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SPRINT 08:力を合わせてまぶたを開く

理事長が帰ってからもマリトの憤懣はおさまらなかった。

デスマーチ必至の無理筋案件としか言いようがない。

「お父さん、ひょっとして怒っていますか?」

「お怒りの気持ちが伝わってきます」

ラミーシャが不安そうに尋ねてきた。


「そうですね。すごく怒ってます」

世界の終わりだとか、とんでもないことに、自分の意思を無視して、脳天気に巻き込んでくれたことに嫌味のひとつでも言いたくて、そう答えたのだが……すぐに後悔することになった。

それを聞いたラミーシャの気持ちが、それ以上はないくらいに落ち込んだからだ。

それこそ、世界の終わりくらいに。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

「お父さんは、きっといろいろアドバイスをくれていたんですね」

「わたし、理事長先生とお話するの、はじめてで、舞い上がっちゃって、本当はお父さんの御意見を一番に考えないといけないのに」

「せっかく私のところに来てくれたのに、失礼なことをしてしまって、怒ってしまわれるのは当然です」

「わたしのばかばかばか。どうしましょう、どうしましょう?」


今にも泣きそうなくらいに困り切っている様子に、文句を言おうという気持ちは失せてしまった。

『アドバイス』と言われて、ツッコミを入れていただけの自分が恥ずかしくなる。

実際には怒りの気持ちもあったが、それ以上に、巻き込まれたことへの困惑の方が大きかった。


『これは八つ当たりだな』と気付いた。

しばらく悩んでいるらしい、沈黙が続いたあと、

「あの、どうしたらいいですか?」と聞いてきた。

このあたりで、マリトはラミーシャの素直な反応が微笑ましく思えてきてしまった。


「怒ってはいるけど、それはとても私にどうにもできなさそうな、世界レベルの難題の解決を求められていることに対してであって、君に対してではないんです」

そう答えた。

「ほんとですか?」少し安心したように聞いてくる。

「ただ、解決までの見通しの立たない問題を引き受けたりするのは、やめて欲しかったなあとは思っています」

「あー、やっぱり怒ってます」改めて恐縮するラミーシャだが、少し気持ちが楽になったようだ。

「お父さんは優しい人なんですね。私が逆の立場だったらすごく怒ってると思います」

かなり落ち着いてきている。


そして続けた。

「あの、言い訳になるんですが……」

「頭の中の会話を把握するのには集中が必要なんです」

「まだ慣れてなくて、外の話の声が強いと、かき消されちゃうんです」

「きっと次のステップに入ると改善するんじゃないかと思っているんですが、やってみて良いですか?」

「いいですよ」と答えた。


ラミーシャがしゃべるのをやめて、しばらく静かな状態が続いたが、やがて頭の中に遠くかすかな声が聞こえていのるかもしれないという感覚を覚えた。

聴力検査で、ピーピーという音が少しずつはっきり聞こえてくるのに似ている。

「・・・・・・・・・・か?」

「おと・・きこ・・・すか?」

最初は何かわからなかったが、少しずつはっきり聞こえてきた。

「お父さん、聞こえますか?」


ラミーシャが頭の中で、呼びかけているんだ、そう理解した。

「はい。聞こえます」

マリトも心の中で答えた。そして続けた。


「面白いですね」

「どうして、最初から心の中で話しなかったんですか?」

それに対してラミーシャは、

「今、私の声はどんな風に聞こえていますか?」と聞いてきた。

「君の声が響いています」マリトは答えた。


「そうですよね。でもそれは先に私の声を聞いているから、私だって思ってその声になってるんです」

「本当は私の声は聞こえてないんです」

「だから最初から心で伝えると『頭の中で不気味な声が聞こえる!』ってなってたはずなんです」

「お父さんが最初、男の人だってわからなかったのもそれが理由なんです」


「これって、なんだか、内緒のひそひそ話してるみたいですね」

ラミーシャは、なんだかうれしそうだ。

心が弾む感覚が伝わってくる。

どうやら、楽しくなってきたらしい。


「あの、もう一歩、先に進んでみませんか?」

そう言うと、立ち上がり、手鏡を持ってきて、ベッドに腰掛け、自分の顔の正面に持ってきた。

「これから、お父さんに私の身体を預けますね」

「預けるというのは、私ではなくお父さんの意思で動かせるようにするということです」

「その状態で、まぶたを開けてみてください」

そう言って目を閉じた。


真っ暗になった。

ずっとラミーシャが動いてくれていたから、気付かないふりをしていたのだが、この世界に来てマリトはまったく身体を動かせていない。

今朝、金縛りにあったときの感覚の再来だ。

ただ、身体に触れている床やベッドの感触から、手鏡を持って座った姿勢のままだというのはわかる。

遠くに鳥の声がしている。


『まぶたが一番最初に動く場所なのだな』そう思いながらまぶたを開こうとする。

しかし、そもそもどうすればまぶたが動くのか、その感覚が湧いてこない。

