな理由があっても、俺の戦い方が貴方を侮辱するものであった事は事実です。本当に申し訳ありません、アリシア様」
アランも頭を下げて謝罪した。
相手が意地を捨てたのであれば、こちらも捨てなくてはいけない。それが道理というものだろう。
そもそも悪いのは自分だ。彼女にばかり謝罪させる訳にはいかない。
それから数秒の沈黙が続いた。
アランにはアリシアに掛ける言葉が見つからなかった。この状況で加害者である自分がどう話しかければ良いのか。
そうして迷っていると、
「…………そうですね、では今回の事はお互いに悪かったという事で終わりにしましょう」
先程までとは打って変わって、軽快にアリシアは言った。
「よろしいのですか……?」
「貴方にも相応の理由があったのでしょう。だからと言って貴方の戦い方を容認できる訳ではありませんが……今回だけは受け入れる事にします。貴方の真の実力はまた次回、この手で引き出すとしましょう」
「次回?」
「ええ。今回の試合で我々は共に学年実力序列トップ2となりましたから。お互い勝ち続ければ、来年度の序列戦でまた戦う時が来るはずです」
「………………」
アリシアに許された事による安堵と、いつか来るかもしれない恐ろしい未来への不安が同時にアランの心に募った。
「その時こそ……期待してますよ?」
「…………善処します」
出来れば期待に応えてやりたいが、果たして出来るだろうか。
弱々しく答えたアランに、
「それともう一つ。もう敬語は外してもらって構いませんよ」
「え、敬語を?」
「先程、敬語を使わずに話していたではありませんか。あれが素の貴方なのでしょう?そちらの方が楽なのでしたら、そうして頂いた方が私も嬉しいです」
「そんな事仰られても……俺と貴方では身分が違いすぎます。それにも関わらず、礼儀を崩すなど……」
「私は何度か言いましたよ。この学園では私は王女では無い、皆さんと同じ一介の生徒に過ぎないと。私としてはもっと皆さんに気兼ねなく接して頂きたいのですが、なかなか上手くいきませんでした」
「それは当たり前ですよ。貴方はあらゆる意味で格が違う。その隔たりを気にせずに話せる者などいません」
「そのようですね。ですので、この機会に貴方に一人目になってもらいたいのです。せっかく礼儀も何も気にせずに、素で話してもらえたのですから」
「いや、アレは頭に血が上り過ぎて気が回らなかっただけで……」
「それはつまり、貴方は常に私に気を遣っていたという事でしょう?そのような堅苦しい仲は私としても望むものではありません。なのでここは、私の頼みを聞いてくれませんか?」
「…………それは、命令ですか?」
「いいえ。貴方と同じ、ただの一人の学生としての言葉です」
「…………」
アリシアの頼みはアランにとっても悪い話ではない。礼儀を気にしながら関わるのは、やりにくいと思っていた。何も気にせず話せるというのなら、その方が良い。
そして、アリシアも似たような気持ちを抱えていた。アリシアは他者に礼儀正しく接される限り、そう振る舞われるに相応しい人間としてあり続けなればいけない。
彼女は決して越えられぬ孤独の中を生きる高嶺のお姫様だった。
高すぎる花には誰の手も届かず、そして花はいつまでも孤独に咲き続けなければいけない。
永遠に変えられないと思っていた孤独は、しかし予想外の形で破られた。
その高みにこのアラン・アートノルトという人間は土足で踏み入ってみせたのだ。
彼は決して花と呼べるような素晴らしい人間ではない。むしろその心中は狂気と欺瞞で満ちている。
眩い程に美しい孤高の花にはとても不釣り合いな人間である事は確かだ。
そんな彼の愚行こそが、アリシアに微かな希望を齎した。
試合中の出来事もあって、多少なりとも恐怖はある。それでも先程の喧嘩から感じたのだ。
彼も人間なんだな、と。
侮辱された事に心の底から本気で怒れて、人一倍に戦いにかける熱意がある。
間違いなくアランには人間らしい一面もある。その一面にこの願いを賭けてみたいとアリシアは思ってしまった。
「…………これも縁か」
彼女の領域に踏み込むつもりは全く無かったが、そう考えれば悪くない。
アランにもアリシアの心情は大体理解できた。自分が思っていたよりも彼女が人間らしい事も。
ならば───。
「………分かった。ならこれからはアンタの事は呼び捨てにさせてもらおう。アリシア」
清々しくアランは言い切った。
「ええ。では改めて、これからよろしくお願いします。アラン君」
「え待って何その君付け」
「親しい仲にある者はこのように呼んだりするのでしょう?」
「…………」
予想を遥かに越えたアリシアの距離の詰め方にアランは驚愕した。
***
こうして二人は関わり始めた。喧嘩から仲良くなるというのは珍しい例だが、彼らには最も有効な手段だった。
他人に偽り続ける少年と、他人のために王女として振る舞い続ける少女。
思うように本心を明かせない者同士だからこそ、喧嘩という感情を曝け出す行為が二人を繋ぐきっかけとなった。
しかし、仲良くなったからと言ってその後が順調にいくとは限らないのが彼らである。
時には依頼を巡って鬼ごっこが起こり、時には価値観の違いから言い合いになり。
縁が切れそうな状況になったりもしたが、それでも関係は続いている。
理解出来ない点を互いに抱えているとしても、この関係を心地良く思うから。
───そう、故に。
「……はぁぁぁぁぁ………ホンットめんどくさいな、あの女。交友関係にまで口出しする気は無いけど、なんでよりにもよってあんな奴と仲良くなっちゃうかなぁ」
心底気怠そうにしながら、赤眼の少年は夜闇に吐き捨てるのだった。




