139 みんな笑って
地に降り立った藍姫こと長浜サチは、差し詰めうら若き戦乙女といった出で立ちであった。
青い輝石の輝くサークレット、肩から胸、腰のラインを強調する青い鎧、深海の砂を思わせる真っ白い腰巻に、足首から太ももまでを幾本もの海蛇が、まとわりついたかのような青いベルト。
そして手には長大な青い薙刀。
女王ティターニア曰く。〈星の海〉を掲げし最強の姫神、〈九頭竜婦〉。
毅然と周囲を睨めつける。
そしてきっぱりと言い放つ。
「これ以上ユカを傷つけることは許さない。殺すよ」
その言葉は紛れもなくこの世界の言葉。流暢な〈東方語〉。
最初は気圧されていた群衆であった。
が、やがては小娘が粋がっているだけだと判断。
次第に場に嘲る調子が出始めた。
「く、くく。くくく。恐ろしいお姫さまだってンで期待してたが」
「うむ、所詮伝説であったな」
「なあ、おいお姫さま! この嬢ちゃんを傷つけたら、なんだって?」
カニ男がユカを抱える。その首筋にハサミを押し当てる。
「忠告したんだよ」
サチの囁きが聞こえた気はした。
だがカニ男にはその先の状況は永遠にわからなかった。
グレイブの穂先がカニ男の口から後頭部にかけて貫かれていた。
自慢の固い甲羅は何の役にも立たず、突き出た穂先からは赤い血が大量にしたたっていた。
誰も刺される瞬間を見えなかった。
カニ男だった死体とともにユカの体も地面に横たわる。
クモ男もコウモリ男も我知らずユカから離れ始めていた。
「やっぱいい。あんたたち、信用できないし」
パシュッ!
穂先がさらに伸びた。
剣状の刃がまっずぐ伸び、クモ男を刺し貫いた。
「ひいっ!」
コウモリ男が空中に飛び上がり逃走を図る。
サチはゆっくりと空を見上げると、右腕を伸ばした。
グニュン!
サチの肩から一本の太い触腕が生え、猛烈な勢いでコウモリ男に迫る。
その触腕の先がくぱぁと開く。
鋭利な歯列を持つ大口が現れる。
コウモリ男はその口が嗤っているように見えた。
バクン
頭から丸かじりだった。
「あ、しまった。せっかくだから吸血コウモのは血を吸ってみたかった。かじっちゃったよ」
今度こそ、広場は静まり返っていた。
ダイオウイカのような触腕を生やし、その先っぽが獲物を屠る。
あきらかに人間ではない。
異形の者共が、真なる異形の者を前に、畏怖を覚えた。
「あれ? どうしたの? 大好きな殺戮ショーでしょ? さっきまで見たいにバカ騒ぎしなよ」
誰も声を上げなかった。
サチはそれが気に入らない。
「足りないのね」
するとサチの左肩からもう一本触腕が生えてきて、群衆の最前列を一薙ぎした。
そこは先程、ユカをもみくちゃにした者共のいた場所。
バッキ、グッシャ、グチュグチュ
一瞬にして十人以上の群衆が喰われていた。
触腕に現れた巨大な口から大量の血と肉、骨と悲鳴がこぼれ出る。
「まだだよね? 足りないよね? もっと? もっと?」
にゅルにゅル、にゅルにゅルと。
サチの背中や肩からなんと無数の触手までが生えてくる。
それはイカのようであり、クラゲのようであり。
「ひっ」
「ひぃぃっ」
ついに群衆に恐怖が伝搬した。
皆その場から逃げようとする。
「さあ逝くよ! みんな笑って!」
「ひぃああああああああ」
「お待ちくだされ!」
サチの前に、妖精女王ティターニアが跪いていた。
興を削がれたサチの目に怒気がこもる。
「なに?」
「ご無礼をお許しくだされ。我らアーカム大魔境の戦闘怪人、十万を超える戦力、ただいまよりサチ様の忠実なる下僕でありまする」
「げぼ、く?」
「左様。あなた様は七人の姫神の中でも最強種、藍姫こと〈九頭竜婦〉。その力の示すは〈支配の道標〉」
「しは、い?」
「その力で、我らを世界の支配者に!」
そこまでだった。
操り人形の糸が切れるように、突如としてサチは力を失い膝からくずおれた。
そして意識を失う寸前、座り込んだユカとメグミが自分を見ていることに気づいた。
二人とも、怯えていた。
怖かったのだろう。
でももう大丈夫。
あたしが、守るから……




