002 魔女とトカゲと黒姫と
「やっぱり、いたわね」
汗でへばりつく、長い金髪をかき上げながら、黒いマント、全身をピッチリと覆う黒革のコスチュームの女が呟いた。
オルグ火山の火口へと突き出た岩場の上、そこにある石の台座の上に、ひとりの女が横たわっていた。
長い黒髪を後ろで束ね、縁の薄い眼鏡をかけた、肌の白い、若い女だ。
装備もなしにこの険しいオルグ火山は登れない。
ここへ至る道が困難であることは容易に想像がつく。
それなのに、この横たわる女が身に纏っている白いブラウス、黒いジャケット、タイトスカート、同色のパンプスには一切の汚れや損傷が見られない。
着崩れどころか、まるで卸したてのようである。
誰かがこの場所へ、眠る彼女をそっと安置した。
そう思っても不思議はない。
「オーヤ、こいつが姫神か?」
オーヤと呼ばれた黒革のコスチュームの女は、背後に続く同行者に頷いて見せる。
女の瞳は妖しく金色に輝いている。
「そうよ。七人の姫神のひとり、黒姫」
色めき立つ同行者から横たわる女へと視線を戻す。
オーヤは足元に散乱した小振りのバッグに気を止めた。
中には様々な小物や化粧品の類、財布や、書類のようなものが出てきた。
手にとってみるが、書かれている内容に興味はない。
「ま、いいわ。あなたにはもう、必要ないものよ」
バッグの中身を火口へと蹴り落としていく。
「さあ、黒姫を連れて下山するわよ! それと、あの黒い剣も忘れないでね」
横たわる女のさらに向こう側、火口ギリギリに一振りの剣が突きたっていた。
幅広の刀身で、刃の長さは一〇〇センチ程あろうか。
柄も刃も怪しく黒色に輝いている。
「黒姫の神器よ。彼女にしか扱えないわ」
横たわる女よりも、その黒い剣に興味を示す同行者に釘を刺す。
「わかっておる」
同行者は控えている部下たちに女と剣を運ぶよう指示を出す。
するとその命令に数匹の「トカゲ人間」が前へと出てくる。
彼らは我々のような人間ではない。
固い鱗と牙をもち、人間のように二足歩行する、トカゲ族だった。
二匹のトカゲ族が横たわる女を大きめの木箱に入れ蓋をする。
木箱には前後に長柄が突き出していて、輿のように肩に担げるようになっている。
女の入った木箱は軽々と台座から運び出された。
しかし黒い剣を取りに行った者が戻って来ない。
なにやら剣の前で右往左往している。
「何をしているッ」
痺れを切らした同行者が剣の元へとやってきた。
「モ、モロク王様! その、剣が異様に重たくて……」
狼狽する部下を片手で脇へ押しやる。
モロクと呼ばれた者も人間ではない。
この場に人間は、オーヤと木箱の中にしかいない。
人間よりも体の大きいトカゲ族だが、中でもモロク王は一際サイズの大きいトカゲだった。
全身は土色と砂色のまだら模様、鱗は全体的に鋭利なトゲで覆われている。
その上から朱色に染められた鎧を纏っていた。
見るからに屈強な戦士の風格があった。
地面に突き立つ黒い剣の柄を握り、引き抜いてみようと試みる。
「なるほど、重いな」
並みの戦士が扱うには重すぎる代物だ。
モロク王は徐々に剣を引き抜いていく。
剛腕で鳴らすモロク王をもってしても容易くはない。
全身に汗がにじむのは、火口に近いからだけではなさそうだ。
だが……。
「ぬ、おおおおおおおおおおおうッ」
最後は気迫を吐き出しての抜刀であった。
黒い刃はマグマの照り返しで怪しく煌めいている。
「はあ、はあ」
「お見事。さすがはかつての英雄、炎天将軍モロク王様」
「これをあの華奢なニンゲンのメスが扱うというのか?」
オーヤは質問に答えず、ただ不敵な笑みを浮かべている。
「まあよい。剣と黒姫はこの俺が、大陸の覇王となる為に利用してくれる。丁寧に運びだせ」
部下のトカゲが三匹がかりで剣を担ぎ、下山することになった。
「さて、オーヤよ。姫神とやらは何人であったか」
「七人よ」
「他の姫神はどこにいる?」
「……ゴズ連山。その地に次の姫神降臨の兆しが出ている」
「ゴズ連山か!」
モロク王が破顔した。
「そいつぁいい。あそこには気に入らないヤツがいる。水虎将軍クラン・ウェル! ついでに潰してくれる」
意気揚々と下山していくトカゲ族の群れを見ながら、オーヤは心中で毒づいていた。
(フン、単細胞のトカゲね。せいぜい今のうちに夢を見ときなさい。その夢は、決して長くはないけどね)
群れの最後尾で、オーヤの金色の双眸が妖しく輝く。
その瞳にはすでに、姫神による大戦争の始まりが見えているようであった。
2025年2月17日 挿絵を変更しました