二
光男は、由衣の目を見た。
「どうして出る事になった?」
「どうしてって……別に関係ないよ」
由衣はつい、父から目を晒した。しかし光男の目は、ずっと由衣を捉えている。
「お前が追い出したのか?」
「え?」
まさかの言葉に、由衣は言葉が出ない。
「――追い出すなんて、人聞きの悪い。早紀が出ていくって言ってるだけだってば」
「一緒だ。どうしてそうなった? お前達は友達なんだろう?」
「友達だけど、ちょっと……」
どう説明したものか、そう思って言葉に詰まった。
「……お前は何も変わってないな。いつもそうだ。偉そうに口ばかりだ」
「ちょっと、お父さん……」
光男のきつい言葉に、宣子が割って入る。そして、すぐに由衣が反論した。
「わたしだって、早紀に出ていって欲しいなんて思ってない!」
「だったら、お前がわがままばかり言って、困らせているから愛想をつかされたんだろう」
光男は淡々と、攻撃的な言葉を並べる。しかし、まさに図星だと言っていいだけに、そのひと言ひと言が由衣の胸に刺さる。
「そんなわけないだろ!」
思わず叫ぶ由衣。
「どうしてそう言い切れる。だから、どうしてそうなった?」
「それは……」
それに言い返そうとすると、どうも言い淀む。
由衣と早紀は、宣子と一緒に住むかの話で、意見の相違から口論になった……と思う。でもどうして口論になった? そもそも、口論っていう状態だったのか? 自分の方が一方的に喚いていた様な……冷静に考えてみると、由衣には都合の悪いものが、多々ある様に思えてきた。
「早紀は、なんていうか余計な事をし過ぎなんだよ。おせっかいっていう。それで……」
由衣は、追及される焦りからか、自分でも何を言っているのかよくわかっていない様な状態だ。
光男の言う事も、早紀が出ていくという事よりも、次第に由衣のだめな部分を追求している様な雰囲気になってきた。
「それでどうした? どうして余計なんだ? お前が勝手にそう思っているだけじゃないのか?」
「それは……」
「結局は、お前がわがままなだけだろう。何がおせっかいだ。よく考えてみろ。お前が気にも留めていない事だってあるだろう。どうしてそう簡単に決めつけてしまうんだ? お前の悪い癖だ」
光男はじっと由衣の目を見ている。感情の読めない表情には、どこか心を読まれている様な気がして、とても居心地が悪かった。
「――まさか、お前があの子を養ってやっている、助けてやっている、なんて考えていないだろうな?」
「そ、そんな事……ない!」
由衣はそうは言ったものの、実際には、早紀を住まわせてやっているという気はあった。自身の豊富な財産で養ってやっている、と無意識のうちに頭の中にあった。
早紀の人となりや、過去の思い出なども含め、とても強い魅力を感じ、特別な想いがある。
しかし、早紀はかわいそうな人なんだ、だから助けてやらないと、そういう上から見た考えないといえば嘘になる。
「そんな……そんな事……」
由衣は言葉を失い、顔が赤くなっていくのを感じた。自分でも気がつかなかった、だめな部分を完全に、父に見透かされていた。それを恥ずかしく思ったのだ。
父はもう老人だ。自分よりも頭が悪い。そんな父に対する驕りが、羞恥心を浮かび上がらせた。それを頭の中で認めざるを得なくなった時、由衣はもうこの場を逃げたくなった。
一刻も早く、ひとりで誰もいない場所で閉じこもっていたかった。
「お前は、早紀という子の何がわかっているんだ? 全然わかりもしないんだろう。いや、わかろうともしていないんだろう」
光男は由衣を睨んだ。
「だからお前はだめなんだ。何もわかっていないお前が、そんな事で、ここで別れてしまって本当にいいのか?」
「それは……」
由衣は何も答えられなかった。俯く由衣の隣に宣子が寄り添った。宣子はしょうがないな、という表情で語りかけた。
「由衣ちゃん、お母さんね……やっぱりまだ一緒には住めないわ」
「……え?」
「由衣ちゃんはね、やっぱり早紀さんと一緒に暮らした方がいいわ。それでね、早紀さんとこれからもずっと、どうやって生きていったらいいかよく考えたらいいと思うわ」
「お母さん……」
宣子は自分が原因で、由衣と早紀の仲がこじれたと感じ、少し責任を感じていた。光男の言う事を側で聞いていて、やっぱりやめておいた方がよいという考えに変わった様である。由衣と一緒に住みたいが、それによって由衣が辛い思いをするのは嫌だった。
「まあ、母さんが大げさに騒がしたのも良くないな。こんな程度で何を言っとるんだ。儂はまだ死なんぞ。介護も受けん。必要ない」
「もう、お父さんったら……」
宣子は苦笑いした。光男は再び由衣を見た。
「お前達は、自分の事しか考えていない。そんなだから、あの早紀という子がとばっちりを受けるんだ」
「……」
「その子が、遠慮する事なんてないんだ。儂等は由衣なんかに頼らんでも、ずっと暮らしていける。おまえ達は、おまえ達で暮らしていけばいい」
光男は淡々と話している。
「この先、儂が死んでも、母さんには善彦もいる。あのバカは多分この先もずっと家にしがみつくつもりだろう。だが、そのうちわかるだろう。いや、わからせる」
光男は、実家のある方をちらりと見た。そして再び由衣をみる。
「ちゃんと謝るんだ。そしてじっくり考えていけ」
「由衣ちゃん、ごめんね。私が弱いばっかりに……由衣ちゃんには、由衣ちゃんの幸せがあるのよねえ」
由衣の目に移る、少し白髪の目立つ様になっていた母の顔がぼやけてきた。
「お母さん」
「でもこれからは、もうちょっと会いにきてくれると嬉しいわ」
「――うん。そうする」
病院を出て実家に向かうと、宣子を下ろしてマンションに戻る。が、お腹が空いてきたので、どこかで食べて帰ろうかと考えた。
必然的によく行く「Y&H」に向かう。が、店の近くまでやってきて思い出した。確か、今日から数日間、店を閉めているんだった。夫婦で旅行でいくと言っていた。
案の定、店の前まできて、ドアに「CLOSED」の札がついていた。由衣は、まあいいかと思い、マンションまで戻った。
戻ると、再びどこかにいくのが億劫になり、部屋にあるものを何か食べようと思った。
由衣は自宅に戻ってきた。早紀には謝らないといけない。しかし、玄関が閉まっていた通り、早紀は不在の様だ。
バイトではないはずなので、何か用があって出ているのだろう。静かな廊下を歩いていく。
リビングにやってきて、ソファに座ろうとした時、テーブルにメモ書きが一枚置いてあるのを見つけた。
「これは……早紀?」
由衣、今まで本当にありがとう。短い間だけど、とても楽しくて、とても幸せな時間でした。
さようなら
白鳥早紀
「さ、早紀……」
由衣はメモを持ったまま、立ち尽くしていた。