ep56 狭龍マグラ
ルトワ火山の山頂に訪れたヤルグは身体をほぐした。
戦闘とはまた別の、登山の痛みに堪えながらも、噴火口を覗く。
本当に過酷なのはこれからだ。今まで登っていた高さを垂直に降りる。当然底には煮えたぎるマグマが見えた。
魔法で多少の耐性をつけたところで、生身の人間がマグマに落ちれば一溜りも無いことは明白だった。
(さて、どうしたものか。)
考えていると、ヤルグの身体を包むように大きな泡のような物が出来る。
その泡はヤルグを包んだまま、フワフワと浮かびながらゆっくりと降りていく。
(迎え入れるとはありがたいことだな。)
深層に辿りつくと、泡はマグマの横にせり出した岩の上に留まった。不思議なことにその泡は一切の熱を遮断していた。
するとマグマの中からぬぼっと大きな黒い顔が現れる。
狭龍マグラ。
その風貌を見た者は驚くだろう。多くの竜に見られる刃の様な鋭さや、岩の様にゴツゴツとしたものは一切なく、丸みを帯びた顔に申し訳程度の角が生えていた。
(相変わらず、不細・・・)
ハッと気づいたヤルグが思考を止めた。
「久々に再会したのにいきなり不細工とは失礼な男だね。」
その声に最強の生物と呼ぶべき威厳や荘厳さは無く、ヤンチャ坊主を育てる肝っ玉母ちゃんのような口振りだった。
ヤルグは思考を読まれるという当たり前のことを忘れていた自分を悔いると同時に、昔の事を思い出した。
ヤルグが初めて彼女を見た時の第一印象は「こんな奴に名立たる魔王たちがやられたと言うのか?」だった。
それに対する彼女の第一声は「こんな奴に名立たる魔王たちがやられたと言うのか?って顔だね。」だった。
何とも言えぬ、ばつの悪さを感じているヤルグにマグラが言った。
「それで。何の用だい?」
「分かっているのだろう?」
「アンタの復活に関与したのかって話なら関わっていないよ。」
「そうなのか?」
「ガイラックなんて狭界の脅威になる訳無いだろう。」
狭界。それは人間界の事だ。天界と魔界の狭間にあるこの世界を、人間以外の者はそう呼ぶ。
「そもそもアタシは人間の味方なわけじゃない。人間なんて、ただ古くから狭界に棲む生物と言うだけで、誰が支配しようとアタシには関係無いのさ。寧ろ人間はアンタたち魔王と神の陣取り合戦の駒だろう?」
「なるほどな。」
「だけど、今のアンタには興味があるよ。可笑しな事になってるからね。」
不思議な輝きを持つ大きな瞳がヤルグを覗き込むように見つめる。胸の内だけでなく、過去から全てを見透かされそうで不気味さを感じた。
「どういう意味だ?」
「神の加護に魔王の呪いを上塗りした元で数百年眠ってたんだい。そうして行き着いた先が人間。可笑しなもんだろう?」
マグラはニタリと笑いながら続けた。
「過去にも天使と悪魔の子供なんてのは居たさ。そいつらは操りかた次第で白にも黒にもなる。だがアンタは明確な自我が有りながら、内に点在する白と黒に揺れる。端から見る分には楽しいもんだよ。」
「ふざけた奴だ。」
「あんたはこの戦いをどう見る?」
「戦争かい?人間が勝つよ。ガイラックには。」
「そうか。」
「そして、アンタは死ぬ。」
ヤルグは動きを止め、その言葉の真意を探った。
「精々抗うさ。」
「まさか、それだけ長く生きて、運命は自分で切り開くなんて、お子様みたいな事を言うんじゃないだろうね。切り開いたと思ったその道が、初めから用意されてた運命だよ。」嘲笑うような、それでいて叱咤するような言い方だった。
マグラが表情を崩して言った。
「まぁ、思うようにすればいいさ。」
「最後にひとつ訊きたい事がある。」
「出来るよ。」
ヤルグの質問を知った上で、全てすっ飛ばして先に答えた。
「そうか、なら頼む。」
「返すのかい?」
マグラが聖剣を見た。
「ああ。そもそも俺が持つべき物ではない。」
「その子なら今、グレイスに向かってるよ。何ならそこまで飛ばしてあげようか?」
「いや、大丈夫だ。少し歩きながら考えたい。」
「そうかい。じゃあお別れだね。久々に誰かと話せて良かったよ。」
「ガイラックは来てないのか?」
「ああ、でもフクロウなら一羽来たよ。」
ヤルグの頭にガイラックの秘書が浮かんだ。
「アタシを欺けるとでも思ってたらしい。間抜けもあそこまでいくと清々しいね。」
別れを告げたヤルグはマグラの計らいでルトワの麓に降り立った。
「俺は死ぬ・・・か。」
それはヤルグの描いていたシナリオのひとつでもあった。
ヤルグは自分の手を見つめ、一番可哀想なのは剣を手にしたこの男かもしれないな。などと思いながら歩き出した。
「リベル様よりポルガ陥落の報告が御座いました。」
秘書はまだ戻らぬ為、別の魔物がガイラックへ報告した。
「そうか。」
最近の敗戦の数を考えれば、喜びと言うよりは安堵に近かった。
「手負いの者と装備の準備が整い次第、ファーランへの進攻を行う為、増援を頂きたいとの事です。」
「うむ。送っておけ。」
「それとニドーレル様より、ルドミナ様が離反し、人間との同盟に動いている事です。」
「あの女、やはり裏切ったか・・・」
奴隷から引き上げた恩を仇で返すとは。ガイラックは自身の先見の無さを恨んだ。
「どうされますか?」
「ニドーレルに待機させよ。人間と同盟を組む以上は、要人を呼び、会合を開くはずだ。そこを叩け。」
「了解致しました。」
ガイラックが出ていく配下を呼び止める。
「ヤルグは儂の提案を蹴るはずだ。例の件を進めておけ。」
返事をした配下が出ていく。
ガイラックは深くため息をつく。
ヤルグにはガフ、ルドミナにはニドーレル、人間たちにはリベルを宛がった。彼らの実力は分かっている、だが。
ガイラックは、近々自身も戦いに参じることになるだろうと、重い腰を上げた。




