第十九話 『ツインテール』
イマジナリア軍が撤収を始めた頃、ようやく俺の身体も言うことを聞くようになり、城壁に寄りかかりながら立ち上がった。
撤収を眺めていると、将校とおぼしきトラの妖精が近づいてきて、俺に敬礼をした。
「貴公の活躍によりヴォイダート軍を後退に追いこむことができた。礼を言う。失礼だが、所属と名をお聞かせ願いたい」
「えーっと……デジールから『魂の発動者』の能力を授かった、古屋守だ。一足先に助太刀に来た」
「何と、デジールの⁉」
トラ妖精は牙をむき出しにして笑った。
「おお、こんなに早く援軍が来るとはありがたい。さあ、城内へ参られよ!」
身長二メートルはあるかと思われるトラ妖精に肩を組まれて、俺はイマジナリアの門をくぐった。ちょっとどころではなく怖い。
城へ向かう石畳をビクビクと歩いていると、城内から見知った人影が現れた。知らない女性が二人、そしてあと二人はひかると詩乃さんだ。妖精も三匹控えている。
「守!」
ひかるが俺の姿を見つけるなり両腕を広げて走ってくる。
おおっと、初体験だ。
こういう時よくあるのは、受け止めてからがっちりハグ、もしくは一回転だな。
どっちにする? 二秒で考えろ、俺!
だが、その心配は徒労に終わった。抱きつき態勢に入りかけたひかるは五メートルくらいの所で停止し、気まずそうに両腕を下ろすと、改めて右手を挙げた。
「……よっ」
「お……おう」
うわー、ひどく拍子抜けだ。俺の心配を返せ。
後ろから、詩乃さんが早足で出迎えてくれた。相変わらず無表情で、どうも気持ちが測りかねる。
「きっと助けに来てくれると思ってた」
「詩乃さんだけを危険な目に遭わせるわけにはいかないからね」
「……だありん」
「何よぉ」
しおらしい詩乃さんを見て、ひかるが唇を尖らせる。
「私だって、どうせ守がノコノコ付いてくるんじゃないかってことぐらい、考えてたわよ」
「そりゃどうも」
「ちょっと! 私があんたのことを考えてたんだから、ちょっとは喜びなさいよ!」
「だから、そりゃどうも」
「ムキーッ!」
ひかるが地団駄を踏んでいると、後ろにいた二人と三匹が追いついてきた。
動物はターヤとアネット、そして見知らぬウサギ。人間は、エレガントなドレスを着こなした金髪翠瞳の女性と、女子大生風のフェミニンな服装に身を包んだ大人の女性だ。
アネットが進み出て、ドレスの女性の前に跪きながら振り向く。
「こちらは、イマジナリアの女王、フォンテフィーリア様です」
紹介されたイマジナリアの女王が、上品に会釈する。
「イマジナリアの地位は人間には関係ありません。仲良くしましょうね」
「はい、よろしくお願いします」
「それと、『境界の門』の無断使用については、今日の働きに免じて不問としますね」
「はは……どうも」
女王様は口調も清楚だ。波打つ黄金のロングヘアーが高貴さを演出している。爪の垢なんてなさそうだけど、煎じてひかるに飲ませたい。
ひかるに一瞥をくれると、彼女は感づいて睨みつけてきた。
「今、何か余計なこと考えたでしょ」
「い……いや、別に」
言い合いを始めるとでも思ったのか、ターヤが俺とひかるとの間に割って入る。
「まあまあ。もう一人、紹介したい人がいるんだ」
ターヤがもう一人の女性を指し示す。
「前にも話したよね。こちらは、ピュリウェザー」
「お久しぶり、かな?」
巫装を解いているピュリウェザーは、柔らかく微笑みながら一言、挨拶した。
「あ……あの時は、ありがとうございました」
俺が幼稚園の時に彼女が中学生だったとすると、今は二十歳過ぎってことか。
この年代の女性と面と向かって話すことなんて、滅多になかった。店員のマニュアル挨拶に返事をするくらいだ。
しかも彼女は、ひかるや詩乃さんにはないもの――大人の魅力を醸し出していた。
十年前も綺麗だと思ったが、この人は綺麗なまま大きくなったんだ。違いと言えば、十年前に会った時は銀色のポニーテールだったけど、今は軽くウエーブのかかった茶髪を下ろしていることか。
心臓の鼓動が早くなり、俺の声は変に上擦ったものになっていた気がする。
「ピュリウェザーには、ここ一月くらい城に常駐して、防衛を担当してもらっているの」
「いいのいいの、どうせ大学院は休みだし。ここにいると食費もかからないからこっちも助かるのよ」
