○□/黒幕は響
〈 ○□ 〉
「じゃあ、いってきま~す!」
「いってらっしゃい」
月曜日の朝。
俺とニゴ姉は、会社へ行くシャロ姉を見送った。
シャロ姉はいつもの笑顔で手を振り、俺も控えめに振り返す。隣ではニゴ姉も上品に指先を伸ばして軽く手を揺らしていた。浮遊せず床に立っているから、俺との七十センチの身長差が目立つ。
扉が閉まり、玄関は静かになる。リビングルームから響と秘姉、ゆら姉の声が少しだけ聞こえる。
ちなみにここは玄関ではあるけれど、扉を開いた先は会社のトイレだ。シャロ姉自作の空間歪曲装置が埋め込まれた碑戸々木宅のドアは、目的地を指定すればどこにでも繋がるドアとなる。
「……はっ」
「ん、どうしたのニゴ姉」
「なるほど、これが、響さんがシャキロイア姉さんのことを『シャロえもん』と呼んでいた理由ですね」
腕を組んで、無表情のままではあるがしきりに頷くニゴ姉。
このメイドロボな姉さんは現代の知識が少ない。一応、ネットに接続することで全世界の全ての情報をリアルタイムで得ることもできるらしいけれど、シャロ姉に止められている。いわく、「ニゴちゃんはちょっとおばかさんのほうが可愛いんですもの~」だ。
俺としても、ニゴ姉がこの世の全てを知ったらなんだか近寄りがたい神々しさが生まれてしまうのではないかと危惧しているから、このままでいてほしいと思っている。
と、ニゴ姉がなにやら心配そうな顔をして、俺のシャツの裾を引っ張ってきた。
「宗一さん、訊きたいことがあるのですが」
「なに?」
「シャキロイア姉さんの行っている会社は、『ブラック企業』なのでしょうか」
「さあ……残業は多いみたいだけど、そういう職種だって聞くし……」
俺は頭をかく。
「有休も取れて、辞める人も少なくて、福利厚生も良いみたいだし、まあまあの企業なんじゃないかな」
「では、凶悪な上司にパワー・ハラキリをさせられたりはしていないのですよね」
「パワハラっていうのはパワーハラスメントの略でね」
「ざわ……ざわ……という謎の音が発生する地下で地獄の労働をさせられたりしているわけではないのですよね」
「ニゴ姉は読むマンガを選んだほうがいい」
「いつもニゴたちに見せてくれるあの笑顔は会社へ足を踏み入れた瞬間に死に――」
ニゴ姉の顔が暗くなり、目が見開かれ、肩が小刻みに震えだす。
「ニゴのことなんか忘れてしまうほどに仕事の闇に支配されてしまっているわけではないのですよね」
俺は慌てて「大丈夫だって!」と言いながらしゃがみ、ニゴ姉と目線を合わせる。
ニゴ姉の大きな目にはほんの少しだけ涙が溜まっていて、意外だな、と思う。いつも冷静で、表面的には冷淡とすら言えるニゴ姉だが、今回は本気で怖かったのかもしれない。
きっとシャロ姉のことが誰よりも大好きで、シャロ姉が傷つくのを想像するだけでもこうなってしまうのだ。
古代人同士の絆、あるいは親子の絆というやつだろうか。
いや……姉妹の絆だろう。
「シャロ姉はブラック企業に勤めてなんかない。だいたい、邪悪なものを浄化していくシャロ姉がブラックなところへ行ったら、そこがすぐにホワイトに変わってくよ。心配するだけ無駄、っていうか、うかつに心配すると『ありがとっ、不安がるニゴちゃんも可愛い~』とか言われてうざいほど頬ずりされると思う」
暗い顔をしていたニゴ姉は一瞬だけ、突然何かを許されたような呆けた顔をしたあと、すぐにいつもの冷静な無表情に戻った。
いや、そうでもなかった。
僅かに口角が上がったその表情は、俺にはわかるが、とても安心したときのそれだった。
「ありがとうございます、宗一さん。そうですよね。シャキロイア姉さんほどたくましい人間はいませんから」
「うん」
「宗一さんはいつもニゴを正しく導いてくれます。宗一さんがいなければニゴは間違った知識ばかりを記録していました。ニゴはいい弟を持ちました」
「どうも。……ちなみに、そのブラック企業のイメージはどこから?」
「響さんがああ言っていました」
「…………」
姉貴!!




