第三十四話 連続する予想外
直後、二人の周囲を半球状の結界が覆った。
結界の範囲は半径十五メートル程。結界内の気温が一気に低下し、雪が降り始める。
ヴィルは警戒して足を止めた。
「雪か。君も意外とロマンチックな魔法を使うんだね」
「綺麗な物は俺も好きだからな。多少は見栄えのある魔法も用意してある」
「それはそれは。気が効くね」
話しながらアランの様子を観察するが、アランは何も仕掛けてこない。
ただ結界内の気温が下がっていく。既に気温は氷点下に入った。
雪の量も増え、次第に視界を白く染めていく。
視界を妨げるためにこのような真似をしたのだろうか。ならば何故アランは攻めてこないのか。
水蒸気で視界を覆った時はすぐに殴ってきたというのに。
(攻めれば分かるか……)
疑念を捨てた。今の状況で有利なのはヴィルの方だ。
結界で行動範囲が封じられたのはアランも同じ。であればヴィルの得意の一方的な近接戦闘に持ち込むことが出来る。
ヴィルは腰を屈め、突撃の構えを取る。
「……そろそろ良いかな」
雪を手に乗せながら、アランが呟いた直後。
「《風波動》」
結界内の大気が吹き荒れた。暴風は雪を巻き込み、乱れ舞う雪が視界を染める。
しかしヴィルは意にも介さない。雪をかき混ぜた程度で何になる。
姿が見えずともアランの魔力の気配は感じられる。それにこの暴風も劣化の魔装能力を持つヴィルの動きを止めるには遠く及ばない。
ヴィルはアランへと直進する。
だが、
「ッ!?」
直後、ヴィルの皮膚が僅かに裂けた。
触れられてすらいないのに受けた負傷にヴィルは混乱する。さらに負傷の増加は止まらない。
皮膚は次々に切り裂かれ、小さな傷口を増やしていった。
(これは、何が起きて……!?)
アランは未だに動いていない。攻撃魔法を唱えた様子もない。
気温は氷点下のさらに下へ落ちていく。
辺りは完全に白一色。雪が結界中を吹き荒れる中、キラキラと光る小さな物質が見えた。
その名は───。
「そうか……ダイヤモンドダストか!」
細氷、またの名をダイヤモンドダスト。極低温にて大気中の水分から発生する小さな氷だ。
雪に紛れて発生していた細氷が、吹き荒れる暴風に乗ってヴィルの肌を切り裂いていたのだ。
「お前の魔装能力は『触れた物を朽ちさせる力』だったな。だがこの魔装能力、効果対象外の物質があるだろ。例えば空気だ。もしお前が周囲の空気を朽ちさせれば、お前はすぐに酸素不足で窒息死する。そうならないのは、お前が空気は効果対象外に設定しているからだ。こんな風にお前の魔装能力は反応しない物がある。その一つに空気中の水分がある。証拠にお前の肌は乾燥してない。だからお前は空気中の水分から生まれたこの細氷は消せない。そうだろ?」
「……ッ!」
ヴィルは驚きで目を見開く。手の内を明かしてもいないのに、アランは全てを言い当てた。
「これは驚いた。まさかそこまで見破られていたなんて。だが君は一つ、勘違いをしているんじゃないか?」
「勘違い?」
「確かに僕は空気中の水分までは効果対象には入れていなかった。だからこの細氷も効果対象には入っていない。それは正しい。だが、だからって効果対象を変更できないわけじゃない!」
直後、ヴィルに触れた細氷が全て朽ちて石粒となり、地面に落ちた。
効果対象外に入れていた空気中の水分。そしてそこから生まれた細氷を効果対象に加えたのだ。
「これで君の小細工も無しだ。あとはこの雪と強風だけど……これくらいは別に放置して良いかな。あっても変わらないからね」
「そうかそうか。いや〜困ったな。綺麗なダイヤモンドダストが無くなっちまった………で、」
余裕の態度を維持したまま、
「お前の体が裂け続けてるのはどう説明する?」
「なッ!?」
細氷を効果対象に加えた後もヴィルは負傷し続けていた。
