第5章 シルト ・ 第4話 見ず知らずの男 ⑤
話は一旦、三日前に戻る。良く晴れた朝のこと。
大型船がずらりと繋留された三野方の船着き場。人目を憚り、フード付きの防寒具を着込んだ男二人が入っていく。
薄着の海狭児が散歩を装い、口笛を吹きながら歩いていく。
海狭児は男達の隣を通り過ぎた。潮風に吹かれ、朝日に向かって大欠伸した。
「ふあぁぁーぁ…、いい天気だなぁ…。今日は雲一つねぇや…」
二人の男達のうちの一人が小声で話しかけた。
「どうだ、八雲の政略婚。何か掴めたか?」
すると、海狭児が真面目な表情に変わった。
「まだ、何も…」
「その件に関し、我等も手を打った…。案ずるな」
「どんな手を打った?」
尋ねる海狭児はダブルスパイ。二組の雇い主を持つ。
フードの男は一切説明しなかった。
「それより、知らせがある。火女さまがお怪我をなさって、危篤だ」
「火女さまが⁉」
火女とは、倭の國の女王・鬼御子のことだ。
俺達『カラス』が鬼御子のよみがえらせた鬼の集団を滅し、呪詛返しに成功した。
俺達を強く呪った分、その呪いが自らに撥ね返り、鬼御子が胸に大怪我をした。
この大ニュース、極秘中の極秘だった。
海狭児は神妙な顔つきになった。
「……倭の國はもう勢力争いで泥沼だね?」
「お前には関係ない。引き続き、八雲の動きをしっかり探れ」
フードの男達が言い捨て、海狭児を水門に残して去った。
その頃、剣達は浜で死体が見つかった三人の漕手の葬儀を行った。三野方の山手の共同墓地に葬った。
船出には最高の天気だったが、葬儀の為に出発が一日延びた。
その夜はしんみりした空気になり、剣達は酒も飲まず早々に宿舎へ戻った。
剣と三野と久斯は竪穴建物の寝床に寝転んだ。全員無言で、換気口から入る月明りの下、俺のことを思い出した。
前回、この宿舎に泊まった時は四人で枕を並べ、互いの結婚や恋愛の話なんかした。
あの夜は楽しかった。
今宵、俺だけが欠けていた。
俺を含め、『滄溟の鳥』漕手の行方不明者がまだ三人見つかっていなかったが、これ以上の捜索を諦め、明日出航が決まった。
三野が提案した。
「明日、沖で……残る三人の葬儀をやろう…」
剣も黙って頷いた。
久斯も賛成だった。
自分から言い出したくせに三野は未だ納得行かないらしく、
「多伎が戻らないなんて…有り得ないんだが……」
草を編んだ枕をボコッと殴った。
「三野…」
久斯が三野の話を終わらせた。
最早、俺の名前を出すことはタブーになっていた。奈目は熱を出して寝込んでしまった。
奈目はもう『滄溟の鳥』の旅に加わらない。力が抜けてしまっていた。
狼の仔の淡由岐は奈目に引き取られた。
剣の義兄弟『カラス』も翼を失ったように精彩を欠いた。
翌朝、剣達が船を出す寸前。舫いを解くその間際に、三野方の大身が側近を連れ、船着き場に駆けてきた。
側近が大慌てで声を張り上げた。
「お待ちをー! 剣さまぁ、お待ち下さいー!」
何か、緊急の用事か。
『滄溟の鳥』乗組員全員が注目する中、三野方の大身が息を切らし、
「剣、その出発、待ってくれ! 一日か二日、先に延ばしてもらえないか? たった今、奴の身の馳せ使いが着いた。奴の身が直々に…こちらに向かっているそうだ…!」
大声で呼びかけた。
「嶋子が⁉ どうして⁉」
剣もびっくりした。
奴國の統治者・嶋子は病でやつれた老人。それなのに無理して来るとは、余程の重要な話だろう。
船の行方不明者を捜索していた時、奴の内海の沿岸に水死者が流れ着いたら連絡してほしいと嶋子にも伝えた。
だから、嶋子は剣がまだ三野方に居ることを知っていた。
剣はふっと笑った。
