第七十四話 怪物の目覚め
それは十秒ほど前の事。攻撃を放ち終えたアランは爆煙の中に佇んでいた。
ヴァッシュの気配はほとんど消えている。おそらく気を失ったのだろう。
ほぼ勝利したと言っていいが、この目で確かめるまでは油断はできない。
周囲に警戒しながら、アランは一歩踏み出し、
「ッ!?」
突然背後から感じた気配に対して、アランは反射的に体を右へ逸らした。
直後、何かが頬を掠めた。頬から微かに血が流れるが、気にする余裕はなかった。
次の瞬間には別の方向から魔力を感じた。それも複数ある。
咄嗟に『虚空の手』から取り出した剣で正体不明の攻撃を弾くが、ある一撃だけは違った。
(重っ!?)
今までとは比にならない重量が体にのし掛かる。
目の前には莫大な魔力の気配があった。視界が悪くてもその正体は容易に予想できる。
「驚いた……まだ意識があるなんてな」
「あァァ?そうだな、確かに今のはヤバかったぜ。マジで終わったかと思っタ」
「…………?」
予想通り、そこにはヴァッシュがいた。彼は先程の猛攻撃を耐えていたのだ。
だが何か妙な気が───。
「ただァよォ……悪りィなクソガキ、こっかラハもう加減でキないゼ」
「何を言って──」
そう言いかけた。だが言い切れなかった。
「……ぶッ……があ“……!?」
──グサリ。耳をつんざく醜い音が響いた。
腹部から焼けるような激痛が走る。体から大量に血が流れていくのが理解できる。
自分の体に何が起きたのか、想像するに難くなかった。
数秒遅れて視界が開けた時、目に移ったのは自身の腹を貫く赤い棘だった。
「チッ、そういう事か」
瞬時にアランは現状を把握する。
「魔装能力か……使われる前に終わらせたかったのに」
「残念だったナぁ。俺も出来レば使いたくナカった……って言うか、使うナって言われてたんダけどな。流石にドうしヨもなかったから使ワせてもラったぜェ」
「はっ!別に俺は『使うな』なんて頼んでねぇよ」
「そりゃ悪カッたな。ならお詫びニしっかり殺してやらァァァッ!!」
ヴァッシュは棘を消滅させる。自由になったアランはすぐに動こうとしたが、全く間に合わなかった。
アランを遥かに上回る速度でヴァッシュがアランを殴り上げ、上空まで吹き飛ばす。アランは勢いのままに宙を舞った。
衝撃で骨が折れ、腹部の穴からさらに血が溢れた。それでも容赦なくヴァッシュは空中のアランを地面へ蹴り飛ばす。
落下と同時に轟音が響いた。凄まじい速度で瓦礫の上に叩きつけられ、アランは口から大量の血を吐いた。
腹部から流れる血が瓦礫を伝って床に落ちる。貧血で頭が回らないが、どうにか上体を起こした。
しかしそれも束の間の出来事に終わる。
地に降り立ったヴァッシュがアランを蹴り飛ばす。瓦礫の上を転がり、再びアランは地に臥した。
「まダ息があるタァ大したモンだ。楽しカったぜクソガキ、お前の名前は覚えてオイてやルよ」
ヴァッシュは砲台を担ぐと、発射口をアランに向ける。
トドメの一撃が放たれるまで、あと数秒。今すぐにでも体を治したいが、これは負傷し過ぎた。
出血量からしても、すぐに治せるものではない。
「はぁ……やってらんね」
この状況に相応しくないため息を吐いた直後。
ヴァッシュは無情にも砲台から光線を放つのだった。
標的を抹殺したヴァッシュは砲台を下し、アランに背を向けた。