皮膚が次々にヒビ割れていく。皮膚から流れ出た血は極低温の外気によって即座に凍結した。
これは細氷による負傷ではない。別の原因がある。
「何をしたんだ!?」
「さぁてなんだろうな。小細工が大好きな俺としては、ここはお前に是非とも正解を言い当てて欲しいところだが」
煽るようにアランは言う。実際、策略を読み違えた事からヴィルは余計な焦りを感じていた。
遂にヒビ割れがヴィルの目にも及ぶ。右目が裂けた。視界が赤く濡れ、その流血を大気が凍り付かせて視界を殺す。
もはや猶予は無い。早急に決着をつけなければヴィルの敗北は明白だ。
「《呪われし狩人の晩餐会》!!」
叫ぶと同時、ヴィルはさらに力を解放する。
本来用いる詠唱を省略している故、効果は大幅に落ちているが、それでも今のヴィルの攻撃力は先程までの比ではない。
魔爪だけでなく、ヴィルまでも禍々しい闇を帯びる。ヴィルに近づいた雪は朽ち果て、吹き付ける強風もヴィルの闇に押し負けた。
ヴィルは地を蹴り、一瞬でアランとの距離を詰めた。
結局やる事は変わらないのだ。劣化の魔装能力でアランの攻撃を防ぎつつ、連撃で押せばいい。
それで逆転できる──。
「──遅せぇよ」
──はずだった。
振るわれたヴィルの魔爪をアランは容易く回避し、剣を薙ぎ払う。
「《雷光波斬》」
剣に帯電した青白い雷が高火力の斬撃となって放たれる。ヴィルは魔装能力で雷撃を朽ちさせることで威力を殺し、攻撃を防いだ。
すかさずヴィルは再びアランに接近して連撃を繰り出す。
だが当たらない。ヴィルの力は大幅に強化強化されているにも関わらず、尽くアランに届かない。
何故かヴィルはアランの速度に追いつけなかった。
対するアランは回避する度に剣から雷撃を放ち続ける。依然アランの雷撃はヴィルには傷を与えていないが、それでもアランは余裕の笑みを崩さない。
それはアランがまだ何かを隠していることを示唆していた。
(……そうか!)
そこでヴィルは悟る。
今、結界内は極低温の状態だ。普通ならとっくに動けなくなっている気温である。
ヴィルがアランに追いつけない理由は至極単純。寒さによる運動能力の低下だ。
魔装能力で体を強化しているからこそヴィルはまだ動けているが、それでもこの極低温は確かにヴィルの体を蝕んでいた。
アランは魔法で体温などを調節する事で問題なく動けている。ヴィルもそうした魔法は習得しているが、『魔法崩し』を扱うアランの前では使えない。
一方的にヴィルは極低温に晒されるしかなかった。
「お前は触れた物を朽ちさせることは出来るが、気温の影響を無視できるわけじゃない。暑ければ汗をかくし、寒ければ動きが鈍くなる。そして寒くなると空気はどうなる?カルマース」
「………まさか、乾燥を使ったのか!?」
この極低温では空気中の水分は凍りついている。そうなれば湿度は落ち、空気は乾燥する。ヴィルが魔装能力で空気中の水分を朽ちさせている事も乾燥に拍車をかけていた。
そのためにヴィルは常に負傷していたのだ。
しかし所詮は裂傷。この程度のダメージでは決着をつけるには至らない。
故にヴィルはこの裂傷をそこまで問題視していなかった。問題視しているのは、アランが何故ヴィルにこのような細々とした負傷を与えようとしたのか。
アランもこの程度でヴィルを倒せるとは思っていないだろう。それでもこの攻撃方法を選んだのには必ず理由がある。
この状況を続ければ、いつかアランが用意した地雷を踏みかねない。
「《腐朽ノ荒波》!!」
魔爪を地面に叩きつけると、ヴィルを中心に赤黒い衝撃波が発生する。
アランは『魔法崩し』によって結界をすり抜け、攻撃範囲から飛び退いた。
次いで轟いた衝撃波が結界を朽ちさせ、破壊する。
ヴィルはようやく環境を整えることに成功した。寒さは体から抜けきらないが、それでも動きは少しずつマシになるはずだ。
