157 しあわせのかたち
夕方、ついに富士山女史の怒りが爆発した。
「ちょっと綾瀬川くんいい加減、仕事してください!」
数人が詰めるこの部署内で、若くてイケメンともてはやされる彼は、生来のチャラい性格そのままに女子社員にちょっかいを出し続けていた。
その女子社員もまんざらでもないのか、次第に二人の間に楽しげな雰囲気が加わりだしていた。
周りの社員は誰も咎めもせず、いや、それどころか気にも留めていない様子だった。
彼によって親友のミナミが傷ついた。
そう思っている富士山女史の怒りがついに吹き出したのだった。
「なんスか、富士山さん? なにキレてんすか?」
綾瀬川は心底不思議そうな顔をして逆に尋ねてきた。
「なにって……ここは職場ですよ。ナンパ行為などもってのほかでしょう! 仕事をしてください」
「ナンパって。オレ真剣に彼女のことちょっかい出してんスよ」
富士山女史は眉間にしわを寄せ、頭を抱え込んでしまう。
「それにオレ、今日の分の仕事はもうとっくに終わらせましたから。定時までもう少しじゃないスか。オレのしあわせの邪魔、しないでもらえまスか」
「し、しあわせ?」
「そっスよ。みんななんのために生きてると思ってんスか。しあわせになるためっしょ。そのためにオレは彼女を口説いてるんスよ」
「仕事中にすることじゃないでしょ」
「え? しあわせを得る為に仕方なく働いてるんじゃないんスか? それとも働くことが富士山さんのしあわせなんスか?」
「そ、そういう話じゃないでしょっ」
「そういう話っスよ。オレはやるべき仕事はすでに終わらせましたよ。だから空いた時間でしあわせを得る努力をしてんじゃないっスか」
「女の子を口説くことが?」
「そっス。それがオレのしあわせっス。つーか少子化のこの時代、オレなんてむしろ国から表彰レベルもんじゃないスかね 」
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「それ以上彼とは議論する気もなくなりました。すみません」
ガヤガヤと喧騒渦巻く居酒屋の席で、向かいに座るミナミに富士山女史は深々と頭を下げた。
「ふ、ふっちゃんが私に謝る話じゃなくない?」
「なんと言いますか、ミナミさんの屈辱を少しでも払って差し上げたかったのですが」
「別に私、綾瀬川さんのこと何とも思ってないよ」
「そうなのですか?」
「そうなのですよ」
そう言いながら二杯目のゆずサワ―に口をつける。
まだ二杯目なのだがミナミの顔はだいぶ赤い。
お酒好きのくせに極端に弱いのだ。
ほう、と一息つきながら、ミナミがトロンとした目のままそっとつぶやく。
「しあわせって、なんだろう……」
二杯目のジンジャーハイボールを飲み干しながら富士山女史が答える。
「私は仕事のない日にお菓子を食べながら好きなマンガ読んでるときがしあわせですね」
「休みを満喫するってこと? そのためには嫌でも普段出社しないといけないんだね」
「そうですね。 てことは、仕事なくなったらそんなにこれにしあわせを感じないのかもしれませんね」
「それって悲劇的」
二人してう~んと唸る。
「まあ、どっちにしても生産性のない趣味です。自覚はしてますが」
「生産性って。ならクリエイターや職人は四六時中しあわせなの?」
「産みの苦しみと言うものを聞いたことがあります」
「やっぱり苦しいのありきなんだ」
「ですが思い通りにできたとき、完成したとき、評価されたとき、その感動は計り知れないそうです。それを知る者のみが続けられる世界なのでしょう」
「だからまずは完成させてみろって言うのね」
「やはりしあわせを感じるには辛さを経ないといけないのかもしれません」
難しい顔をして、二人は目の前の焼き鳥を口に運ぶ。
「思うにしあわせってさ、何を目指して生きるかってことじゃないのかな?」
「すごいです、ミナミさん。なにやら壮大な話になってきましたね」
店員が餃子の載った皿を持ってきた。
わーいと小さな歓声を上げ、ミナミが餃子にパクつく。
「ミナミさんにとってのしあわせとは何なのですか?」
「え?」
そう聞かれた瞬間は、口の中の餃子にしあわせを噛みしめていた。
「私のしあわせは……」
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窓枠に肘をつき、夜空に輝く月を眺めながら、ミナミは隣のベッドの主に向かい呟いた。
「ねえ、生きるって、なんなのかなあ、レッキス?」
「はあ? そんなこと考えながら生きてん?」
「まあ……」
「ご飯を食べられることに決まってんやん」
「それだけ?」
拍子抜けといった表情のミナミにレッキスは真顔で答える。
「それだけで生きれるやん」
「そうだけど、そうじゃなくて! なんかこう、生きる意味っていうか、しあわせの在りかと言うか」
レッキスが首と長い耳を傾げる。
「よくわからないんよ。ミナミはなにがしあわせだと思ってるんよ?」
いつだかどこかで同じことを聞かれた記憶がある。
あの時は何と答えたか、思い出せない。
「しあわせとは愛じゃ」
いつの間に、開いた扉の外にクルペオが立っていた。
「いつからそこに!」
「気づかなんだとは、お前たち、修行が足りぬの」
「ぐぬぬ」
悔しそうなレッキスを尻目にミナミが問う。
「愛なの? クルペオのしあわせ」
「そうじゃ。恋しい人と抱き合いながら交わす口づけ。その瞬間が一番のしあわせ、安心を得られるときじゃ」
「ふーん」
レッキスは興味がなさそうだ。
「お前たちにはそのような経験はないのか?」
「ないんよ」
「わ、わたしも……」
「そうか。ま、いずれ私の言ったことをわかる時が来るだろうよ。さ、もう寝よ。明日から我らは冒険者じゃ。長い旅になるぞ」
そうだ。明日からミナミは冒険者として、この広い異世界を旅するのだ。
「レッキス。私、まだ自分のしあわせが何なのかわからないけどね」
「うん……」
「でも、明日からの冒険がちょ~~~~楽しみ! すっごいワクワクしちゃってる」
「……スヤ」
「レッキス?」
見ると、レッキスはすでに寝息を立て始めていた。
ミナミは再び夜空の月に視線を戻す。
「明日からの冒険、かぁ」
異世界での冒険者生活。
毎日の学業や仕事に疲れた現代人にとって、フィクションでしかありえない話。
それがミナミにとっての現実になった。
「今はその幸運にしあわせを感じているよ」
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おぞましい合成獣と化したズアの足元に、ボロボロな姿で倒れ伏すミナミの姿があった。
「金姫、お前の旅はここまでだ」
姫神金姫、〈金色弓尾〉こと渡来ミナミは、敗北した。