まぶたを動かすための神経が通っていないかのようだ。

そっと静かに開こうとする。素早く開こうとする、などいろいろ試す。

心も落ち着かせて開こうとする。

しかし、どうやっても動かすことはできなかった。


なんて自分は無力なんだろうと思った。

何もできないと思った途端、この世界に来る前の記憶がフラッシュバックしてきた。

どちらを選んでも死ぬだけの選択肢を突きつけてきた兵士の冷酷な目。

助けてほしいと見つめる後輩の目。

任務を果たせずに倒れた女性士官のうつろに開かれた目。

それぞれが自分の無力を責め立ててくるように感じた。


余計な思念を振り払いながら、まぶたを開くことに集中する。

しかし、どうしても動かない。

自分の無力さを改めて噛みしめる。

動かすことのできない目から、温かい涙があふれ出るのを感じた。

流れ落ちる涙が、顎から膝の上に落ちるのを感じる。

『お父さん、大丈夫ですか?』

ラミーシャの心配そうな心の声が聞こえる。

涙が流れ落ちているのは彼女も感じているはずだ。


その声と重なるように、もう一つのラミーシャの声が聞こえる。

心の中ではなくて前の方からだ。

乾燥した風が頬に当たるのも感じる。

ラミーシャの声のトーンが変わっている。

泣いているのか?


「お父さんじゃないほうがよかった」

「どうしてお父さんで良いって言ったんですか」

『え、何を言い出すんだ?』理解がまったく追いつかない。

「これまでありがとう。さようなら、お父さん」

そして、唇に柔らかいものが押しつけられるのを感じた。

え、唇?

自分はラミーシャの中にいるので、前にいるのはラミーシャのはずがない。

驚いたマリトは、「ミーシャ?」と言いながら、目を見開いた。


手鏡の中に、ラミーシャの驚いて目を丸くした顔がこちらを見つめ返していた。

目は真っ赤に充血し、流れた涙で顔全体が光っている。

その表情が緩み、ラミーシャが身体の動きを取り戻したのがわかった。

手を伸ばして布を取り、流れるままになっていた涙を拭い、鼻をかんだ。


「よかったです」

ほっとした気持ちで、頬は緩んでいるが、

それでも、涙はとどめなく流れ続ける。

泣き笑いの状態だ。

「わたし、調子に乗って急ぎすぎて、お父さんに辛い思いをさせちゃったかと思って」

「なんてことしちゃったんだと思って」

「『目を開けられますように』って祈ったんです」

「そうしたら、目が開いて、もう、わたし、ほっとして、うれしくて……」

もう何を言っているかわからない。号泣になっていく。


少し落ち着いてきたところで、マリトは気になっていたことを聞いてみた。

「あれは一体何だったんですか?前から君が顔を近づけてきて……」

ラミーシャは不思議そうに答える。

「へ?お父さんは私の中にいるんですよ。そんな分身みたいなことはできないです……」


では、あれは夢だったのか?

顔を近づけてくるときに感じた熱も、押しつけられた唇の感触も、いまだに残っている。


「あ、そうだ。目を開いたときに、お父さん、私のこと『ミーシャ』って呼んでくれましたよね」

「お父さんが、わたしのことを家族だって思ってくれてる、って思って、それもわたし、すごく、うれしくって……」

「うれしいのに、どうしてか、涙が出てきちゃいます」

ラミーシャがまた泣き始めた。

「あれ?自分はどうして『ミーシャ』が愛称だということを知っていて、そう呼びかけたのか?」その疑問がマリトの頭をかすめる。


いずれにしても、彼の目を開かせてくれた出来事は、ラミーシャ自身は知らないことのようだ。

「そうか、彼女の強い想いが引き起こしてくれた奇跡だったんだな」とマリトは思った。

諦めかけていた自分に力をくれた、その奇跡に、そして自分のことを真剣に気遣ってくれる優しさに、感謝の気持ちでいっぱいになる。

そして、そのための涙はもうすでに流れている。


不安から解放されて、ほっとした安堵の気持ち、お互いの想いと奇跡に感謝する気持ち、そしてそれが二人の間で重なり、同期していた。

流れている涙が何の涙かはわからなかったが、しばらくの間、二人して泣きじゃくった。

マリトは泣きながら心を決めた。

「召喚は間違いなのかもしれないし、自分の力は足りないかもしれないが、この世界でこの娘の想いに応えるために、持てる力のすべてを尽くそう」


この日、マリトが動かすことができたのは、まぶたを開くための、たかだか1センチの距離に過ぎない。

しかしそれは、異世界で彼自身の意思で踏み出した最初の一歩であり、そして、彼とラミーシャという異世界バディの心を固く結びつける決定的な一歩であった。


#STATUS: SPRINT COMPLETE. PROJECT IN PROGRESS.

異世界バディが生まれた、本人たちにとって、また作者にとっても感動の瞬間です。謎の幻現象ですが、これはいずれ明らかになります。

主人公は、連載9話目にしてようやく、自分の意思で1センチ動かせただけで、ここから長い道のりになりそうですが、皆様には、この二人の応援をぜひよろしくお願いいたします。

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