すかさずヴィルは目の前のアランへ駆け出そうとするが、
「もう一つ問題だ。乾燥する、つまり空気中の水分が無くなると、人の体に帯電した電気は外に逃げにくくなるらしい。これが寒い日に静電気が発生しやすくなる理由の一つでもあるわけだが……」
剣を持たない左手の中指と親指の腹を合わせる。
「氷点下の乾燥した世界で俺の超高圧の雷撃を受け続けてきたお前の体には、今どれだけの電荷が溜まっているでしょーか?」
「まさか……!」
動こうとした。だが遅かった。
「《爆雷》」
アランは左手の指を弾く。
軽快な音が響いた直後、ヴィルの身体が爆ぜるように大きく裂けた。
「人体ってのは外側からの衝撃には強い。劣化の魔装能力を持つお前なら尚更だろう。だが人体は内側からの衝撃には弱くできている。だから体内で帯電した電気が暴れたりでもすれば、簡単に体は崩壊する。さすがにお前の魔装能力も体の内側には干渉できないだろ?」
重傷を負ったヴィルはその場で倒れた。
体は痺れて動かない。傷口から止めどなく血が流れ続ける。
「そう……か……ここまで全部…誘導だった……のか」
《氷雪世界》にて雪を降らし、その中に紛れて細氷をばら撒いてヴィルを負傷させる。
細氷は最初こそ魔装能力の効果対象外であったが故にヴィルに通じたが、ヴィルはその細氷すら朽ちさせることが可能。
魔装能力の効果対象を調整してヴィルは細氷を朽ちさせた。
だが依然負傷は止まらない。負傷の正体は空気乾燥による裂傷だった。
自分が判断ミスをしたという事実からヴィルは焦り、アランに突撃する。しかし寒さで動きが鈍ったヴィルに勝ち目はなく、アランの手玉に取られるのみ。
いつしかアランの高威力の雷撃によって、ヴィルは電気を体内に溜めていた。
ヴィルはアランの雷撃を魔装能力で防いでいたが、高威力であっただけに消しきれなかった電気が、体内に蓄えられていく。
身体中に傷口があった事や空気が乾燥していた事により、帯電は進行しやすくなっていた。
そして本命の一撃。帯電させた電気を一気に爆発させたことで、アランは体内からヴィルを攻撃する。
体内からの攻撃であれば、ヴィルの魔装能力でも防げない。アランが狙っていたのは外側からではなく、内側からの攻撃。そのためにいくつもの工程を用意し、本命の一撃を決めてみせた。
「お前には色々と聞きたい事があるからな。とりあえず拘束させてもらう。いや、お前の魔装能力からしたら拘束じゃ足りないか……動けない体にした方が良いか?」
倒れたヴィルにアランは近づく。
ヴィルには他にも使える技はある。魔力もまだ残っている。だが肝心の体が動かないのだから、抵抗のしようが無い。
もはや彼らの勝敗は決まっていた。
「───《灼熱砲火》!」
直後、アランは振り返って熱線を放った。夜闇を裂いて熱線は直進し、アランの後方にいたソレに命中した。
撃ち抜いたのは一人の人間。ソレはヴィルと同じ服装をしていた。
漆黒のローブを羽織っており、顔もフードで隠れていて見えない。
そして心臓部は熱線に貫かれたことで大きな風穴が開いている。
人間であれば即死だが、ソレは倒れなかった。
負傷した部位から血が流れないのだ。体がガラスのようにヒビ割れ、光の粒子となって消滅した。
「チッ……幻影か」
狙いが外れた事に舌打ちしながら周囲を見回し、
「……いない!?」
アランの傍らで倒れていたヴィルが消えていた。
どこへ行ったのか。それは魔力反応ですぐに分かった。
教会の入り口付近の屋根の上、そこにヴィルは転がっていた。その隣には先程撃ち損ねたローブ姿の者も立っている。
「いやぁ助かりましたよ、バルドラートさん。あとちょっとで終わってました」
「何があとちょっとだ。既に終わっていただろう。お前が門番を引き付けている間に私が潜入する予定だったというのに、よくも負けてくれたな」
