第3章 ウェルド ・ 第5話 二つのヤマト ①
剣は船の中央に仁王立ちし、漕手を眺め回して出立を告げた。
「奴津に船を回せぇ! 近いぞー!」
強い潮風に船首の榊の枝が揺れた。
行く手は大海原。遥か彼方まで濃い藍色の海が広がる。
いかつい『海の男達』が野太い声で叫び返す。
「おおおー!」
俺達は息を合わせて力一杯漕ぐ。
二艘の『滄溟の鳥』が無限に波を越えていく。
三野方で、俺は婚約者と会わず終い。
相手の顔を見ることも出来なかった。俺は船上で溜息をついた。
前列の奈目がこっちをちらちら見てくるので、俺もなんとなく先日の話の続きになった。
「奈目。俺の婚約者を見たことある? 三野はよく知ってるらしいんだけど」
奈目は前を向いて漕ぎながら、
「会えばよかったのに。会えば、どんな子かわかるのに…」
冷たく言った。
「多伎はどんな女が好きなんだよ?」
奈目は少年を装う口調で尋ねた。
俺は奈目がその婚約者本人だとは夢にも思わないで、うっかり本音を言ったぁ…。
「うーん…。剣の妹の宇加みたいな女の子かなぁ…。男ならきっと、守ってあげたくなる…」
最悪だ。奈目は嫉妬で櫂を握りつぶしそうになるほど腹を立て、肩が小刻みに震えた。
雲奴川の川辺で、俺や剣が宇加と別れるところを奈目も見ていた。
宇加は多伎より一つ年上、姉代わりみたいな存在だった。奈目から見ても宇加は美人だし、たおやかで艶やかで、少年みたいな奈目とはタイプが違っていた。
「海に沈んじまえ、タコ!」
奈目がいきなり俺をタコ呼ばわりした。タコはないだろ⁉
俺は別に深窓の令嬢とか美人とか言う理由で宇加を気に入ったんじゃない。俺の永遠のアイドル、桃井虹に瓜二つだから一目惚れしたんだ。
「誰がタコだよ!」
「うるせぇ! 馬鹿ぁ!」
馬鹿⁉ まさかの馬鹿呼ばわりされ、頭に来た。
そんなことを言い合っている間に、目的地が近付いてきた。
俺達は奴國の水門・奴津で上陸する。
奴國は国際貿易都市。奴川流域が奴國で、その周辺一帯の小国を含む連合。
奴國の首長は海神を祀る海人族。八雲の弥の一族と古くから親交がある。
三野方から奴國まで潮の流れを読み、海の神に祈りながら進む。沖を進んで岬を回り、その景色が突然開けてくる。
岬から志加の島まで砂嘴が伸びて波が打ち寄せる白浜が出来ているが、潮の高い時は志加の島の手前で砂州が途切れ、陸から切り離される。
俺達の『滄溟の鳥』はその志加の島を迂回して、島と島の間を漕ぎ進み、『奴の内海』に入る。
今日は晴天。外海と打って変わって、波がとても穏やかだ。
青い内海が陸地に食い込み、ここも丘陵が海辺まで迫る。数本の大河が海に注ぐ扇状地になっている。
広い湾の中に多数の良港が知られているが、これら全部が奴國管轄の水門じゃなく、他の国もある。俺達は奴國の最も代表的な水門・奴津に入る。
幅が広い奴川の河口に奴津があり、この川を少し遡れば王都がある。
護岸工事で整った大規模な船着き場で、船の展示場のように大小の船が停泊している。
これは圧巻だ。大型船の間で多くの小舟が荷を積み込み、ひっきりなしに湾を往来する。
奴國は筑紫最大の工業生産量を誇り、輸出も輸入も桁違いだ。
俺達の船は契約した所に繋留される。番人も居る。
思ったより都市計画されている。雨水を排水する側溝の付いた道路が一直線に続く。
俺達の危険な任務、その依頼人が奴國の統治者・嶋子。
俺は浦島太郎伝承を思い出す。浦島太郎の元ネタは『丹後國風土記』逸文で、亀を助けた男の名は浦嶼子と言う。元の話では太郎じゃなくてシマコだった。
奴國の海人の伝承でも、ミオヤがウミガメの背に乗って現れる(安曇磯良)。
俺達は賑わう市に寄った。ここで『滄溟の鳥』の船乗り達は一旦、自由行動になった。
嶋子の居館に向かうのは、俺と剣と久斯と三野の『カラス』メンバーと護衛達だけになる。
