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混沌の娘  作者: 霞初月
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 図書室へと戻る道すがら、ふとエルネスは気になった。

「この魔法は、魔族も対象に含まれているのか?」

 人間が魔法を使えるようになってから、魔族は人の多く集うところへはあまり姿を現さなくなった。ただ人間に擬態されると見抜くのが困難なため、これはあくまで、いかにも魔族な輩を街中で見かけなくなったという話だ。

 少しでも人気がなくなったなら、そこは魔族の活動域。そう考えて行動するのはこの世を生き抜くための鉄則である。

「そりゃあねこの世界が対象だから、もれなく」

「そうか……」

 自分達の生活を脅かす存在である魔族までもが魔法の対象の中。

 エルネスはこれまで見てきた動かない人間たちを思い浮かべ、ここにはいない魔族もまた、同じである事実に戦慄した。

 確かに魔法はたいまつや篝火より魔族に効果的だが、それでも魔族の全てを葬るには至っていない。

(人間も魔族もひっくるめて、世界を滅ぼす……)

 そんな魔法を完成させたロワン・ミヤにぞっとする。

 頭の中でなく現実で、世界を滅ぼしてやろうと考え達成させた人間がただの作家であるはずがない。が、エルネスはロワンが借りた本の作者だということくらいしか知らない。

 学生のエルネスは、必要に駆られるか気が向いたら本を読む程度だから、活字中毒からはほど遠い読書遍歴だ。

「ロワン・ミヤってどんなやつだ」

「どんなって、人間だよ?」

 しれっとした返答に、エルネスの顔が引きつる。

「……それはもう知ってる。そうじゃなくてだな、性別とか、どっちが姓なのかとか、そういう基本情報をく……ください」

 くれ、と言いかけて慌てて言い直す。が、サイラスは気にした風ではなく、それよりも、なぜかエルネスを意外なものを見るような目で見た。

「まさか、知らないで借りてたの?」

「え? え……? そんなに有名なやつなのか」

「んー……有名ではあるけど君からしたら古人だから知らなくても無理ないかなあ……いやでも、きみ魔法学校の学生だよねえ……うーん」

「……はっきり言ってくれないか」

「わかったよ。ちゃんと説明するから、怒らないで」

「いや、怒ってないですけど」

「ほんとに?」

 横から覗き込んでくるサイラスに、エルネスはまたも苛ついたが、黙ってその顔を手で押しのけた。

「ひどい」

 両手で頬を押さえるサイラスに怖気がはしる。女子ならともかく、こいつはサイラスだ。野郎だ。可哀想に思うポイントは一つもない。

「サイラスの顔でそういうのやめ、やめてください」

「はぁい。――あ、今更だけど、べつに言い直さなくてもいいからね」

「……感謝します」

 もっと早く言って欲しかった。エルネスは小さく嘆息した。

 サイラスはもったいぶって空咳をして、

「ロワン・ミヤはね、きみが生まれるずっと前に死んでいる。魔法史で習う、黎明期に生きた人さ」

 黎明期、とは今から遡って百年前後を指す。いつのかにか人間が魔法を使うようになった頃だ。ちなみに現在は発展期と呼ばれる。

「ロワンは――あ、これが姓ね。性別は男。彼は光子についての研究家で、作家でもあった。研究家っていうけど、これは自称で、独自研究をまとめた本も出してるけど……世間にあまり知れ渡ってないのは、きみが知らなかったことが何よりの証拠だよね。同時に彼は作家でもあるけど、名作より迷作の方が多くてほとんどが絶版になったり、出版以前の段階で断られたりしている。フィーディア旅行記は彼が出した中では取っつきやすくて生き残ってる作品だよ」

 説明を聞くなかで、エルネスは気付いた。サイラスは確かこう言った。

『まさか、知らないで借りてたの?』

 しかしサイラスの話を聞く限りでは、ロワンというのはどちらかというと「知る人ぞ知る」な部類の作家であるようにエルネスには思えた。

 ひょっとして、これは知らなかったとしても責められる筋はないのではなかろうか。

(なんだってそんな作家が世界滅ぼすとこに行き着いたんだ……?)

 声に出してもいないのに、答えはサイラスがくれた。

「それはね、燻っているからこその承認欲求さ。神と賭けをして、神の仲間入りを果たす。……たいした野望だよね」

 そう言って笑った顔は、エルネスが見たことがあるサイラスの顔だった。人をどこか見下したその顔つきは、エルネスが彼を嫌う理由でもある。

「だけど俺が発動させたわけだから、夢物語で終わらなかった」

「それは君次第だよ。君だけがこれを夢にできる」

 そう口にするサイラスは、そうなることがとうぜんであると知っている、自信に満ちた目をしている。

(自信、か。神さまなら、そうだよな)

 滅びるのか、滅びないのか。先のことも知っているだろう。

 つまりは茶番。

 エルネスがこれからやることは、最初から決まっていたことをなぞるだけ。掌の上もいいところだ。それでもエルネスはそれを拒否できない。

 相手が神だから? いいや、クレアドールに誓ったからだ。

 突然現れた神よりも、彼女の方がエルネスには至高の存在なのだ。



 クレアドールのどこに惹かれたか。

 そう訊かれたら、エルネスは少々迷うものの「見た目」と答える。誰に何と言われようが、一目惚れから始まっているからそう答えざるをえない。

 振り分けられた教室で。

 ガタイのいい男兄弟に囲まれ育ったエルネスは、野に咲く可憐の花のような小柄なクレアドールを目の当たりし、ひどく舞い上がった。

 ……この子、妖精か?

