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  作者: あや/小町
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呼び出されたのは夜の図書室。

晶は寝巻きの上に薄手のカーディガンを羽織って出かけた。

鍵は開けておくとの園子の言葉どおり、図書室の扉はすんなり開いた。


「中から鍵かけて来て下さる?」


園子の声が向こうの方で聞こえる。

言われたとおりにして、晶は真っ暗な図書室の中を電気はつけないままで、声が聞こえたのを頼りに進んでいく。


声は窓際のほうから聞こえた。

書架をひとつひとつ手で触りながら、晶は声のした方へと歩く。

「一体いくつ、校内のスペアキー持ってるの?」

「高等部だけだと、30ちょっとかしら」

窓際の、やけに低い位置から声が聞こえたので晶は首をかしげた。

「そんなにたくさん鍵を持ってて、どこへ行くにも自由自在で、なのにどうしてやめたいのさ」

「ひとことで言うと、わたくしが旧家の一人娘だからでしょうか。そういう家はいろいろあるものなのです」

晶は一番奥の窓際で園子を見つけた。

園子は寝巻きに肩掛けを羽織った姿で、固い絨毯の上に直接体育座りしている。

晶は彼女のすぐ前から暗がりの中の園子を見下ろした。

「それって、ここにいては解決できないこと?」

「できないこともございませんけど。正直に言って今はわたくし、そこまでの情熱がございません」

「でも以前はあったんでしょう?」

言いながら晶は園子の隣に腰をおろした。壁に背中をつけて前に両足を伸ばす。

「ずっとそうしてきたんでしょう? あたしはただの風来坊だけどさ、妃穂がたまに親戚からメールもらってはぴりぴりしてる。そういうの見ると大変なんだなと思うよ。桐生さんも今までずっとそうやってきたんでしょう? それをなんで今になって?」


薄暗い中、園子は少し笑ったようだった。

右手を動かして体の影になっていた瓶を持ち上げる。

「話は、飲みながらしましょう」


「やっぱ酒かーっ」

あちゃー、と呆れ気味の吐息をもらした晶であったが、すぐに立ち直って瞳をきらめかせた。

「あたし強いよ?」

「それはよかったこと」

園子は淡々と言って瓶を二人のちょうど真ん中に置いた。

「お誘いして正解でした。手伝ってくださるわね、これを飲みきるの」

「なに?」

晶が首を伸ばして瓶に顔を近づける。そしてゴードンジンの瓶をぎょっとしたようにわしづかみにして顔の高さまで持ち上げた。

瓶の中身は残り三分の一ほど。

「残しておきたくないし、捨てるのもいや。全部飲んできれいにしてからここを出て行こうと思って」

「悪いこた言わん、やめとき」

「まだありましてよ」

言って体の影からもう一本出してくる。なんだそっちのは、と晶は目を細めてそっちのラベルを見る。アクアヴィッツ。晶は無言でそれも取り上げた。

「体壊すって!」

薄暗い中で発光するように色白な園子の顔には、酔いの色はない。だがもう既に飲んでいるのだろうと晶は思った。

「あたしはもっとこう、ワインとかかなと……蒸留系出してきますか……」

「一番の得意分野は日本酒ですが、蒸留酒の方が匂いが残らないので」

「そういう理由で酒を選ばない」

いいの、と言って園子は晶のあぐらの上に大胆に覆いかぶさってジンの瓶を取り返した。

そして晶が驚いたことに、瓶の底に左手を添えてお茶でも飲むかのように中身を口にした。

「うはー、まじ?」

言いながら晶も、園子にならって瓶から直接アクアヴィッツをあおる。

「寮よりも校内のほうが見つかりづらいの、ご存知?」

「そうかなあ。あたし前に資料室で紀佐先生に見つかったけどなあ。そしてそういう問題じゃないような気も……って言ってるはしからなにその飲み方あっ」

こっこっこっこ。喉が鳴る音も勇ましく、園子は残っていたのを一息に飲み干して、ふっと吐息をもらしてから言った。

「だって量を減らすことがまずは目的ですもの。あなた、無理なら真似しなくてもよろしいのよ」

「無理じゃないけどさあ」

晶は言って、アクアヴィッツの瓶を持ち上げると軽く揺らした。

こちらは瓶の底に4センチばかり残っているのを、弾みをつけて飲み干す。そして絨毯の上にからの瓶を置いてから続けた。

「やなんだよなあこういう、酒と喧嘩するみたいにして飲むの」

「では、次を」

「ええっ?!」

まだあるのか、と晶が驚いて見つめるなか、園子は立っていって書架の本を次から次へと抜き出した。一体なにをするのかと晶が見ていると、園子は本の背後詰めてある上げ底用の箱の中から酒瓶を取り出して持ってきたので、晶は両手に顔を埋めた。