先程までの感情の昂りはもうない。虚無感が体を支配している。
「はァ……こんなモンか」
子供にしては強かった。ここまで強い聖装士と戦ったのは実に久しぶりだ。まさか魔装能力まで使わされるとは思っていなかった。
だが所詮はそれまでだ。
魔装能力を使った途端に敵が死ぬ。ちょうど盛り上がってきた所だったというのに、相手がヴァッシュに追いつけない。
不完全燃焼。今のヴァッシュはまさにそのような状態だ。発散しきれなかった戦闘欲求が虚無感や失望へ転じている。
「あァ、それでどうすりゃ良いんだっけ。アイツはその内迎えに来るって言ってたからなァ……予定日までここで潜伏してたら良いのか」
瓦礫を越え、建物を出る。
気づけばヴァッシュは海辺に足を寄せていた。退屈を紛らわすように、波音に耳を傾ける。
ヴァッシュには物の美しさなど分からない。彼の尺度は決まっている。面白いか否かだ。
自身を昂らせてくれる何かを、ヴァッシュは待ち続けている。
だがそれは今日ではなかった。
大きくため息を吐いた後、ヴァッシュは身を翻え───。
「───《刃則術式二型・乖那抜殺》」
「ッ!!?」
反射的に身を屈めた直後、頭上を何かが通り過ぎた。
一瞬遅れて後方から轟音がした。何事かと思い、ヴァッシュは振り返る。
「おいおいなんだこりゃ!?」
信じ難い光景がそこにはあった。
ヴァッシュの後方に広がっていた建物が全て切り飛ばされていたのだ。港のほとんどが今の一撃で更地と化している。
一体誰がこのような真似をしたのか。考えられる人物は一人しかいない。
「まさかあのガキ───」
「《刃則術式六型・苦螺天呪蓬莱暗槍連華》」
その人物を特定する暇もなく、次の超常が放たれる。
空に巨大な闇色の槍が大量に現れた。ソレらは一斉にヴァッシュへ降り注ぐ。
直感で理解できた。弾ける規模ではないと。
ヴァッシュは地を駆け、降り注ぐ槍を回避する。槍は地面に激突する度に爆発を起こし、周囲の地形を変えていた。
「ハッ!ヤベェなオイ!」
ヴァッシュは楽しげに笑う。
彼が生きている事への疑問だとか、自分が危機に瀕している事などどうでも良かった。
自分の全てが急激に昂っていくのが分かる。消えかけていた心中の炎が、今は大火となって燃え盛っていた。
「面白れェ最高じゃねぇかクソガキィ!アァいいぜやってやらァ!」
ヴァッシュの瞳が赤く光る。
魔装能力の使用。再び解放されたヴァッシュの真の実力がここに爆発した。
「《赤月の血王》!!」
身体能力をはじめとしたヴァッシュの全能力が爆発的に上昇する。
ヴァッシュの実力は今までの比ではない。全霊を持って敵の到来に備え───。
「ッ!!」
後方に気配。薙ぎ払った砲台が甲高い音と共に鎌と激突する。
その瞬間、ようやく敵の姿が目に映る。
やはりそこにいたのはアランだった。彼の負傷は当たり前のように全て完治していた。
「普通に殺したつもりだったんだがな……テメェ、まさか不死身なのか?」
話す間もヴァッシュは砲台に渾身の力を込め続ける。
先程までのアランならこれで振り払えた。だが今のアランはヴァッシュの怪力をものともしていない。
ヴァッシュと同じかそれ以上の凄まじい腕力で鎌をヴァッシュに押し付ける。
「《刃則術式二型・乖那抜殺───」
(来るか……!)