不良あがり船乗りの海狭児が志毘の隙を見て、奈目にまた絡んだ。
「奈目、どうせ暇だろ。俺と、大人の男が行く店に行こうぜ…」
奈目が女の子だと知っていて、わざと誘った。
当然、奈目は嫌がった。
「そんなとこ、誰が行くもんか。ボクは真具呂と買い物に行くんだから…」
奈目は真具呂の巨体の後ろに隠れた。奈目が三野方の姫だと、『滄溟の鳥』でもまだ数人しか知らない。
真具呂は剣と喋っていた。賑やかで騒々しい市だから、奈目と海狭児の会話が聞こえていない様子。
海狭児はしつこく、奈目に迫った。
「いいじゃん、奈目。俺が面白いことを色々教えてやる…」
奈目の腕を掴み、引っ張った。
俺は奈目をめぐる海狭児と志毘の三角関係(しかも男同士)と誤解していたから、頭の中が妄想で一杯になった。
俺は見かねて口を出した。
「海狭児! お前は振られたんだよ。諦めろ!」
奈目が俺を期待のこもった眸で見詰めた。
俺は奈目が女の子だと知らなくても、海狭児のことを迷惑がっているように感じたから、そう言った。
「何すか、多伎さまは奈目を好きなんすか。狙ってたんすか?」
敬語も知らない下町育ちのイカレ野郎風に海狭児が絡んできた。
奈目が頬を赤らめて俺を見ていることに気付き、
「ば、馬鹿言え。俺はお前と違って、男に興味ねぇよ」
思いきり手を振って、頭をブンブン振って全力で否定する。
奈目はがっかりする。
海狭児は不気味にニチャーと笑った。
生意気な海狭児に、
「多伎さま。どこに行くんすか? 奴の身と会うんすか?」
と聞かれ、俺はこいつがスパイと知らないから気軽に考えていた。
「竜宮城に行くんだよ。乙姫さまに会うのさ」
と、ふざけた。
「リューグージョー⁉」
海狭児と船の漕手達は意味わからず笑った。
奴の身の嶋子と会うことがどういうことなのか、俺はまだ認識不足だった。
奴津は今まで訪れたマチと桁違いだった。見渡す限り、建物がびっしりと陸地を埋め尽くす。人口が河口に集中して大変繁栄している。
八雲は集落の数こそ多いものの、ここまで人口が一極集中しているところはない。
奴津の市はとても混雑し、倭の各地の商人が居て、異国の言語も度々聞こえてきた。
俺は翼を生やしているが、他にも奇妙な人間が時折通る。俺だけが視線を浴びることはなかった。
フクロウ顔の老人や、虎顔の少年、狐みたいな尻尾が生えた男と擦れ違った。
俺と似たような黒い翼を生やした男と擦れ違った時は、思わず二度見した。
擦れ違った後も振り返り続け、なかなか視線が外せなかった。
黒い翼の男は烏のような黒い嘴も合わせ持ち、俺より酷い瘴気を全身から噴き出していた。あれはもう邪神の一歩手前じゃないだろうか。
俺が連れている淡由岐も、道の対向から来る人全員を威嚇して唸った。
「おい、見ろよ。狼の子供だ…」
「ウー…(こっち見んな…)」
まだ小さいけど、淡由岐が歯茎を剥いて唸る様子は悪魔顔。
人々が左右に割れた。混雑しているのに、俺の前に道が出来た。
両側に簡素な屋台や露天の店が並んでいて、
「お兄さん!」
俺は物売りの可愛い女の子から無花果の実をもらった。
受け取って目が合うと、女の子はニッコリ笑った。
「多伎って何故か、女に好かれるんだよな。ムカつく…」
三野が俺に嫉妬した。
俺は熟れた実を二つに裂き、早速味見した。
その間、剣は真具呂に次の仕入れを指示していた。
「例の品物を仕入れたら、俺達に届けてくれ。俺達を見つけられなかったり、俺達が戻るのが遅かったら……お前達は三野方に戻っていい」
内容が不吉だ。
「ご武運を祈りますよ。剣さま」
儲けの分け前をたっぷりもらった真具呂は、あっさり過ぎるぐらいあっさり、俺達と別れた。
頭一つ飛び抜けた大男の真具呂が、ほどなく雑踏に紛れていった。