「お待ちしております、と奴の使いにお伝え下さい」
こうして、出発がまた延びた。
翌日の夜。
奴の身・嶋子が輿に乗って到着し、三野方の御屋で会談が行われた。
奴國の嶋子、弥の御身の弟の剣、三野方の大身と、後から思えば分岐点になるような、地方勢力の命運を握る会談だった。
それぞれの護衛達も場外に控え、若い剣・三野が八雲を代表して語り合った。
嶋子は痩せ衰えて骨と皮だったが、気概だけは若者にも負けないほど熱く燃えていた。
「剣が奴津を出た後、八雲の大御身の…使いが来た。八雲の大御身の希望も聞いた上で…、遂に二組の政略婚が決まった。相手は剣の希望通り、火國連合の最大勢力。これで西のヤマトと東のヤマトの対立を避け、強い結びつきになる…」
「めでたい。まずはおめでとうございます。剣よ…」
三野方の大身が立ち上がって祝い、酒坏を掲げた。
それを遮るように嶋子が、
「いや、待ってくれ。…それが、鬼御子の勢力が口を挟んできた。どうやって嗅ぎつけたのか…、その二組のうちの一つは、鬼御子の養子の若火子を条件として出してきた。十年前、我が末娘と結婚して一子儲けたが、離縁した…その若火子が八雲の婿になる…」
意外な結婚相手の名を出してきた。
若火子は三十歳。その実父は伊都國に一大率として赴任した大将軍・爾岐。
独身で子供がない鬼御子は、親戚の子を養子にした。それが若火子。
嶋子が人柄をよく知る青年だ。
「若火子は才に長け、気立てもよく問題ない。鬼御子の懐刀である点を除けば…」
「…そう来たか、鬼御子め…」
剣は面白がった。
三野は沈黙した。この結婚、面倒なことになりそうだ。
対策を協議して会談は深夜まで及び、翌日の午後に続きが持ち越された。
初日の会談が終わる頃、三野方の大身はある縁談を思い出し、とても残念がった。
俺と奈目の結婚だった。
「残念でならない。今思えば、剣達が立ち寄った前回に、無理にでも我が娘と多伎を結婚させておけば良かった。そうすれば多伎も、新妻を残して自ら人柱になり嵐を鎮めるようなことはしなかったはず…」
三野方の大身が悔いた。
三野方と弥の同盟婚が宙ぶらりんになってしまっていた。
二日に渡る会談が終わり、嶋子は急ぎの剣の足を止めてしまったことを詫びた。
「…悪かったな、剣。私はどうしても、この機会に君ともう一度話したかった…。剣、兄君のことが心配だろう」
嶋子も家族を何度も失ってきた。剣の気持ちを汲み取った。
剣は静かに微笑みながら、酒を口に運んだ。
「…いや、嶋子。私はあなたに感謝している…。仲間の葬儀で出発が一日延び…、会談の為に二日延び…。そうやって口実を得て、船出の日にちが遅れる度に、私は帰らぬ多伎や仲間を待ち続け…、やっと心の整理がついたんです…」
日頃冷静な剣も今回はとても堪えていた。
「私にとって多伎は、弟も同然だった…」
剣が呟き、三野、三野方の大身も俯いた。
「嶋子。昨日、私と三野達は……遺体が見つからなくても、仲間と多伎の葬儀を行った。遥かなる麗しき常世へ、彼等の魂を送ってきた」
剣は葬儀のことを思い出した。
剣達はわざわざ、船を出した。
常世の國は海の果てにあると言う。
舳先に常緑の榊の葉を立てて神祭りした『滄溟の鳥』で、よく晴れた紺碧の空の下、沖合に出た。
死者のことを思って酒を海に流し、船漕ぎ歌の七番を全員で歌った。
七番は死んだ仲間を送る歌だった。
「多伎よォ。常世はどんなところだ? 酒は美味いか?」
いつも喧嘩をふっかけていた志毘が寂しそうだった。
「美味いに決まっている。肴も美味い…」
小波に揺られ、三野が志毘に受け答えて、久斯が続けて、