 触れる前に逃げられては困る。危害は加えませんよと前面に押し出して、まずは使えるクラスメイトになるところから慎重にはじめた。今では意見を立派に交換できる友人になったと思う。そんな見せかけの称号より、本当はちゃんと、恋人になりたいのだけれど、事を急いてはいけないと自省して臨んでいる。

 これまでのクレアドールとのやりとりを思い返しては、目の前の現実にエルネスは唸った。

 いま、エルネスは第一図書室の貸し出しカウンターの奥、司書の間にいた。

 すべての図書室の貸し出し帳はここに保管されている。

 貸し出し帳をもとに、エルネスはこれまで自分が借りた本を洗い出さなくてはならない。だがここでひとつ問題があった。

 貸し出し帳には書籍名の記入欄がないのだ。

 日付は先に書かれているから、借り主は自分の名前を明記するだけという、ここはそう言う仕組みだった。返却時に司書に声を掛ければ、名の横に判が押される。借り主を信用していますという主旨のもと、この仕組みを変えることなく続けている。

 エルネスは自分が本を借りた日を探ることは出来るが、何を借りたかは自分で思い出さなくてはならない。

 仮に思いだしたとしても、その全てが魔法の発動の条件に当てはまっているわけでもない。

 悩ませる頭の箸休めにクレアドールとの思い出に浸る。そうでもしないとやっていられない。

 ロワンが何を選んだのか、会ったこともない人間の思考を想像するのは途方もない作業だ。

 エルネスはじろりと、傍らで呑気に横たわっているサイラスを見た。

 手伝いは出来ず、答えられる範囲の質問しか受け付けない彼に出来ることは今はなく、「思い出したら起こして」とエルネスに言うなり目を閉じてしまった。

「……神さまならもっと働けよ」

 自分の造った世界じゃないのかよ、とぼやけば「できることはもうみんなやったもの」と返された。己の造った世界だからこそ、出来る限界があるのだと言われても、エルネスにはやはりどうも納得できないのだった。おそらくそれは、神とはいとも簡単に自分達人間を幸福あるいは不幸へとやってしまえる万能物だと思い描いているからで、それが今、好まざる知人サイラスの姿で寝っ転がっているのはどうにも腹立たしい。

 文句を言えるのは唯一このサイラスにだけだというのに。

「ああ、わからん……!」

 エルネスにあるのは先が見えないこと焦りと閉塞感だ。

 本当に自分が世界を救うことが出来るのだろうか。

「……はあ、」

 神が寝っ転がって、できることはみなやったというのだからもう、それをよい方向に捉えて自分を信じるしかない。




 時間の概念が狂った世界で、どれだけの時間が経ったのか。

 エルネスがああでもないと唸って頭を悩ませている間に、人形のようなクレアドールたちが一回まばたきをしている。が、司書の間から動かないエルネスはそんなことを知らない。ここにはエルネスとサイラスの二人だけだ。

 エルネスの足下にはカウンターから取ってきた紙とインク壺と羽根ペンが転がっている。インク壺は、焦ったエルネスの手が二度もぶつかって中身を半分以上床にぶちまけている。貴重な紙が何枚も紙くずに化けていた。

「これでどうだ……!」

 たった今書き殴った紙の上にエルネスは右手を叩きつけた。

 まず、図書室で借りたもの以外で他者からのものや、珍しく自分で購入したものなど思いつく限り題名を書きだしていった。それから魔術が発動するに至った本の題名を予想して、リストをつくっていく。

 しかし何度やっても正解のリストにはならない。

 サイラスからのヒントもない。

 判っているのはリストの最後が「フィーディア旅行記」ということ。

(俺なにやってるんだろう……)

 心が何度も折れそうになり、しまいには涙までにじんできた。

(クレア)

 会いたい、抱きしめたい、匂いをかぎたい。笑って、誉めて。

(きみと話したい)

 そのために頑張れと言われたら、そうする以外に何がある。

 ――これが最後でありますように。

 叩きつけた瞬間、久しぶりにサイラスが喋った。


「正解」


 サイラスの自体が光の塊になったかのように激しく発光した。

 そのあまりの眩さに、たまらず瞑った両目を腕で庇う。白い光がなにもかもをのみ込み、それはエルネスもまた、例外でなかった。





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