アネットの紹介に、ピュリウェザーはぱたぱたと手を振って答えた。
「さっさと戦争を終わらせて、イマジナリアでバカンスを過ごすの!」
ピュリウェザーはイマジナリアでの滞在を楽しんでいるようだ。戦時中だってのに、この人は器がでかいというか、肝が据わっているというか。
一通り再会を喜び終わると、あとは全軍が警戒態勢のまま待機することとなった。
「デジールの英雄殿、今は戦時中なので大したおもてなしはできませんが、せめて休息できる個室を用意させましょう。それと、ささやかですが晩餐会を催したいと思います」
「ありがとうございます」
女王様は軽く微笑む。昨日は車中泊で疲れもあるし、彼女の親切をありがたく受けることにした。
ヴォイダート軍は目測で三キロメートルほども後退し、今日は動く気配を見せなかった。見張りの妖精の話だと、ダリーやウノシーを生み出すのに、ある程度の黒ウィルと時間が必要らしい。敵にとっても軍の立て直しの時間が欲しかったということだ。
そのまま戦闘は行われずに日が暮れ、晩餐会が行われた。
ささやかとは名ばかり。初めて見るような料理が所狭しと並ぶ豪華な食卓に、俺はただ圧倒された。
ホールには女王様を中心に文武の高官がずらりと並んでいる。午前中に会ったトラ妖精も並んでいた。人間と同じサイズである女王様と並んでも、頭二つ分でかい。兵たちはここにはいないが、女王様の話だとそれなりのごちそうが振る舞われ、交替で食事をすることになっているらしい。
「戦の終結と、平和をお祈りして、皆でいただきましょう」
女王様の宣言と共に、会食が始まった。
高官たちは様々な相手の所へ、グラスを持って話しに行っている。ひかるも詩乃さんも、妖精たちの輪の中にいた。そして、俺の所にも何匹かの妖精が話しに来た。
「英雄殿。今日の闘いぶり、感服いたした!」
「ありがとうございます」
「英雄殿。今朝の闘いで見せた力は、一体どんなもので?」
「いや、よくわからないんですが……デジールの力で『魂の発動者』とかいうらしいです」
「英雄殿!」
「英雄殿!」
疲れる……
社会人がやってる飲み会って、こんな感じか? こりゃ、仕事の延長って言ってもいいかも知れないな。こんなことをしてまで人脈を作っている父さんをちょっと尊敬してしまう。
豪華料理も楽しめず、高官たちのトーク攻めにもすっかり参ってしまい、女王様に申しわけない気もしたが会場を抜け出させてもらうことにした。
話の切れ目を選んで人の輪から退出すると、両開きの大きな扉を開けてバルコニーへと出てみた。
他に人影がないことを確認すると、ほっと一息つく。
広いバルコニーだ。バスケの試合ができそうな面積がある。
俺は両腕を伸ばして背伸びをすると、バルコニーの縁まで行ってみた。
夜闇の向こうでごく小さく、火を燃やしているような光がちらついている。それだけが敵軍の存在をアピールしていた。
吹き抜ける風は涼しく、人間界よりも早く秋が近づいてきていることを教えてくれる。
戦時中とは思えない、静かな夜だった。
背後で扉の開く音がする。
ひかるだった。
両手にグラスを持っている。
「水、持ってきてあげたわ」
「うん」
グラスを受け取ると、ひかるは俺の隣に並んだ。
背後に聞こえる小さな喧噪をよそに、俺たちは石造りの柵に身体を預け、黙って立っていた。ツインテールが夜風に揺れる。
俺たちってこういう時、どんな話をしていたっけ……
いつもと違って、凪いだ海のような穏やかさを醸し出すひかるに、心臓がいつになくドキドキと跳ねてしまって言葉が出ない。うまい会話をしようとか考えているから、かえって話せないのかな。
「ねえ……」
あれこれ考えこんでると、ひかるの方から声をかけてきた。何で黙っていたのかと思えば、じっと空を見ていたようだ。
「ん?」
何だか安心して、普段のような何気ない返事を返すことができた。
横を見ると、ひかるはこちらには目もくれず、その視線は夜空を向いていた。
「空、見て」
「空……?」
見上げれば、空には満天の星が輝いていた。繁華街や街路灯のない妖精界は、見える星の数も圧倒的だ。
「すごい星の数……知ってる星座が一つもないの」
「空まで……異世界か」
二人で、ただ空を見上げる。
「想いの力が生み出した星空、かな」
「たくさんの妖精たちや人間たちの想いの力で、このすごい星空ができあがったのか……」