「私達もそのうちに行く。あっと言う間だ、多伎…。そっちで一緒に飲もう…」
その久斯が途中で泣き出して、顔を両手で覆った。
三野も派手に泣き出し、皆が泣いた。
剣は人前で決して涙を見せなかった。
「さらば、多伎…。俺の船の仲間達…」
剣が立ち上がり、黄色い石蕗の花束を海へ投げた。
海岸近くの崖に自生する素朴な花・石蕗(つわぶき)の晩秋を彩る鮮やかな黄色が、船を出す前、剣の目を引いた。寒さに耐えて咲く姿が健気で美しかった。
剣が投げた石蕗の花束は暫く波間に浮いていたが、そのうちにどこか見えなくなった。
剣はその時の波間の黄色い花を思い出し、酒坏を床に置いた。
その酒坏から目を放せない。
明朝、遂に剣達は三野方を離れ、一路、多可國を目指すことになる。
剣が明日の出航について考えていた、その時、ワァワァと奥の建物群の方向から女達の騒ぐ声が聞こえてきた。
「何の騒ぎだ?」
三野方の大身が御屋の扉を開け、側近に尋ねた。
俺は勢いよく水面から顔を出した。
やっと空気を肺一杯に吸い込んで、落ち着いたところで辺りを見回す。
「何だよ、三可見。ここは三野方の水門じゃねーだろ!」
俺は『よみがえりの道』の滝に突き落とされ、激流を流された。
てっきり河口に出るのかと思ったら、全く違う場所に浮上した。
たぶん、井戸の中だ。俺は浅い水場に座り込み、井戸の屋根を見上げている。
倭の井戸はそんなに深くないから、登るのは楽勝だ。倭では径1メートルほどの大木を刳り貫いて井戸材にして、地下水を汲む。
何だか、俺は力が漲っている。マナイの水を飲んだから回復が半端ない。
俺は翼長を少しコンパクトに調整し、深さ2メートルほどの井戸から飛び出した。
井戸の上端に足を掛けた瞬間、大勢の若い娘達の悲鳴が起こった。
「きゃああああああ‼」
「いやああああああ‼」
「キャーッ‼ キャーッ‼」
十人くらいの裸の娘達の悲鳴。
そこは沐浴場だった。
海の神に仕える娘達が身を浄める、禊の為の導水施設。沐浴場は塀で囲われている。
「女湯ぅ⁉」
俺は鼻血を噴きそうになって鼻を押さえ、慌てふためいた。
女達は俺が隠れて覗き見していたと思って、大騒ぎした。
「ちっがーうー‼」
俺は大慌てでそこから逃げ出した。
こんな場所に俺を放り出しやがって、思わず三可見を恨んだ。
俺は桃園の仙人みたいな、ゆったりした最上級の絹の着物姿のままだ。
場違いな格好で全力疾走して建物の間を適当に曲がり、木製デッキに飛び乗った。
そこに奥津や蓼、久斯らが居て、
「ヒイッ‼」
と、悲鳴を上げた。
俺の予想(抱き合って再会を喜ぶ)と真逆の反応だった。
まるで怨霊を見るような目つき。
その大型建物・御屋の扉が開き、中から三野方の大身と三野が出てきた。
「多伎! お前…、鬼か⁉ 鬼になって戻ってきたのか!」
三野が大声で叫んだ。
「は? なんで、鬼?」
剣と奴の身・嶋子が建物内部に居た。
あれ、なんでここに嶋子が…、と思った。
剣が立ち上がり、目を大きく見開いて無表情で固まった。
俺は剣と目が合って、
「剣! 死後の世界から戻って来たんだけど、道を間違えて沐浴場に出ちゃって。説明してくれよ! 俺は覗いたりするような変質者じゃねーってば!」
早口に喋った。
その時には俺の周囲で若い護衛達が大騒ぎしており、
「多伎さまが化けて出た! 怨霊になった!」
何と、全員で剣を抜いて構えた。冗談じゃねぇ!
剣は俺を見詰め、瞬きもせず、まっすぐ歩み寄ってきた。
表情は変わらないが、限界まで見開いた目が潤んでいって涙が盛り上がった。
人前で涙を見せないはずの剣の目から涙がパラパラッと散った。