「そんなところに……」

しかも新たに出してきた柚子焼酎は真新しくて、封も切られていなかったので、晶はげんなりと首を前へ落とした。

「あのさあ、まず隠れて飲むのよそうよ。ちゃんとグラスで、氷を入れて水も入れて。できたらなにかつまみながら」

晶が言うと、園子は『なにを言っているのだ』という顔をした。

「そんな悠長なことをしていたら、いざという時逃げられません」

「だから隠れて飲むのをよせって!」

晶は園子の手から柚子焼酎を取り上げ、手首を軽くねじって封をあけると、一口ずつだからねと念を押してから間に置いた。


「わたくし、初等部からずっと聖葉ですが」


ふと園子が話し出したので晶は彼女のほうを向いた。

切れ長の目を縁取るまつげが、園子がまばたきするたび頬に影を落としている。


「実は、入学前から噂で聞いて知ってはいたのです。高橋さんのこと」

「え、妃穂?」


意外な名前が出てきたので晶は聞き返した。

「そうです。同い年だということも、あの人のご実家の話もあらかじめ知っていました」

早く飲め、というように園子が晶の体を肘でつつく。

晶が黙って一口飲むと、待ちかねていたように園子が瓶を奪っていった。

見た目と裏腹に男らしい飲みっぷりに、晶は半分呆れて半分は本気で感心する。

まだ充分しっかりした口調で園子は続けた。

「尾崎さんには実感のわかない話かもしれませんけど、旧家でかつ資産家の家に一人娘として生まれるというのは、なかなか大変なものなのです。兄弟でもいれば別ですが、わたくしも高橋さんも一人っ子という点では一緒ですし。……そもそも似てるんですよ。桐生醸造っておわかり?」

いったんは首を傾げた晶だったが、日本酒の銘柄をいくつかあげられると、ああそれなら知ってると膝を叩いた。

「それひょっとして、桐生さんちで作ってるの?」

「その通りよ。わたくしの実家は桐生醸造。わたくしは、桐生醸造のあととり娘なの」

「てことは、この酒」

「そうです。実家に言えばどんな銘柄でも送ってくれます。自社製品もそうでないのも。勉強のうちだと言って」

「それでか……どうやって手に入れたんだろうって思ってたんだよ、さっきから」

「古い家で、昔から親族中心に家業を回していましたのでね。今でもやはり、外部の人間が口を挟むの……特に経営についてはとても嫌がるの。今うちで働いてくれている方も有能な人なのですけど……でもやはり、その方が中心になって何か新しいことを始めようとすると親族たちに潰されてしまうようで。わたくしが帰れば、また風当たりも違ってくるというのはよくわかっているのですけど」

自嘲気味に言って、園子は膝を抱えなおした。

ずり落ちそうな肩掛けにくるまりながら続ける。

「また両親が二人とも、あまり当主としては適性のない人たちで。家の事は今、おじいさまが見ておいでなのだけど、何分ご高齢だから……」

「帰って来いって?」

「もう3年前から、折にふれて言われています。帰って来て、地元の女子校に通えって」


妃穂のことを知った時、園子はとても嬉しかった。

自分と同じ思いをしている人がもう一人いる。

きっと仲良くなれる、互いにわかりあって、助けあって、この難しい人生を歩んでいく同志になれる。

そう思っていたという内容のことを、園子は口ごもりながら、ためらいながら、ときに言い訳をまじえながら時間をかけて話した。


だけど高橋妃穂という人は、自分が思っていたような人ではなかったと園子は言う。

「単にお嬢様育ちの馬鹿な女の子なら、それはそれでよろしい」

いくぶん舌が滑らかになったのは、柚子焼酎の瓶が半分ほどからになった頃だった。

「それならかえって諦めもつくし、利用のしがいもあるというもの。だけどあの人の腹立たしいところは、決して頭が悪いわけではないんです!」

じっと聞き入っていたら、また肘でつつかれた。

早く飲んでこちらに回せということだ。

「あの人はね、やる気がないんです。それに中途半端!」

酔いではなく憤りで、園子の目の下が赤くなる。

「いいですか、尾崎さん」

「はい」

「わたくしたちは、生まれてたかだか10数年。未熟なら未熟で結構です。あがくならあがいても結構です。だけど」


聖葉の図書室は一階の北側にある。

晶たちがもたれている窓際の壁、その窓のすぐ向こうには芝生を挟んで深い森がある。

その森の枝々を通して白い月の光が差し込み、並んで座っている二人の手元を照らしていた。


園子は体育座りの膝の上に置いた指を祈りの形に組んで、爪の色が白く変わるくらい力を入れて言う。

「わたくしが思うのはね。未熟なら全力で未熟であれということなの。あがくなら全力であがけということなの。そうすることでしか道は開かれないのだし」

晶は首だけ動かしてうなずいた。

「出し惜しみしていると、出し惜しみしたなりの成長具合になるものよ。それを積み重ねていくと、結局中途半端な人間が出来上がるのだわ、あの人みたいな!」

「うー……ん」

晶が低く曖昧にうなっていると、園子がじろりと視線をくれてよこした。

「無理にあいづちうたなくてよろしい」

「はい」


「もっと怖いのはね。……尾崎さん、あなたならおわかりでしょ」

「えっ、なんだろう」

「それを続けていると、出し惜しみ癖がつくということなの」


「あーあーあーあー」

大きく何度も首を縦に振りながら言った晶に、園子が畳み掛けた。

「ね、わかるでしょう」

「うん、わかる。それはわかるなー」

ずっと怒らずにいると怒り方を忘れるように、長いこと使わずにいると筋肉も衰えるように、発揮されないままの能力もやはり衰える。

そしていつしか、本当に必要なときに底力を発揮しようと思ってもできなくなっていることに気づく。園子が言っているのはそういうことで、晶もその重要性や怖さを知っていた。


常に全力でことに当たること。自分の力を出し尽くすこと。出し惜しみしないこと。

そうすることでしか、本気の願いは叶わない。

それを、この二人はよく知っていた。

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