確かに、馴染んだ星の配列は一つもない。夏に環境が良ければ見えるはずの天の川さえ、ここには存在していなかった。
でも、どこか懐かしさを感じる夜空だ。
それは多分、理科を学ぶ前の幼児が描くような夜空の――空を埋め尽くすほどの星々がきらめく天空のデジャヴュ。
「ねえ……」
夢を見ているような声で、ひかるがまた呼ぶ。
「何?」
「私たち、よくこうやって星を探したよね」
「そうだね。駅前が明るくて、見つけるのが大変で……」
「また……人間界の星を見られるのかな……」
「え?」
俺は思わずひかるの横顔を凝視した。
「それ、どういう……」
「私たち、ヴォイダートと戦争をしている……戦争をしている以上、負けちゃう可能性だってあるってことよね。そしたら、二度と人間界に帰れないんじゃないかって……」
「そんな……」
「捕虜とかになったら、歴史の先生が話してたような目にあうのかな」
「うん……ゲームとは違うよな」
歴史の先生の話――この前予備校で聞いた、捕虜に拷問を加える話のことだ。
そう。これは現実に起こっている出来事だ。アニメでもゲームでもない。つまりハッピーエンドが約束されているわけでも、リセットが効くわけでもない。いくら祓魔姫の力が圧倒的でも、どの程度圧倒できるのか。それは、戦場に立ってみなければわからないことだ。ひかるも、詩乃さんも、そして俺も、戦場に出る以上はどうなるかわからないのだ。
「白馬の王子様とか……来ないよねー」
「まあ、普通は機関銃持って防毒マスクしたマッチョの兵隊が助けに来るねー」
「妖精界って言っても、戦争はきれいごとじゃないんだね」
「俺、もっとファンシーな物を想像してたよ」
「私もよ。妖精も、生きていくの大変なんだね……」
また沈黙が訪れ、ひかるを見ていた俺の視線も彷徨った挙げ句、空へと戻っていった。
ひかるが負けて、人間界に帰れない?
考えたくもない。
いや、それを阻止するために、俺は密航までして妖精界にやってきて『魂の発動者』になったのだ。何で俺がここにいるか、ちゃんとひかるに伝えないと。
「なあ」
「ん?」
ひかるはまた、夢の中に戻ってしまったような口調で返事をした。
「もしひかるが捕まったら、俺が助けに行ってもいいかな……王子でもマッチョでもないけど」
顔が紅潮するのを感じる。でもこんな夜闇の中だからひかるにバレることはないだろう。ひかるは俺の精一杯の言葉を、星から視線も移さずに聞いていた。
「それ、幼稚園の頃ずっと言ってたよね。『俺がひかるを助ける!』って。実際は私が守を助けてばっかりだったのにね」
「何だよー。俺は本気で……」
俺の反論は完結せずに途切れた。幼稚園の頃、空回りばかりしていた俺のことを笑うでもなく、心から懐かしんでいる様子のひかる。過去に飛んだ彼女の気持ちを、無粋な弁解で連れ戻すことはできなかった。
「そろそろホールに戻ろう。女王様も詩乃ちゃんも心配しているかも知れないから」
ひかるは、思い出を天鵞絨の布で包んで宝箱にしまい終わったような表情をすると、宴会場に入る扉に向かって歩き出した。
仕方なく、俺も後に続く。
扉の前まで来ると、ひかるは急に振り返って俺の顔をじっと見た。反応が遅れた俺は、ひかるから一メートル以内の至近距離でようやく止まった。
青白い星の光を反射する瞳と、ガラス戸から差す燭台に照らされて逆光になった影。ブルーとオレンジのコントラストに彩られたひかるの姿はやけに綺麗で、まるで天使のようだった。
「ありがとう」
囁いたひかるの微笑みが、とても清らかに見える。
「……待ってるよ。守がすぐに見つけられるように、二つに結んだこの髪型で」
えっ、と聞き返す間もなく、ひかるは踵を返した。
「幼稚園の時から、ずっと……この髪型で待ってるよ」
ひかるはドアノブに手をかけ、振り向きもせずに言い残すと、宴席に溶けこんでいく。光源を遮られた燭台の輝きが、ほんの一瞬だけ、ひかるの肩に天使の翼を形作った。
俺はひかるを追うのも忘れ、立ち尽くしていた。
あの時、俺がひかるの髪型を褒めたのを、ちゃんと聞いていてくれたんだ。そして、それからずっとツインテールで……
そこまで俺のことを……
そんなひかるの気持ちをよそに、俺と来たらいろんな女子にキョロキョロと目移りして!
……いや、今からでも遅くはない。
守らなきゃ……絶対に!




