死んだ夫は子ども好き
「ごめんなさい、お母様。ごめんなさい、公爵夫人。ごめんなさい、レディ」
幼子は、そんなイタイわたしを咎めるかのようにさらなる笑顔で謝った。
(って、なにこの子? しっかりしすぎてやしない?)
よほど親のしつけが行き届いているのか。あるいは、この子自身がしっかり者なのか。それとも、このくらいになるとこれがふつうなのか。
この子のしっかり具合がどうなのか? 子どものいないわたしにわかるわけはない。
「ニック、ほんとうに可愛い子ね。いいのよ、いくらでも走ったり騒いだりなさい。男の子は、そのくらいがちょうどいいの」
クラリスは、この子のことがよほど可愛いらしい。
彼女の美貌には、幼子をいたわる笑みが浮かびまくっている。
「さあ、ニック。居間に行って、ホットココアとマドレーヌをいただきましょう」
「うわぁ、公爵夫人。ぼく、ココアとマドレーヌは大好きです」
母親に抱かれたまま、幼子はうれしそうに言った。
けっしてはしゃぎまくって、ではない。冷静に、それでいて心底うれしそうに。
(なんてことかしら。この子、レディたらしなわけ?)
将来が思いやられる。
それでも、微笑ましいと思った。
この子の可愛さが「可愛い」、と心から感じた。同時に、この可愛さにキュンときたことが、自分でも戸惑った。それから、ジーンときたことを認めないわけにはいかなかった。
これらの感情は、いまだかつてなかったものである。
ありえない自分自身の感情に戸惑いつつ、まだ思ったことがある。
それは「もしもわたしに子どもがいたら」、という思いである。
わたしは、子どもが嫌いだ。いや、苦手といっていいかもしれない。
自分自身が精神的に大人になりきっていないからかもしれない。あるいは、子どもと接する機会がまったくなかったからかもしれない。
とにかく、子どもとは関わり合いになりたくないと思っていた。もちろん、それは任務をのぞいてである。
プライベートでは、子どものいるような場所を避けたりしていた。
それがじょじょにかわってきたのは、夫が子ども好きだから。
夫は、子どもが大好きなのだ。
彼は、プライベートでは道行く子どもに愛想を振りまいたり、あやしたり遊んだりしていた。わたしよりも、見知らぬ子どもをかまうことが多々あった。
わたしがじょじょに子どもを見るようになったのは、そんな彼の影響である。
もしも夫との間に子どもがいたとすれば。たとえ、あの愛し合ったひとときに彼との子を授かっていたとすれば。
夫とわたしの子は、ちょうどこの幼子と同じくらいかすこしばかり年上だっただろう。
彼との子どもなら、わたしも愛せたはず。いや、絶対に愛せる。その自信はある。
そんなことを考えていると、なんともいえない気持ちになった。
居間であらためて紹介してもらった。
清楚な美人の名は、エレノア・ニューランズ。彼女の子どもは、ニコラス。みんなが呼ぶニックは、ニコラスの愛称である。
彼女の夫は、カイル・ニューランズ。伯爵だという。そして、重要な仕事を任されているらしい。
そのときには、カイルがどういう系の仕事を任されているかまでは聞けなかった。
いや、聞かなかった。




