159 マナ、姫神という資源
強引な起こし方だった。
何処へと連れ去られたミナミが目を覚ましたのは、巨大な水槽の中であった。
透明度の高い、澄んだ真水がなみなみと湛えられた水槽。
深さは二メートル、幅はそれ以上の大きさを持つ頑丈な水槽が床に掘られていた。
そこへ突き落とされたミナミは、大量の水を飲み、咳き込みながら顔だけを水上に避難させた。
が、その頭を押さえつけられ、再び水の中に押し込まれる。
予想していない荒っぽい扱いに動揺する。
水面に顔を出しては押し込まれ、出しては押し込まれを数度繰り返した後、ようやく両脇を抱えられながら水から出してもらえた。
うつろな目で自らを支える者の姿を見る。
「ッ!」
悲鳴が喉まで出かかった。
ミナミを支えていた者は悪魔のような姿をしていた。
痩せていて小柄、全身が黒光りするゴムのようで、小さな羽と長い尾を持つ。
特筆すべきは、その者には目も鼻も口もなく、顔は黒一色ののっぺらぼうであった。
同じ者が何匹も徘徊している。
「よし、〈夜鬼〉どもよ。三十時間おきに金姫をそうして聖水で清めるのだ」
恐怖を呼び起こす声が聞こえた。
うつろな目で声の主を見ると、案の定そこにズァと名乗る偉丈夫の姿があった。
「ズァ……私を、どうするの……」
「体を清め、休息を与える」
「……」
「ゴーントどもよ。十時間の休息の後、施術を行え」
「なに? なにをするの」
不安を抱えたまま、ミナミは再び訪れた強烈な眠気に抗えず、そっと意識を失った。
どれぐらい眠っていたのだろうか。
目覚めたとき、ミナミは慌てふためいた。
「んっ! んんッ! ……動けない」
両腕を左右に伸ばし、両足は揃えられ、少し目線の高くなる位置で、どうやら磔にされていた。
少し体がきつい。
それ以上に、身動きできず、まるですべてをさらけ出し、晒されている感覚に焦りと羞恥が加わる。
よほど慌てたのだろう、しばらくしてからようやく周囲に目が行き届き始めた。
裸ではなかった。
日本にいたころ、よく目にしたロボットアニメのパイロットスーツのようなものを着せられていた。
色は金。
体に密着し、ボディラインがはっきりと出るあれである。
なぜそう思ったのか。
着せられたスーツにはいくつものチューブが繋がっていたからである。
幾本ものチューブは肩や腰、手首や足首から繋がり天井に伸びている。
目の前に、静かに見つめてくるズァがいた。
「ここはどこなの……」
「〈ゴルゴダ〉という、お前たち姫神の処理場だ」
「ッ!」
ミナミの背中に一筋の汗が伝う。
「渡来ミナミ。金姫よ。お前は脱落したのだ。この世界を創造する、姫神戦役からな」
ミナミの目が見開く。
「ゴーントよ。始めるのだ」
「な、なにを!」
ズァの命令でチューブから唸る音が聞こえてきた。
「お前の〈マナ〉をいただく。姫神の素質のある娘だ。無尽蔵に抽出できるであろう」
「なに……それ」
確かにチューブを通して何かが吸い取られていく感覚がある。
しかし血液検査で血を抜かれる以上には感じない。
今すぐどうにかなるというものでもなさそうだ。
「自覚はなかろう。だがお前たち姫神の持つマナは純度が高く、この世界の維持に必要不可欠なのだ」
「どういうこと……」
一呼吸、間を開けてからズァが答える。
「……この世界は〈消滅の危機〉に瀕している。いや、瀕していた、というべきか」
ズァの視線がさまよう。
その目は今を見ておらず、遠い過去を見ているようであった。
「消滅?」
「そこで我らは考えたのだ。〈マナ〉という超常の力を支えに、この世界を維持する方法を」
「われ、ら?」
「〈力〉と〈智慧〉、そして〈心〉だ」
「ッ!」
〈心〉……その言いように心当たりがあった。
一瞬、ミナミの脳裏に記憶がフラッシュバックする。
「私に、この力をくれた……」
「思い出したのか? そうだ。お前たち〈姫神〉を導いた者、そしてオレとは違う方法で救世を成そうとしているものだ」
ミナミの頭は混乱していた。
「理解できぬか? そうであろう。我らはすでに一万年以上の長きにわたり繰り返してきたのだ。小娘にわかろうはずがない」
わからなかった。
「だが、今日まで、この世界を守り続けたのはオレだ。〈心〉は姫神が可能性だという。だがオレはそうは思わん」
ズァがまっすぐミナミを見る。
その目は人を見る目ではなく、その目はまるで……。
「姫神はマナの塊だ。この世界の崩壊を食い止めるための、資源にすぎん。消耗品だ」
そう。ズアの目はミナミを資源、栄養素、あるいは家畜のエサ程度にしか見ていないのだ。
「〈心〉は……あの人は私に、世界を創造しろと言った」
「お前だけではない。過去、何百人もの姫神となった小娘たちに同じことを言ってきた。だが、この世界を救えるほどの創造力を発揮した者はいなかった」
「なん、びゃくにん……」
「そうだ。そしてそれと同じ数の姫神を、オレはこの世界を救うためのエサとしてきたのだ」
ミナミは息を飲み、言葉を出せずにいた。
「お前からもマナをいただく。できるだけ多くのマナを、できるだけ長い時間をかけてな。一年や二年ではすまんぞ。何十年もかけて、お前の寿命が尽きるまで、毎日毎日マナを抽出する。それがオレの役目。それが姫神らの役目だ」
何十年……毎日、毎日…………何もできず、ずっとこのままで。
「う、うあぁぁぁぁああぁぁぁ! 転身! 姫神ッ!」
ミナミが叫んだ。
絶叫だった。
ズァは太い腕を組み、その様を静かに眺める。
「無駄だ。ここにお前の神器はない。〈金色弓尾〉になれぬお前に、ここを脱出するすべはない」
「転身! 姫神ッ! てんシんッ! ひメがみィッ!」
ゴーントたちが騒ぐミナミのそばへと集まった。
泣き叫ぶミナミの口を枷で封じ、その口枷に空いた穴にもチューブを差し込む。
先端が喉の奥にまで突きこまれミナミは嗚咽した。
「安心しろ。お前たち姫神は貴重な資源だ。乱暴はせぬ。三十時間おきに休息も与えよう。ただし、残りの人生はここでマナを吸われ続けるのだ。それ以外の全てを許さぬ」
憐憫も、同情も、まして憤怒なども見せず、ズァは一瞥をくれると暗闇に消えていった。
ゴーントたちも姿を消し、その場には磔にされたままのミナミひとりだけが取り残された。
(このまま……一生……ここで、このまま……)
腕に力を込め、体を揺り動かす。
必死にもがくが拘束は緩む気配もない。
――しあわせって、なんだろう……
――思うにしあわせってさ、何を目指して生きるかってことじゃないのかな?
――ねえ、生きるって、なんなのかなあ、レッキス?
――なんかこう、生きる意味っていうか、しあわせの在りかたと言うか
――私の、しあわせは……
在りし日の自分の問いかけが聞こえてくる。
「わたしの……しあわせ……は……」
嗚咽交じりのか細い声だけが…………………。
2025年5月25日 挿絵を挿入しました。




