□◇/ニゴとまゆらとご主人様
〈 □◇ 〉
「お帰りなさいませ、ご主人様」
ある平日。
しっとりとしたアルトの声が、帰宅した俺を出迎えた。
玄関にはメイドのコスプレをしたゆら姉。ロングスカートだ。クラシカルなメイドに近いのだろうか。ゆら姉がその格好をすると上品さが増す。
「………………ただいま」
「ご主人様、お荷物をお持ち致します」
「……うん」
「ご主人様、お紅茶をお淹れ致しますね」
「ありがと」
「ご主人様、お部屋のお掃除をさせていただきました」
「え?」
ゆら姉は優雅に微笑んで小首をかしげた。
「他のお仕事もなんなりとお申し付けください。ご奉仕致します」
「じゃあそこに跪いて」
「はい、ご主人様」
「まあ勝手に俺の部屋に入るのは別にいい。ゆら姉にとって国境線はないも同然になってるし。でも掃除ってことは俺の大切なものも触ったってこと?」
「えっちな本なら私も堪能致しました」 「解雇」 「も、申し訳ありませんご主人様……!」
嘆くゆら姉をスルーしつつリビングに入る。
姉さんが突然お上品なメイドになっていたことに驚かなかったわけではないけれど、まあ、ゆら姉がコスプレ姿を俺に見せたがるのはいつものことだった。
普段通りにテーブルの椅子に座る。
ニゴ姉がキッチンでクラシックを聴きながら夕飯の準備をしていた。
ゆら姉に加えてニゴ姉もいつものメイド服だから、流れる音楽と相まって西洋の瀟洒なお屋敷にでもいるような気分になる。
と、ニゴ姉が冷蔵庫を開けて清涼飲料水を取り出す。俺がなにも言わなくても飲み物を用意してくれるのだ。しかしそこにメイドのゆら姉が現れる。
「メイド長、ご主人様のお飲み物は私がご用意いたします」
「メイド長? ニゴのことですか。ではお願いします、まゆらさん」
ゆら姉が俺の元に紅茶を持ってくる。よくわからないけど、ちゃんと茶葉を使ったものらしい。この姉さんは紅茶にも詳しかったりするのだろうか。
「ゆら姉、ありがと」
「メイドとして当然のことです。では、勤勉なご主人様、しっかり授業を受けて凝った肩を私がお揉み致しますね」
「うん。なんか至れり尽くせりだけどどうしたの?」
「いえ、これくらいのことメイドとして当然のことですので」
ゆら姉に肩を揉みほぐされているその時、俺は見た。テーブルに置かれた鏡(姉さんたちがよく使うものだ)に映ったゆら姉が、「メイドとして当然」と言うたびにニゴ姉の方をちらりと見ている。
なるほど、と思う。
その後もゆら姉は紅茶のおかわりや菓子を持ってきたり、新聞をめくってくれたり(もはや介護のようだ)、俺の世話をし続けてくれた。なんだか面白くなってきたから、ゆら姉の作戦に乗ってやることにする。
「あー、やっぱゆら姉みたいにご奉仕してくれるメイドっていいよなー」
するとニゴ姉がふわふわと浮いてやってきて、ゆら姉と自分を見比べる。
「……宗一さん」
「ニゴ姉。なに?」
常日頃から家事をしているニゴ姉なら、今更メイドらしい行動に抵抗はないだろうと思っていた。
「あ、いえ、……その、宗一さん……ではなくて」
ニゴ姉はうつむき気味になって目を逸らし、ほんのりと頬を染める。
「ご……ご主人様、ニゴにもなにかできることは……」
恥じらいがわからないはずのニゴ姉はこういう時は恥ずかしがるらしい。勉強になる。もしかしたら自分が恥らっていることに気づいていないのかもしれない。
そんなことを思っていると、ゆら姉がスッと立ち上がる。雰囲気が変わった。
そういえばそうだ。メイド大好きなゆら姉がニゴ姉のその言葉を聞いてしまえばどうなるか。テンションが最大になるのは自明の理。
「ニゴ姉さん……! やっぱり可愛いなあニゴ姉さんは……っ。もっと言っていいんだよ『ご主人様』って……! そして私と一緒に宗くんにご奉仕しようじゃないか」
ゆら姉が震えながらニゴ姉に頬ずりをする。
「メイドな私が宗くんに気に入られているのを見て焦ってしまったかい? 嫉妬してしまったかい? 嗚呼……可愛いよニゴ姉さん……っ」
「……離れて、静かにしてください。まゆらさんは大和撫子だというイメージを壊さないでください。それと別に焦ってもいないし嫉妬してもいません。なぜならニゴのほうが先にメイドのように家事で活躍していたのですから」
じとっとした目をしながら短い腕でゆら姉を押しのけるニゴ姉。そして家族でなければわからないほど僅かな、それでいて確かな期待の色が差した瞳で俺を見る。
「ニゴのほうがメイドとして魅力的。そうでしょう、宗一さん?」
「フフフ、甘いねニゴ姉さん。宗くんには事あるごとに私の胸を押し付けて覚えさせている。つまり宗くんは巨乳好きになっているはずで――」 「退職金は無しね」 「そんな、宗く……ご主人様ぁ」
しかしゆら姉はめげなかった。ならば露出度の高いメイド服で勝負だ、と不敵に笑いリビングを去って自室への階段を上っていく。コスプレにいくら使っているのだろうかと心配になる。
そこへニゴ姉が声をかけてくる。
「あの、……ご主人様」
「もういいよ、ニゴ姉。あれはゆら姉の罠だから」
「そうですか。ですが、これまで以上にメイドらしく振舞うのも楽しいかもしれません」
ニゴ姉はニゴ姉なりにゆったりと微笑んだ。もう恥ずかしさを克服したらしく、
「これからもよろしくお願いしますね、ご主人様」
俺はそっぽを向いてしまう。どうしてこちらだけが恥ずかしくなるのだろう。ニゴ姉はずるい。