再び唱えられる詠唱。斬撃の到来を予期し、ヴァッシュは反撃の構えを取り───。
「───八重繋》」
「なッ!?」
アランの姿が掻き消えた瞬間、凄まじい斬撃が放たれる。
合計で八発。圧倒的な速度から放たれる攻撃の間隔は一瞬にも満たない。
全方位からほぼ同時に襲い来る斬撃に対して、ヴァッシュは全力で迎撃を試みる。
斬撃を弾くたびに腕が吹っ飛んでしまいそうな程の衝撃がのし掛かる。致命傷は避けられたが、斬撃の余波で体が切り裂かれた。傷も浅くない。
「ッ、はぁ……はぁ……やルじゃねェか……!」
肩で息をするヴァッシュ。なんとか命拾いしたが、目の前の脅威は健在だ。
既に更地と化した大地の上で、アランは静かに振り返る。
もはや異端者の面影は感じられない。そこにあるのは圧倒的な凶気と殺意を宿した暴虐者の姿だった。
あまりに重く冷たい彼の殺気に当てられるだけで、深海に叩き落とされたような錯覚すら覚える。
背筋に悪寒が走る。今間違いなく、ヴァッシュは身の危険を感じていた。
今後のことを考えれば一度撤退するべきなのだろう。これ以上の魔装能力の使用も許可されていない。
組織の一員として、ここは責任ある行動を──。
「ハッ!いいねぇ乗ってきたじャねぇかァァァッ!!」
獰猛に笑い、その思考を一蹴する。
どこまでも個人主義なヴァッシュ・ガーバランドという男には、集団に属する者としての行動など選択肢にすら入らない。
最後の瞬間まで目の前の戦闘を味わい尽くしてこそ、獣として相応しい。
「さァやろうぜクソガキッ!限界まデ俺を楽しマセてみろォッ!!」
ヴァッシュとアランは同時に動く。
互いの矛を振りかぶり、再び激突を開始しようとした───寸前。
「──は?」
ヴァッシュの足が止まった───否、沈んだ。
いつの間にかヴァッシュの足元に水溜りができていた。ヴァッシュの足はその中に浸かっていた。
「は?おいおいおいおいちょっと待て!待てって!今良いところなんだぞ!?おい待てクソアマァァァッ!」
絶叫している内にもヴァッシュは水の中へ沈んでいく。
アランも思わず足を止めていた。あまりの突然の出来事に脳がフリーズしかけている。
「……って、待て逃げるな!」
正気に戻り、すぐにヴァッシュの元へ駆け出す。
だが遅かった。アランの攻撃が届くよりも先に、ヴァッシュは水の中に完全に沈んでいた。
ヴァッシュを取り込むと、水溜まりは消滅した。アランは水溜りがあった地面を眺めた。
「…………なんだったんだ?」
気づけば殺意は消えていた。戦意がどこかへ行ってしまう程、先程の出来事に混乱してしまった。
この場からヴァッシュの気配は感じられない。先程の水溜りを通って別の場所へ転移させられたのだろう。ヴァッシュの発言からして、彼の仲間の一人の仕業と考えられる。
その者もまた魔装士である可能性が高い。魔法ではあのような形式による転移はできないからだ。
そして他にも気になる事はあった。
(さっきの転移から感じられた魔力の気配……あの核無しスライムと似てたな。つまり最低でも敵は精神干渉の奴、ヴァッシュ・ガーバランド、あとスライム作ってる奴の三人はいるのか)
曖昧ながらに敵の全容が掴めてきた。
転移が使えるなら敵を追いかけても無駄だろう。それなら方針を変えた方がいい。
(リスクあるからやりたくなかったんだけどなぁ……アリシアに相談するか)
鎌を持ち上げると、刃の先端から刃をなぞるように掌を押し当てる。
刃が次々に『虚空の手』に収まる。あとは残った柄を『虚空の手』に収めれば───。
「よーし戻った」
手を叩いて、改めて周囲を見回した。
周囲にあった建物は全て瓦礫と化して地面に積もっている。もはや調査などできたものではない。
(他にも調べたい事あったんだけどな……仕方ない、帰るか)
追い詰められた事で調子が上がったのは良かったが、力加減が出来ていなかった。
自身の失敗を悔いながら、アランは皇城へ戻るのだった。




