奪われた王女
「――二度も俺を捨てるのか」
尋ねるのではなく吐き捨てるように、男はルシナの耳元で言った。重たいカーテンを閉めきった部屋に肌がぶつかる音が響く。太い腕ががっちりとルシナの細い肩をうしろから引っ張る。
「ん、あ」
身体を容赦なくゆさぶられて、立っているのがやっとでもルシナは抵抗しようとしない。ゆるく波打つ髪の間からのぞく彼女の表情は、ずいぶん前から気力を失っているように見えた。
「今後一切、外に出られないと思え」
「……は、ん……っ」
返事の代わりに息をするしかないルシナのことなど気にもとめず、怒りに支配されている男。だが彼の瞳の奥には、なぜか追いつめられた人間の持つ焦燥が確かにあった。ルシナを覆い隠すように包む男の背中が、一方で彼女にすがりつくようにも見える。
「俺から離れるなら壊れてしまえ……っ……壊れろ……っ」
腰を叩きつけながら、うわ言のようにくり返す彼――コーネリアスの言葉をあび、ルシナは喉を反らせた。頭の中は後悔と自責で満たされる。
――……心底憎まれても仕方ない。あの夜、貴方を信じればよかった。
春。寒さの残る青空の下にそびえる尖塔は、そこが大聖堂であるとしめしている。短い戦争を終えたアストニア帝国に響く鐘の音は、和平を象徴するよう。これからある婚礼が行われるのだ。
「異教徒との婚姻を許すなんて、陛下も寛大だわ」
高窓から光が降りそそぐ礼拝堂には、着飾った参列者がずらり。身廊にすわる貴婦人たちは、扇子で口元をかくし、ヒソヒソと言葉をかわす。
「ええ。あの戦鬼がついに愛に目覚めたのですから。陛下も味方したのでしょう」
彼女たちの視線の先、祭壇の前に立つ新郎は、塔を思わせる体躯で場を支配するように立っていた。彫刻のように頑丈な肩の上に無表情を乗せ、視線を動かさないさまは、戦鬼と呼ばれるにふさわしい。
「戦場で花嫁を見初めたそうよ」
「ロマンチックだわ」
はしゃぐような貴婦人の声とは対照的に、ベールに包まれた新婦の顔は――淡紅の瞳をくもらせて怯えきっている。彼女のか細い体は、強靱な男の横にそえられると、いっそう頼りなく見えた。花嫁の不安を無視するように、牧師の進行は事務的につづいていく。
新郎コーネリアス・アシュフォードは、アストニア帝国で騎兵大佐の肩書をもち、若くして辺境軍司令官を務めている。このたびの戦争――隣国ハンティントン王国との戦い――を勝利に導いたのが彼だった。
しかしその実態は、ハンティントン王国が神殿の防壁を修繕していたのを、「軍備拡張だ」と決めつけたアストニア帝国辺境軍が、「隣国からの攻撃を未然に防ぐため」という口実でしかけたもの。資源目当ての侵略戦争だった。
残虐な辺境軍はハンティントン王家を惨殺。王族で生き残ったのは末の王女ルシナただひとり。「アストニアの慈悲を示すために王家の血筋を生かした」という建前のために王女は助けられたのかと思われたが――。
「ルシナ・ハンティントン!」
今日一番の大声が牧師から発され、花嫁はハッと我に返る。呼ばれたのは彼女の名だ。牧師は怪訝そうにルシナをうかがっている。ベールごしに目があったことで、ルシナの意識を確認できたと受けとった牧師は、手にもつ冊子に視線を戻し、口をひらいた。
「ルシナ・ハンティントン。この男コーネリアス・アシュフォードを夫とし、生涯を共にすることを誓いますか」
「……誓います」
コーネリアスが戦果の褒賞として望んだのは、亡国の王女ルシナとの婚姻だった。
参列席からまた別のささやきがもれる。声の主たちは軍服に身を包み、大げさに眉をひそめていた。
「貴婦人がたはロマンだなんだとのん気なものだ。戦利品を娶るなど下品極まりない」
「司令官が自ら軍の功績を汚すとは」
一方で、ニヤニヤと口をゆがませる老齢の貴族連中もいる。
「敵国とはいえハンティントンの神官をも斬った男だ。聖職者にすら容赦ないのに、美女に目がくらんだのか」
さまざまな思惑の好奇の目が向けられる中、うつむいているルシナはどんどん追いつめられた表情になっていく。
――一目惚れなんてありえない。今日まで私とアシュフォード閣下が顔をあわせたことはない。きっと他に目的がある。
ルシナには、ドクドク鳴る彼女の動悸が、この場にいる全員に届きそうに思えた。ルシナの考えをさえぎるように、
「では、キスを」
と、牧師がうながす。コーネリアスと向き合うように、ぎこちなく足をすすめるルシナ。だが、顔をあげられない。コーネリアスは、あいかわらず無表情にルシナを見おろしている。そして、彼の手がルシナのベールにかかる。
ドクン。
ルシナの耳は研ぎ澄まされ、聞こえないはずの遠くのささやきまで拾っていく。
「神官を斬ったのはアシュフォード閣下の〝趣味〟だと噂が……」
ドクン。ドクン。
「クク、王女が変態趣味に付き合わされるのか。気の毒に」
ドクン。
薄い布がはらわれ、ルシナの顔があらわになる。
「……顔をあげろ」
頭の上からコーネリアスの声が降ってくるが、ルシナの視線は地に落ちたままだ。
「は……、っは……」
どうしよう。息ができない。
「ハァ、ハッ……ハァ、ハ」
ルシナはすっかり過呼吸をおこして、くらくらと視界がゆがんだ。瞬間、ルシナの喉に力強い手がかかり、グッと顎をあげさせられる。
「顔をあげろ」
「……っ」
――この人の顔、初めてちゃんと見た。黄金色の瞳をしているんだ。
ルシナは状況にそぐわずそんなことが頭をよぎった。ふいに自然と、深く呼吸ができた。しかし、コーネリアスの指がルシナの首をすべるのを感じて、ふたたび恐怖がこみあげる。
ドクン。ドクン。
彼の分厚い胸板が押しつけられて息苦しさが増す。唇がふれそうなほど近くでコーネリアスの口がひらく。
「君に愛は誓わない。誓うのは……」
ドクン。
「復讐だ」
聞こえるのと同時に、呼吸ごと奪うようにコーネリアスがルシナの唇を食む。ルシナはゼロ距離の彼の瞳に、恐怖と――不思議な見覚えを感じ、逃げるように目を閉じた。そして、意識は遠のいていった。
✦ つづく ✦