「だって仕方ないじゃないですか!相手はあのアラン・アートノルトですよ?俺一人じゃ荷が重過ぎますって!」
「それでもだ。お前から志願した以上、役割くらいは果たせ。馬鹿者が……」
バルドラートと呼ばれた男は、ため息をつきながらアランに視線を向ける。
「お前、ヴィル・カルマースの仲間か?」
「答える義理は無いが………隠せる状況でも無いか。そうだ、私はコイツの仲間だ。そして魔装士でもある」
バルドラートの右手には一本の剣が握られていた。
黒い柄に薄紫の結晶のような刃。刃の内側には黒炎の模様のようなものが見えた。
あれが彼の魔装具なのだろう。
「つまりお前も『リヴァイアサンの断片』を奪いに来たと」
「そういうことだ。その上で言おう。ここから去れ、アラン・アートノルト。我々の目的はあくまで『リヴァイアサンの断片』だ。それ以外のものに関与するつもりは無い」
「その言葉を信じろってか?」
「お前に提示できる証拠と呼べるものは持ち合わせていないのでな。ここは信用してもらうしかない」
あくまで手を引けと、バルドラートは言う。
彼らは目的以外のことに関与する気はない。故に邪魔をしないのであれば、アランにもそれ以外の者にも手出しはしない。バルドラートはそう言いたいのだろう。
「論外だな。そもそも俺はこの教会の護衛だ。護衛を任されている以上、敵の侵入を許すわけにはいかない。入りたいなら俺を殺すことだな」
「そうか、ならそうしよう」
バルドラートは魔剣に魔力を込める。
警戒してアランも剣を構えるが、バルドラートはその場から動かない。
屋根の上に立ったまま、
「《鏡界の牢監剣》・《鏡転する現実》」
その一言を唱えた────直後だった。
「───は?」
腕が、脚が、腹が、目が、首が、爆ぜるように大きく裂けて、そこから大量の血をこぼす。
さらに続けて全身を襲ったのは強い麻痺症状。体は動きを止め、地に右膝を着いてしまう。
それらは本来ヴィルが負っていたはずの傷で、しかし今は、その全てをアランが負っていた。
「ッ……《治療》!」
激痛と麻痺を堪えながらアランは治療魔法を唱える。
即座にアランの体は再生を始めた。三秒後には九割以上の傷が塞がり、五秒後には傷付く前の体に戻っていた。
「ほう、今ので倒せると思ったのだが……まさか十秒足らずで完治してしまうとは。『叡傑の暴虐者』と呼ばれるだけはある」
驚愕と称賛を込めてバルドラートは言った。
「カルマースの傷を俺に移したか……やってくれたな」
顔に付いた血を拭い、アランは教会の屋上を見て──。
「──なっ!?」
気づけば、屋上にいたはずのヴィルが消えていた。
ヴィルの魔力反応を探ると、彼の魔力反応は既に教会の中にあった。
(俺が治療してる隙に教会に入りやがったか!)
このまま放置していては『リヴァイアサンの断片』を奪われる。念のために保険を用意しているが、放置はできない。
アランはすぐに教会に入ろうとするが、その行手をバルドラートが阻む。
「ここからは私がお前の相手をしよう。私では不十分かもしれないが、文句は言わないでくれ」
「文句は言わねぇよ。その前にお前を潰す」
「それは恐ろしい。では私も出し惜しみは無しだ」
バルドラートは魔装具を構え、
「《鏡身無尽投影》」
直後、バルドラートの輪郭がブレたかと思えば、そこから次々にバルドラートが現れた。
最終的に出揃ったのは三十人のバルドラート。いわゆる分身技だ。
「さぁいくぞ、アラン・アートノルト」
三十人のバルドラートは同時にアランに襲いかかった。
どの個体からも強大な気配を感じる。おそらく全てが本体と同等の実力を持っている。
「来いよ、バルドラートとやら。塵はいくら積もっても塵に過ぎないことを教えてやる……!」
アランもまたバルドラートたちへと駆け出す。一対三十の戦いの火蓋がここに切って落とされた。




