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◇/おねーちゃんと弟ちゃん

〈 ◇ 〉



 日曜、夕方。

 『呼び方変えちゃうごっこ』がアネキの鉄拳により終わりを告げてから、何時間か経った頃。

 いつものように、俺は机で勉強をちまちまと進めながら、スマフォで友人とラインをしていた。


 そしてまた、いつものようにゆら姉が俺のベッドに座って漫画を読んでいる。


 シャーペンがノートを引っかく音、ラインの通知音、そしてゆら姉が漫画をめくる音。

 たまにゆら姉がフフッと上品に笑ったことや、シーツと服がさわっと擦れていることがわかる。

 静けさにリラックスしていると、漫画がぱたんと閉じられる音がした。


「宗くん」

「ん、なに」


「先ほどはどうやら、私を除け者にしていろいろお楽しみだったようだね?」

 ゆら姉はミステリアスな微笑に、僅かな非難の色を乗せる。

「罰として、私に押し倒されてはくれないかな?」


 どうやらゆら姉は、たぶんシャロ姉あたりに『呼び方変えちゃうごっこ』のことを教えてもらったようだ。結果的に仲間外れにしてしまったのは悪いような気がする。


 罰ってのは許可なんて取らず強制的に執行されるものじゃないの? と思いながら、

「いや、あのごっこ遊びがやりたいなら今ここでやろうよ。俺はゆら姉をどう呼べばいい?」


「そうだね、漫画を読みながら考えていたのだけれど、『おねーちゃん』なんてどうだろうか」

「お姉ちゃん?」

「『おねーちゃん』。もっとこう、幼げで、少し間延びしたような感じに」

「はあ。うん。別にいいけどね、おねーちゃん」


 呼ばれた瞬間、まゆらおねーちゃんは少し驚いたような顔をする。意味ありげに上がっていた口角も、やや挑発的に細められていた目も、はっとしたように解けてたちまちのうちに頬が染まっていく。


「こ……これは、これはいいね。長いあいだ触られたことのない部分を撫でられるような……」

 おねーちゃんはツボを押されたのか、恍惚とした表情を浮かべている。

「うん……実はその二人称は『今日のお姉ちゃん!』というおねショタ漫画の、伊織くんが早苗お姉ちゃんを呼ぶ際のものでね」


「へえ」

「というわけだから、私は早苗お姉ちゃんが伊織くんを呼ぶときのように、宗くんを『弟ちゃん』と呼ぶね」

「嫌な予感がするんだけど」

「さて、早苗お姉ちゃんは伊織くんを甘やかすのが大好きなんだ。私も、おねーちゃんとして弟ちゃんを甘やかさなければならない。常識的に考えるとそうだろう?」

「常識の枠を超えていく俺にそれを理解するのはちょっと」 「さあ弟ちゃん。おねーちゃんに抱きついてくるんだ……!」 「えぇ……」


 おねーちゃんは小首をかしげ、人差し指を立てる。

「それじゃあ、膝枕をしてあげよう。ほら、まゆらおねーちゃんの柔らかい太ももの上で寝るといい」


 これ以上嫌がっているとおねーちゃんは脱ぎ出しかねない。譲歩もしてくれたことだし、……膝枕も、魅力的に見えなくもない……ような気がするし、俺はベッドに座ったおねーちゃんの隣に腰を下ろす。


「さあ、来て、弟ちゃん」

「うん……」


「……ほら、弟ちゃん」

 おねーちゃんはためらう俺の首に手を沿わせ、自らの膝に倒れこむよう促した。


 膝枕が完成する。最初は緊張していたが、おねーちゃんに頭を撫でられるにつれ、落ち着きを取り戻してきた。

 横を向いて寝ているから、ひざ丈パンツの肌触りを耳と首筋に感じる。その下には弾力があるのだろうがわかりづらい。まさか手で触れるわけにもいかないので、甘い匂いと撫でられる感触を受け入れるだけで満足することにする。


 しかし――


「フフ、弟ちゃん。『いつものように』太ももを触ってもいいんだよ」

「嫌だよ……っていうか、その漫画の伊織くんと早苗お姉ちゃんって、どうせ年の差十歳とかなんでしょ? 俺たちは一歳違いじゃん」


「不自然すぎる、と言いたいのかい?」

 おねーちゃんはいつもより優しい声色で、耳元をくすぐってくる。

「そういうときは意識的に精神年齢を下げるのさ。ほら、もっと幼い子のように触って。なんならマッサージと思えばいい。弟ちゃんの頭が乗っていると、血の巡りが悪くなってしまうからね」


 おねーちゃんが俺の手を自分の太ももにあてがう。

 俺は冷や汗をかきつつ、おねーちゃんのしなやかなそれを、できるだけ優しく撫でた。

 いいんだろうか。姉弟でやっていいことから逸脱している気がする。それでも、太もものぷにぷにとした感触は気持ちがいい。


「あぁっ……宗くん、なかなかのテクニックじゃないか。ハーフパンツの内側に手を入れてもいいんだよ」


 頭がぼんやりとしてきた。ひざ丈パンツの内側をまさぐるようにして、ゆら姉の太ももに直接、指先を這わせる。


「んっ……フフ……宗くんの大きな手、気持ちいいよ。もっと強引にしても……はぁ……かまわないんだよ、宗くん」


 ゆら姉にとってほとんど触られたことのない場所、太ももの内側。そこはベッドの上で横につぶれたようになっていて、指が沈み込む。秘密のやわらかさに、体中が熱くなってくる。

 いや、ちょっと待った。この状況……


「宗くぅん……あのね……こういうことを不自然に感じないようにするには、精神年齢を下げる以外にも、もう一つあるんだ」

 吐息混じりの色っぽい声で。

「……それはね、宗くん……」


 ――二人で大人になればいいのさ。

 ゆら姉はそうささやいて、俺の手をもっと秘密の場所に導こうとした瞬間、俺は膝枕から転げ落ちた。

 慌てていたから肘を打って若干痛いが、気にしない。


「あ、あれ? 宗くん?」

「あの、あのさ、この状況を姉貴たちに見られたらおしまいじゃん? だからまあ、今度ね。ごめん」


 ぽかんとしているゆら姉に背を向け、俺は自分の部屋をあわただしく出た。


 間違いが起きたらどうするつもりだったのだろう。だいたい、ゆら姉は途中から呼び方が『宗くん』に戻っていたじゃないか。きっと俺を甘えさせたいだけだったんだ。

 ドキドキとする胸に手をやる。手に残る、ゆら姉のぬくもり。

 ゆら姉はダメだ。まったくゆら姉は。

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